sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

マスカル祭

sayakot2010-09-28

先日の日曜日は、同時期にSAAにジョインした「同期」仲間の穀物増産ディレクターA氏(ドイツ)と、モニタリング&評価事業ディレクターJ氏(ケニア)を誘って、エチオピアの大イベントの一つであるマスカル祭を見物に。


マスカル祭は4世紀、ローマ帝国コンスタンティヌス帝の母、敬虔なヘレナ女王が、かがり火の煙に導かれ、地中からキリストが磔刑された十字架を発見したという逸話から始まったもの。エチオピア人は今も、この「真実の十字架」の一部が、エチオピア北部のGishen Mariam修道院に残されていると信じています。


向かった先は、その名もマスカル広場。メインイベントである巨大な櫓(やぐら)への灯火は19時頃からだというのに、16時半頃にはすでにかなりの人だかり。広場には毎年10万人が集まるという話は聞いていたけれど、実際に狭いゲートに押し寄せる無秩序な人々の群れを見て思わずたじろいでしまう。しかし、もう引き返したら、というロジカルで現実的なドイツ人A氏の提案をJ氏とわたしはあっさりと却下し、結局3人+J氏のドライバーTと4人で突入。


もみくちゃにされながら、なんとか高台の比較的見晴らしの良い場所を確保し、周囲の人々の猛烈な熱気を前に、今から何が始まることかとどきどきしながら待っこと2時間。待てど暮らせど、何も起こらない。続くのは、広場前方中央の壇上から聞こえてくる、エチオピア正教の高位聖職者のお祈りと知事のスピーチ、そして連邦警察のバンドによるブラスバンド演奏が、遠くから聞こえてくる程度。この間、華やかな歌や踊りの演出もほとんどなく、飲み物・食べ物などの出店も一切見られず、それでも辛抱強く、立ちっぱなしで前方の台を見つめるエチオピアの人々に、3人ともいたく感心。巨大な広場を埋め尽くす無数の人々に、ふと、数ヶ月前にウガンダエチオピアレストランで起きたテロ爆破事件を思い出し、やっぱりおとなしく家でTV中継を見ていればよかったかもねと言い合ったりなどしていた。


ようやく日が落ちはじめると、どこからとなく人々の間からあちこちでキャンドルが灯り始め、やがて会場が幻想的な明かりで包まれる。そして更に30分ほどした後、ようやく、中心のやぐらに火が灯される。最高潮の熱気に包まれた人々は、総立ち。わたしが前の様子をなんとか見ようとぴょんぴょんジャンプしていると、見かねた紳士で長身なJ氏が、子供のように抱き上げてくれた。やぐらの火は、最初はもくもくと猛烈に濃い煙を出してくすぶっていたが、やがて真っ赤な炎の塊となり、空を高く真っ赤に染めあげていた。炎を一心に見つめる人々のひたむきな視線に、正教徒としての彼らの一体感を感じる。


さて。この10万人が帰るのを待っていたら大変なことになるぞ、そう思って、炎が燃え尽きるのを前に早々に出ようと出発したのが大間違い。ゲートにたどり着く前に、同じような考えの人々の波が無数に押し寄せて来、押しつぶされるかと思いました。もっとも、これはやばいぞと感じ取ったドライバーTが、とっさにボディーガードのごとくピタリと後ろについて体を張って守ってくれたおかげでどうにか無事に脱出できたけれど、なかなか本当に怖かった。例年よくこれで事故が起こらないものだと感心。というよりも、もしかしたらここでは、事故が起きても「仕方ない」で済んでしまうだけかもしれないけれど。途中はぐれたA氏とも無事に再会し、皆一様に、もう来年からは行かないよねと頷き合う。


帰り道、通りのあちこちで、マスカルを祝う小さなかがり火が見られる。20時頃家に着くと、大家氏が、家の前で枝で作ったミニやぐらを用意していた。そして一緒に祝おうと、大家氏の家族全員と近所の人々と、皆で枝が燃え尽きるのを見守った。大家氏はその後、自宅の夕飯に招待してくれ、ありがたくご馳走になったのでした。