sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

マンゴーの木の下で。

sayakot2011-02-13

2月8日から、5組合目のベースライン調査に出かけてきた。残るは4組合!


今回訪ねたのはアジスから車で340km、南部諸民族州ウォライタ県フンボ郡の女性組合。この組合を訪ねるのは今回が2度目だが、いつ来ても、地域の人々のおおらかさと温かさにほっとする。地元ウォライタの言葉で「ハイマレー!」と挨拶をすると、子どもから大人まで皆、「ロッ・オー」と笑顔でハグをしながら応えてくれる。この組合は共同農地を持っており、よく手入れされた農地でメイズ、小麦、マンゴー、グアバ、にんじん、唐辛子、桑などが育てられている。農作業は共同で行われ、休憩時間になると皆マンゴーの大きな木の下に集まり、生豆から炭で焙煎したコーヒーを囲んでぺちゃくちゃと楽しげにおしゃべりをする。よく働き、よく笑い、気持ちのよい人たちだ。


滞在期間中、彼女たちは農園の木からもいだばかりの、びっくりするほど甘いマンゴーや、大切なトウモロコシや豆を煮込んだ特性のお粥を惜しげもなく持ってきてくれ、わたしたちの手元にコーヒーが途切れなくあるよう細心の気を遣ってくれた。何も知らなければ、なんと平和で豊かな田舎の生活かと思われるかもしれないが、しかしこの地域は実は、プロジェクトが支援する9組合の中でも、特に厳しい環境に置かれた組合の一つである。年間を通じて乾燥しがちで、雨季でさえ降雨量が不安定なこの地域は、2年前の干ばつでは多くの餓死者をだしている。この地域は最貧国エチオピアの中でも特に「食糧安全保障(food security)」が脆く、多くの住民達が恒常的に政府やNGO、国際機関から食糧援助を受けている。「私たちはあのひどい干ばつの中でも、この農産加工の活動のおかげで、一人も餓死者を出さなかったのよ」と誇らしげに言う彼女たち。それでも、「飢餓」と隣り合わせに生きる人々が、何故こんなに優しい表情ができるのだろうとスタッフに聞いてみると「この地域に生きる人たちは、貧困を神様からの贈り物だと思っているのよ」と返事が返ってきた。


最終日、そんなつもりで出したのではないという彼女達に対し、わたしたちは滞在期間中に食べた大量のマンゴー、コーヒー、お粥の代金を支払った。金銭的な価値には決して変えられない彼女達のおもてなしに対し、心からの感謝を示す一方で、まずはわたしたちが彼女達に、サステイナブルに組合を運営するための考え方を示す必要があると思ったからだ。


もちろんそこに、難しさは常にある。「貧困は神からの贈り物である」という信仰こそ、おそらく、彼女達がこの理不尽な環境の中でも、愛情と謙虚さを持ち続け、互いに助け合い生きてこられた理由だからだ。そんな迷信を信じているからあなたたちはいつまでたっても貧しいのだと、干ばつが村を襲うたびに無力に家族を失うのだと、外部の人間が言うのは簡単かもしれないが、ただ経済合理的なシステムを導入しそれがその信仰にとって代わった先の社会に、彼女達の今の心の豊かさがどれだけ無傷で残されているか。
ただし、子どもに十分に食べさせてやりたい、靴をはかせてやりたい、学校に行かせたい、病気の家族に薬を買ってやりたい、水道や電気が身近にある生活を送りたいーーそうした当たり前の切実な願いを、ノスタルジックな幻想にとらわれすぎる余り見逃してしまうのも、やはり違ううような気がする。どこにバランスを見つけるか、それが開発プロジェクトの最大のジレンマかもしれない。

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女性グループの共同農地に遊びにきていた少年。マンゴーの木の下で壊れたリヤカーの上にまたがり、アフリカン・ドラムのように叩いて演奏してくれました。