sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

RIP. Dear Chris

sayakot2011-11-23

日曜日の夜。思いもよらない訃報だった。2週間前、マリで会ったばかりだった。滞在先のマリのホテルのロビーで数ヶ月ぶりに会うと、“Hi, Sweetie”と、いつものようににこにことして、温かいハグで迎えてくれた。何ヶ月も続いた深い咳がようやく収まって、前よりも元気そうに見えた。話したいことは色々とあったけれど、わが組織Sasakawa Africa Association (SAA)のExecutive Directorである彼は、年に1度の理事会とSAA25周年記念行事という大きな2つのイベントでとても忙しかったから、次の機会でいいと思っていた。また1ヶ月もしないうちに、エチオピアに出張して来るはずだったから。それが、メキシコの自宅で突然倒れ、彼は帰らぬ人となってしまった。


2, 3ヶ月に一度、彼は出張でエチオピアに来た。タイトなスケジュールの合間をぬって、よく2人きりでお茶やランチに連れ出してくれた。仕事の話、恋愛の話、日本の家族の話を、いつもうんうんと嬉しそうに聞いてくれた。ずいぶん前に話した細かなことまで覚えてくれているので、よく驚かされた。


わたしが、農業の専門性が強くベテランスタッフの多いSAAで、自分に一体何ができるのかと悩んで自信を失ったときも、彼はいつも力強い味方でいてくれた。“君はほんとうによく頑張ってくれているよ、今のSAAに必要なのは、そういう若いエネルギーなんだ。君のプロジェクトでの経験を、ぜひ僕やSAAの皆に教えてほしい。君はいま、SAAにとってもすごく大切なことを経験しているんだよ――。” 一年の半分以上、世界中を飛び回り、世界のトップクラスの農学者やフィランソロピスト(慈善家)や政治家や、現場の人々との親交を持つ彼にそんなことを言ってもらっても、真に受けてよいはずもないのだが、それでも彼は、心からそう信じていてくれているようで、それがただただ本当にありがたかった。彼の眼差しは、いつも温かかった。「――でも、仕事も大事だけれど、プライベートも大切にしなければいけないよ。遠距恋愛なんて僕は信じないんだ。」と、茶目っ気たっぷりにそんなアドバイスもくれた。


どこまでも頑固で、でも純粋な人だった。子どもが大好きで、女性スタッフが生まれたばかりの赤ちゃんを彼に見せにくると、必ず、目を細めて抱き上げ、愛おしそうにキスした。その写真を撮ってあげるととても喜んで、必ず送ってくれよと念を押した。


そしてアフリカの農民の話になると――とりわけ、農村の貧しい女性たちの支援の話になると、いつまでも話が止まらないことは有名だった。彼はよく、熱くなりすぎてまっ赤になった自分のはげ頭を無意識に撫でながら、わたしたち一人一人の目をまっすぐ見つめて、SAAがアフリカの農民のために描くべき道のりを、ビジョンを語った。SAAと共に25年をアフリカに捧げた彼には、アフリカの農業の現状を本当に変えるために、自分たちが果たしてきた役割も、その限界も、これから歩むべき道筋も明確に見えていたと思う。


彼はプロジェクトには常に、効率性を求め、そして事業終了後もその効果が持続的できるか、他地域にも応用・拡大できるかを厳しく問うた。わたしの担当するプロジェクトの受益者が、女性組合のメンバーわずか5-600人であることに対しては険しい顔をして、“いくらドナーが助成金をくれたからといって、余計な予算を投入してはだめだよ。いくら現場から要望があったとしても、実際には使いこなすことも出来ない機材を投入したりしたら、それは見てくれのよい「ブテッィク」の飾り物を作っているのと同じなんだから――。” と、厳しい口調で言ってくることもあった。多くの開発現場で起きている、持続性も他地域への広がりも見込めない「ブテッィク」プロジェクトは、彼が最も嫌うものだった。でもそうした話の後は必ず、「さっきはついきつい口調になって悪かったね。でも君なら僕の言っている意味が分かるはずだ。僕は君がきっといいプロジェクトにしてくれると信じているからね。」と、フォローのメールを送ってくれた。


もっと話をすればよかった。以前の写真を振り返ってみて、彼と一緒に写った写真が一枚もなかったことに驚いた。また何度でも会えると本当に思っていたから。最後に彼とやりとりしたメールは、マリから帰国した後。「すごく気に入ったから、来年のSAAカレンダーに使おうと思ってるんだ!」という無邪気なメッセージと一緒に、農村の若者に肩を組まれて笑顔になりすぎて顔がくちゃくちゃになった私の写真が添付されていた。これが最後のメールになるとも知らず、「光栄だけど恥ずかしいからno thank youだよ」と、かわいくもない返事をしてしまった。そしてそれが最後になった。


月曜日の朝10時、会議室にスタッフ全員が集まり、黙祷と祈りを捧げた。同僚たちが祈りを捧げる間、わたしはただ、彼のにこにこした笑顔を思い出していた。耳を澄ますと、“Hi, Sweetie”という言葉が今にも耳元に聞こえてくる気がした。


その日は終日、各国事務所のスタッフのメーリングリストに彼を悼む声が飛び交った。「彼を失ったことは、私たちにとって大変な損失です。」「神様は私たちには分からない別の計画を彼にお与えになりました。」「彼の魂が永久の平和に導かれますように。」そんなフレーズが何十通も繰り返され、それを読む度、彼がわたしに残した色鮮やかな思い出が、単調な一色に塗り替えられてしまった気がし、冷めた気持ちがした。彼がいなくなったことを本当に悲しむことができる特権を自分だけが持っているような、そんな錯覚があった。


2日たっても、3日たった今でも、オフィスはひっそりと静まり続けている。ふと気づいたのは、彼と何十年も「同志」として「兄弟」として共にアフリカの貧困と「闘って」きたシニアスタッフの沈痛な面持ち。就任以来、組織の方向性を巡って何度も彼と激論を闘わせてきたJ女史の泣きはらした顔。他の同僚たち一人ひとりの表情に刻まれた、深い喪失感ーー。今更ながらわたしは、彼がいかに周囲の一人ひとりに対してーージェンダーも地位も国籍も関係なくーーその人だけのための特別な愛情を注いできた人であったかということに気付かされる。彼はいつも人間のポジティブな面を見つけ、それを本当に信じていた。そして今わたしは、人生の中でそういう彼に出会えたということが、自分にとってどれほど幸福で特別なことであったかということを、改めて感じている。