sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

デレジェの再就職(への道のり)①

sayakot2013-02-10

多くの方にご心配いただいた、門番氏デレジェの再就職先が、決まりました。現在既に、私の友人夫妻(日本人)のお宅で、門番として元気に働いています。沢山の方たちにご心配頂いたにも関わらず、ご報告が遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。。。


友人夫妻宅での今の仕事が決まったのは、前回のブログのエントリーでアナウンスをしてから1ヶ月半後、私が家を引き払う、わずか5日前のことだった。デレジェを雇ってもいいと申し出てくれたこの夫妻宅には、実は既に警備会社から派遣されているガードマンがいたのだが、安全対策とシフト体制の都合上、1名増やそうかとちょうど考えていたとのことで、個人契約で追加で雇ってもらえることになったのだった。心配していた夜間学校も、夫妻の配慮でシフトを夕方までとしてもらい、無理なく通えており、また1日毎のシフトなので、仕事がない日には、パートタイムで庭師をしたり、他の家での門番の仕事を引き受けたりと、収入面でもこれまで以上に充実しているそうで、「本当に幸せそうよ」とメイドのメクデス嬢から聞いている。


それにしても今回の一件では、驚くほど多くの方にご心配いただいた。
エチオピアでは、これまで面識のなかった日本人の方たち複数に、「ブログ見ました。あのガードさんどうなりましたか?」と、声をかけられ、また遠く日本からも、少なからぬ方たちから、「彼の学費を援助したい」という申し出をいただいたり、また「知人(のそのまた知人)がアフリカで仕事をしているので、何かの助けになるかもしれません」と連絡先を送ってもらったりした。


これまでアフリカとはほとんど縁のなかったであろう日本の方が、ふとしたきっかけで、エチオピアアジスアベバに生きる1人の門番の苦境を、「他人事とは思えない」と感じてくれたこと、何かできることはないだろうかと胸を痛めてくれたこと、実際に行動しようとしてくれたことーーその一つひとつが、私には、たまらなくありがたく、また、目には見えない無数の「関係性」で相互につながりあっている “inter-connected”な現在の世界を、象徴的に表している出来事のように感じられた。


以下、職探しが成功するまでの1ヶ月半の道のりを複数回に分けてご紹介します。


◇◇◇◇ 
学歴もコネもないデレジェが、企業やNGOに雇用してもらえる可能性はほとんどないことが判明したので、手始めに行ったのは、アジスアベバ在住の外国人が多く登録しているメーリングリスト(ML)に情報を流すことだった。このMLでは日々、ガレッジセールの案内や、ルームメイトの募集、子犬の里親募集といった、さまざまな情報交換が行われている。


「信頼のできるガードマンを知っているので、興味のある人は是非連絡してほしい」、そうMLに流してからわずか1日、北欧系の名前の女性からメールが届いた。夫婦で最近アジスアベバに引っ越してきたばかりで、新居のガードマンをちょうど探していたとのこと。週末だったこともあり、私は即座に彼女に電話をし、同日、彼女の家にデレジェを連れて面接に行くことになった。


 緊張しながら黒い大きなゲートを叩くと、迎えてくれたのは、ハンサムなイラン人男性K氏と、ブロンドで控えめな印象のノルウェー人のカップルだった。2人とも30台半ばくらいだろうか、知的でフレンドリーで、いかにもUN系の国際機関で働いていそうなタイプの人たち。これは期待出来るかもしれない、と私は直感的に思った。簡単な雑談を済ませると、私たちは小ぎれいに手入れされた庭のテーブルに通され、K氏と向かいあって座った。(奥さんは挨拶を済ませると、家の中に入っていったきり戻ってこなかった)。K氏は、最近飼い始めたばかりという小さな子犬2匹を腕に抱き寄せながら、デレジェの雇用条件を説明してくれた。


なんでも、K氏宅には既に1名の門番(「夜ガード氏」とする)がいるが、その夜ガード氏を機械工の専門学校に通わせることになったので、デレジェにはその間の昼シフト(朝8am-5pm)を担当してもらいたいとのこと。給与は、私がこれまで支払っていた額(1400Birr)を引き継ぎつつ、働きぶり次第で昇給も検討してくれると言ってくれた。
我が家ではこれまで、デレジェには24時間交代シフトで働いてもらっていた。例えば月曜朝に出勤した場合、夜はそのまま家に併設されたガード部屋に泊まり、火曜朝にもう1人のガードと交代、次は水曜朝に出勤、という体制だった。K氏の提案は、その体制とは若干異なるが、いずれにせよ昼シフトのみであれば、毎日夕方17時には解放されるので、夜間学校には支障がない。私はほっと胸をなでおろし、なんとあっさりといい話が見つかるものだと、既に話がまとまった気になっていた。


