sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

赤土の町で

sayakot2011-01-31

1月20日〜25日まで、アジスアベバから北東へ約560kmのところにあるプロジェクトサイト2箇所に出かけてきました。目的は、プロジェクトが支援するピーナッツ加工女性グループとミルク加工女性グループに対する基礎調査です。


この地域は自然環境という意味でも、文化という意味でも、アジスアベバとはずいぶん異なる様相をしている。まず空気が非常に乾燥していてホコリっぽく、車窓からはロバやヤギに混じってラクダ(夜になるとハイエナも)がゆうゆうと群れをなして歩く光景が目に入る。また人々もソマリ族のイスラム教徒が多いことから、女性はしばしば鮮やかな布で顔や体を覆っており、男性は腰からスカートのような布を巻いているのが特徴的。


中でもピーナッツ加工グループが活動しているバビレ郡は、「チャット」と呼ばれる、覚醒作用のある葉っぱの一大生産地域。「チャット」は、若く新鮮な緑の葉を口に含んでひたすら噛み潰してその汁を吸い、口の中で非常に細かくしてから最後は呑み込んで消費する。空腹感が抑制され、高揚感が得られることから、この地域の農民達は朝一番にチャットを噛み、朝食もとらずにその高揚感と共に農作業に出かけるのが通常らしい。


世界の多くの国では非合法のこのチャット、エチオピアではれっきとした嗜好品(合法)で、アジスアベバでも庶民の男性達の間にはごく一般的。町でも売っているところをよく見かけるけれど、ある程度上層の人々や敬虔なクリスチャンの間では「あいつはチャットばかりやって、何も仕事をしやしない」といった感じで、やや否定的に受けとめられている。


しかし、そんなネガティブなイメージも、一大生産地のこのエリアではまったく別。大人も老人も女も男もヤギも羊も、チャットチャットチャット。。。嘘か本当か、1日でウン百万ブルという額のチャットが取引されるという、とある市場の周辺には、路上に座り込み、無表情に朝摘みチャットを売る農民の女性たちや、チャットの枝葉をぎゅうぎゅうに詰め込んだ大きなサックをトラックに積み込む男たちとその作業を手伝う子ども、ハイになりすぎて一人踊っている老人や、すごい形相で独り言をぶつぶつと言いながら歩く男、チャットの枝を囲んで座り込み、ぼーっと宙を見ている若者グループ、輸送用トラックからこぼれ落ちた残り葉に群がるヤギや羊たちーー別の場所では、奇声をあげすごい勢いで駆けてつけてきた恰幅のいい女性にいきなり抱きつかれ、頬にキスをされるというハプニングもあった。ずいぶんフレンドリーな人だと思ったら、彼女は"out of mind"なのだと誰かにささやかれた。ーー大型トラックが通るたびに舞い上がる赤い土ぼこりの中のその喧噪には、どこか異様なシュールさがあった。それでも、この地域の人々の生活を支えているのは、間違いなくこのチャットなのである。


上物のチャットは1kg 20ブル-30ブルで取引され、 1kg数ブル単位で取引されるのが通常のピーナッツやその他の農作物の値段と比べると、「超」高価。買い付けられたチャットは、アジスアベバやその他の地方都市はもちろん、エチオピアと同様に規制の緩いイエメンやソマリアなどに輸出され、この国の貴重な外貨獲得手段となっている。


しかし不思議なことに、今回の調査で気づいたのは、これらの高価なチャット生産を以てしても、村の農民たちの生活はまったく潤っているように見えないこと。今回、近辺の村にある農家を何戸か訪問して調査を行ったが、家に満足な食糧がなかった月が年に2ヶ月、3ヶ月と続いた家庭が非常に多く、肉の摂取もひと月に1度あればいい方だった。もともと零細農民が人口のほとんどなので、そもそもの所有する農地面積の小ささや、乾燥した気まぐれな気候が影響していることもあるのだろう。現金収入を得るため、村人たちは7km離れた町に自分たちの小さな畑でとれたチャットや野菜を歩いて売りにいく。村は、家事手伝いをするために学校に行っていない子どもたちで溢れていた。


バビレの町で、スタッフと一緒にカフェのテラスでコーヒーを飲んでいると、「ファランジ!ファランジ!(白人)」「チャイナ!チャイナ!」と叫びながら、どこからともなく子どもたちが集まってきた。みな互いに顔を見合わせながら、興味半分、怖さ半分という様子でそれ以上近づくのをためらっている中、“ハロー”とこわばった笑顔で前に進んできたのは、薄汚れた服の少年たち3人組。年は中学生くらいだろうか。思い切って前に出てきたものの、さてどうしよう、そう戸惑っている彼らは、一見悪ガキ風を装っているようだったが、この赤土まみれの荒んだ町にまだ埋もれていない、子どもらしい無邪気さを保っているように見えた。


ふと「君たち、将来の夢はなに?」と、プロジェクトスタッフのS女史を通じて聞いてみた。外国人からの思いがけない質問にびっくりした彼らは、最初お互いの顔をきょとんと見合わせていたが、やがて一人が恥ずかしそうに、「お医者さん」と答えた。続いて二人も照れた様子で「パイロット」と答えた。


今度はわたしが、新鮮な驚きで胸がいっぱいになる番だった。わたしも小さい頃、お医者さんになりたいと答えていた時期があった。そして、この少年たちは一体いつ飛行機なんて見たのだろう?
どんなところに生まれても、子どもには夢を見る力があるーー。
自分で無責任な質問を投げておきながら、そんな事に心が揺さぶられた。


「じゃあその夢をかなえるために、あんたたちこんなところで油を売ってないで、家でも学校でもいっぱい勉強しなきゃだめよ。」博士号を持っているS女史が、まるで担任教師のように少年たちにそう言い渡すと、彼らは「今日は土曜日だから学校はないんだよ!」と最初すねたように言い返したが、そのあと「うん、わかったよ。」と素直に答え直した。


と、その直後。
こらぁーーー!!商売の邪魔だ、お前ら、さっさとあっちに行けっ!!と、カフェの店員が少年達に猛烈な剣幕で怒鳴り声をあげた。別にいいのに、と静止しようとするわたしたちにまるで耳を貸さない店員は、「パイロットになりたい」と言っていた少年の足を蹴り付け、蜂の子を散らすように逃げる周囲の子どもたちに石を投げつけた。逃げながら、恨めしそうに店員を振り返った少年たちの眼差しから、先ほどの輝きは消えていた。


どうかこの町に、彼らの夢を守り育てる場所がありますように。環境に負けず強く生きてほしいと、心から願わずにはいられない出来事だった。

◇◇
写真は、町で妙に懐いてくれた兄弟。ちょっとぼんやりした弟を守るようにいつもぴったりとくっついて、弟想いの素敵なお兄ちゃんでした。