sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

エチオピア復活祭

sayakot2011-04-26

先週末はエチオピア最大の宗教である正教会イースター(復活祭)。先週の金曜日から今週の月曜までオフィスもお休みだった。


エチオピア正教徒の信仰深さについてはこれまでも何度かご紹介してきたが、イースターまでの55日間の「断食」期間は特筆すべきものかもしれない。「断食」といっても、何も食べないわけではもちろんないが、この間、彼らの食生活からは肉、乳製品、卵などの動物性の食物が一切排除され、穀物、豆類、野菜だけが日々の食事となる。断食のことをうっかり忘れて事務所のスタッフにケーキやらクッキーやらを差し入れても、誰も食べてくれないのだ。


イースターはその長い断食生活がようやく終わることもあり、女たちはその2、3日前から特別なお祝いための買い出しにとりかかり、当日はご馳走の準備に追われる。町の通りは、両腕に鶏を抱えて市場から足早に帰路につく女性や、必死で逃げようとする羊たちを鞭で打って追う男たちでどこか慌ただしいが、一方で、民族衣装であり信仰の象徴でもある白い布「ナテラ」をまといしゃなりしゃなりと歩く女性たちや、いっちょうらの服を着せられて大人に手をひかれるおすました子どもたちの姿もあって、いよいよ特別な日がやってきていることを感じさせる。


“Good Friday”と呼ばれるイースター直前の金曜日の午後2時半。大家氏に誘われて、大家氏夫妻と3人の息子たちと一緒に近所のマダハニアレム正教会へ出かけた。教会の多いアジスアベバの中でも、ひと際目立つ、巨大で立派な教会だ。白い木綿の布を奥さんに貸してもらい、わたしも他の信者の女性たちに紛れるように顔を少しだけ覆う。気分はすっかりにわか信者。


出発のとき、大家氏が‘ござ’を車に積んでいるので何かと思ったら、それは教会の敷地で敷くためのもので、家族で腰を下ろし、スピーカーから流れてくるお祈りを聞くためのものだと後で分かった。教会に到着すると、建物に入りきらず溢れた何千という信者たちが既に敷地のあらゆるスペースに座り込んでいる。桜もビールもカラオケのどんちゃん騒ぎもないが、こうして家族毎に集まりござの上で心を寄せ合う姿は、日本人にとっての花見のようなものかもしれない。


さて敷地では、よく見ると、スピーカーの祈りの音に合わせて人々が立ったり座ったりを繰り返している。しかも、ただ座るのではなくて、四つん這いになり土下座をするかのように額をしっかりと毎回地面につける。そして休みなく、また立ち上がり、座り、を繰り返すので、単純ながらも実はスクワットのようにハードな動きであることがみてとれる。聞くと、それは罪を浄化するための祈りだそうで、毎年この時期のみに行われるものだとのこと。本来であれば告白される罪の大きさによって、司祭が個々人に「200回」「50回」等の回数を申し渡すものだそうだが、わたしたちの周りには司祭らしい人は見あたらず、各自がめいめいに心に決めた回数を実行しているようだった。わたしも見よう見まねでやってみたけれど、50回を越えたところでギブアップ。残りの時間は同じく早々にギブアップした大家氏の奥さんと一緒に座って流れてくる祈りの言葉に耳を傾け、汗を光らせひたすら祈りを続ける大家氏とその息子たちの様子を見守った。
子どもも大人も、貧しい者も富める者も、額を地べたにつけてひたむきに祈りを捧げるその光景には、長い歴史を信仰と共に生きてきたエチオピア正教徒たちの高潔さと連帯感を感じずにはいられなかった。


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さて。断食の「解禁」は日曜日の朝3時(!)。この日は「ドロワット」と呼ばれる鶏肉と卵の入ったシチューのご馳走を、酸っぱいエチオピア風パンケーキともいえる「インジェラ」と一緒にぐちゃぐちゃと混ぜて食べるのが一般的。日曜の朝、自宅でテニスに行く準備をしていたところ大家氏が電話をくれ、このご馳走のご相伴に与ることになった。ほかのエチオピア料理同様、唐辛子スパイスの味が強く、また油をたくさん使うことから、朝食にしてはかなり重たいのだが、大家氏のリビングでは一家が朝からもりもり食べていた。聞くと、この日大家氏は朝3時にご両親の家に挨拶にでかけ、そこで親戚一同でドロワットを食べ、そして自宅に戻って睡眠、そしてまた朝、改めて今度は家族だけでドロワット朝食をいただくというスケジュールだったのだとか。たくましいなあ。(ちなみにわたしは運動前だったので少し控えめにいただきました。。。)

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写真は、教会の敷地の片隅で、ひたむきに祈りを聴く若い女性。