しかしふとデレジェを見ると、夜ガード氏のたどたどしい通訳を、どこか不安げに聞いている。いきなり見ず知らずの外国人の家に面接に連れてこられ、きっと突然の展開に緊張しているのだ、私はそう解釈した。だが、一通り通訳を聞き終えたデレジェに、「(K氏の条件で)いいよね?」と尋ねると、返ってきた言葉は「ノー」。思いがけない返事に、私とK氏は顔を見合わせた。デレジェの顔は緊張で凍りついている。
私は慌て、また混乱した。K氏夫妻が良識的な人たちであることは、英語の分からないデレジェにも雰囲気で十分伝わっているはずだ。雇用条件だって、基本的に今までとそう変わらない。きっと、突然に面接に引っぱりだされ、新しい環境に混乱しているのだろう、私はそう理解した。私は夜ガード氏に通訳してもらいながら、K氏の条件を再度ゆっくりと説明した。しかしデレジェは、しょんぼりと申し訳なさそうな表情を浮かべながら、それでも頑なまま。何がそんなに問題なのかと理由を聞き出そうとしても、自分は今までと同じ24時間シフトがよいのだと泣きそうに言う以外、口を閉ざす。K氏も、きっと夜ガード氏の通訳が不十分だったのだろうと、何度も言い方を変えて、通訳をやり直しさせるが、一向にラチがあかない。


結局K氏には、3日以内にまた連絡するということで同意してもらった。K氏は“No problem。彼もきっと突然のことでまだ状況を整理出来ていないのだろうから。”と、何でもないというふうに言ってくれた。私はますますK氏の人柄の良さを確信し、なんとしてもデレジェを説得しなければと思った。デレジェの信頼するメイドのメクデス嬢に協力してもらえれば、きっとデレジェも納得するはずだと確信していた。


月曜日、私はオフィスからメクデス嬢に電話で状況を説明し、デレジェにもう一度考え直すよう説得してほしいとお願いした。“Ok, I will do my best”と彼女の返事は頼もしかった。だが数時間後、再び彼女に電話すると、「デレジェが考えを変えることはないと思う」と返事が返ってきた。


メクデスによると、デレジェはK氏の条件を完璧に理解していた。しかし、日中のみとはいえ、週7日、1日の休みもないのが厳しいのだという。正直なところ、それを聞いて私は少し意外な気がした。たしかにこれまでの我が家の方式であれば、24時間連続勤務の代わりに、1日毎にまる1日の休みがある。しかし、もしかしたら路上生活に戻ってしまうかもしれない、学校にもいけなくなるかもしれない、そうした差し迫った状況下であれば、学歴もコネもないデレジェにとって、安定的な収入を確保できることが最優先だと思っていたからだ。無職の人々で溢れるこのアジスアベバで、安定的な仕事があるというのは非常に恵まれたことなのだ。
しかし、自分に当てはめてリアルに想像してみれば、デレジェの言い分はよくわかる。家族もなく、週7日間、1年間365日働き通しで、自由な時間は夜だけという生活に、一体どれだけの安らぎがあるだろうか。デレジェの主張を贅沢だという人は、エチオピアには沢山いるだろう。だが、少なくとも私には、それを決める権利はない。立場が立場だから、生きていけるだけで十分ではないかという発想が自分の中にもあったことを、私は恥ずかしく思った。もちろん、現実問題、どこまでできるかは分からない。結局は妥協しなければいけないかもしれない。が、時間の許す限り、デレジェが本当に幸せだと感じられる仕事を見つけよう、と私は決意を新たにした。


その日のうちに、私はK氏に事情の説明と御礼のメールを打った。
K氏からは、"No problem. I understand. Good luck!"と、爽やかな返事が返ってきた。
さあ、もう後がない。



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写真は、犬のブラッシングをするデレジェ。(以前の家にいた頃)