sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

投石事件に思ったこと

sayakot2012-02-03

先日地方に出かけた際の、ちょっとした出来事。
場所は、エチオピア北西部アムハラ州デブレマルコスからデジェン郡に差しかかる、田舎道。数週間前に収穫が終わり、刈り取られた穂が黄金色のかまくらのようになっていたるところに積み上げられた、のどかな風景が続くところ。そんな中、前方から歩いてきた老女が、わたしたちの乗る車輛をめがけて突然、大きな石を振り投げてきたのだ。小さな体にありったけの力をこめて投げられたその石は、フロントガラス下方に直撃し、大きなヒビを入れた。幸いにも穴が空くには至らず、また、ドライバーが冷静に緩やかに車を止めたので、誰にも怪我はなかったが、後部座席にも小さな破片が少し散らばった。



車が完全に止まり、すぐに道の後方を振り返ると、意外にもその老女は、逃げるでもなく、こちらを睨むようにして道路脇の畑に座り込んでいた。痩せた体、深く刻まれた顔の皺、乾ききった裸足の足、薄汚れたコットンの伝統的な白い布をまとった、典型的な農村女性。


「このヤロウ、なんてことをするんだ」と興奮さめやらぬドライバーが近づくと、女は身近にあった小石を掴み、投げて威嚇したが、やがて石が尽きると抵抗をやめ、「逃げも隠れもしないよ、さあ警察に行こうじゃないか」と啖呵をきった。ドライバーが彼女の腕を掴むようにして、車に連れて行こうとすると、彼女はそれを振り払い、自分の足でさっさと後部座席に乗り込んできた。通常農村の人々はわたしのような外国人を見ると、何かしら驚いた表情をするものだが、彼女は車内にわたしを見つけても全く無関心だった。


車が近くの郡警察署に向かって走り出すと、彼女は持っていた風呂敷のような古い布きれから、緑のさやのついた、摘んだばかりのヒヨコマメの草を掴み、あんたらにくれてやるわと前方に投げつけてきた。そしてぶつぶつと独り言を始めた。同僚のエチオピア人の訳によると、「あたしはただ食べ物が欲しかっただけなのに、あんたらが無視するから石を投げてやったんだ」とか、「あたしらキリスト教徒の土地はアラムディ(エチオピア随一のイスラム教徒の投資家)に二束三文で売られちまった。あたしはそんなことを許す今の政権が許せないんだよ」とか、自分は夫に先立たれ、他人の畑から農作物を盗みながら着の身着のままに暮らしているのだとか、そうしたことを脈絡なく言っていたらしい。明らかに普通の状態ではない、と同僚は私にささやいた。


警察署に連れて行かれた彼女は、たまたま集まっていた10人ほどの警察官の前でどすんと地べたに座り込み、否定なんてしないさ、あたしがやったんだよと大声で言った。一人の警官に動機を問いただされると、先ほど車内で言っていたようなことを繰り返した。「あたしの土地は異教徒の大金持ちに盗られたんだよ。教会さえ、わずかな金で売り払われちまった。手元に残ったのは、やせた土地と牛1頭だけだ。何の未練もない、さあ、あたしの家にあんたらを連れていってやるから、みんな売っぱらって、弁償にでもなんでもすればいいさ。夫はずっと前に死んだよ、あたしの兄弟は殺された。貧しい子どもらにわたしを養うことなんてできやしないんだよ------!」


一通りわめきちらすと、彼女は突然静かになり、先ほどの風呂敷包みいっぱいのヒヨコ豆の草をとりだし、緑のさやがついているものと、ついてないものとを無心に選り分けだした。わたしたち一同はその唐突な断絶に面くらい、彼女の丸まった背中をただ見守るしかなかった。さやを選り分けるその確かな巧みな手つきは、もう数十年畑を耕してきた農民のそれで、その混乱した精神をもってしても、生まれた時から体に流れている農民の血は決して薄まることはないのだということを感じさせた。


唯一英語を話す、上官風の警官に、彼女を今後どうするのかと尋ねたところ、家族に引き渡して、こういうことが再度起こらないよう家族に見張ってもらうしかないね。まあ、あんたらの損害はこちらで必要な調書を作ってやるから保険会社が全てカバーするだろう、心配するな、とのこと。もっとも、同僚たちの読みでは、郡の警官が、どこにあるかも不確かな農村にわざわざ出向くはずなどなく、調書を作り終えたらそのまま厄介払いするだけだろうとのことだった。


わたしたちはエチオピアの農民に農業指導を行うNGOだ。無責任にふてぶてしく開き直る彼女に対し、最初の頃こそ、いわれのない怒りをぶつけられたことに対する憤りを強く感じずにはいられなかった。だがふと彼女に目をやると、所持品は、汚れた風呂敷とヒヨコマメの草だけ。自分で選り分けたマメを、生のままむさぼりつくその後ろ姿には、どうしようもない孤独と、絶望があった。


ようやく落ち着きを取り戻したドライバーが、車内に残っていたパンをそっと差し出すと、彼女は「あんたらはさっきあたしがくれてやったヒヨコマメを食べなかったろう。どうせ食べ物に困ったことがないんだろうね。そんなやつらからのほどこしなんて要らないさ、それにあたしはインジェラ(伝統的なクレープ風のパン。エチオピア人の主食)が食べたいんだよ!」と言って、パンを振り払った。そんな彼女を、若い警官達は滑稽な見せ物を見るように笑っていた。


昨今エチオピアは、他の多くのアフリカ諸国同様、外国からの投資が増え、首都アジスアベバを中心に都市部では商業ビルやホテルの建設ラッシュが続いている。農業分野においても、これまでは自家消費を中心とした零細農家がほとんどであったが、最近は輸出用の農作物を生産するための広大な商業用農地が生まれつつある。女の言っていた「アルムディン」も、新聞やニュースで連日もてはやされる、「大成功」組の投資家の一人だ。



ある意味で彼女は、この国にゴマンといるであろう、声なき人々を体現しているのではないだろうか。独りよがりの感傷かもしれないが、人生の大部分を、ごく普通の、貧しいけれども勤勉で敬虔な農民の一人であったはずだった女。それが、ほんの少しの歯車のずれで、あらがえない何かによって、――――それが急速な近代化のうねりなのか、気候変動なのか――― ささやかすぎるはずの生活を失ってしまったようにみえて仕方なかった。今の彼女を支配しているのは、精神を狂おすほどの、世の中に対するそして人生に対する憤りだけ。その年老いた体で、日々の飢えを畑から盗んだ農作物でしのぎ、誰にも気に留められることなく、生きる人生。違った場所に生まれていたら、まったく違う人生が彼女を待っていただろう。

わたしたちに出来ることは、悲しいほど何もなく、間もなくして調書を受け取ったわたしたちは、苦い無力感を感じながら、その場を後にした。