sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

10月の日々

sayakot2010-10-30

気づいたら10月ももう終わり、あっという間の1ヶ月でした。10月1日から、いよいよプロジェクトが始動。プロジェクトの口座にJICAからの入金が確認され、晴れて“ゴー・サイン”。念願だった現場視察とプロジェクト体制のセットアップ、今後の活動計画づくりに追われた1ヶ月でした。


★10/11-14:オロミア州南部2グループと、南部諸民族州2グループの訪問、関係者への挨拶(全行程約800km)
★10/18-21:北部アムハラ州2グループ訪問、関係者への挨拶(全行程約800km)
★10/26:オロミア州東部1グループ訪問、関係者への挨拶(全行程約180km)


このプロジェクトでは、エチオピア3州の計9つの女性グループ(農産物の加工組合)の、加工技術とビジネスマネジメント、組織マネジメントの能力強化を支援することになっている。しかしそれぞれのグループの拠点が分散していることもあり、移動にかなり時間を費やす。


ちなみに9つのうち7グループは、過去、SAAの活動の一環で、既に初歩的な加工技術のトレーニングを受けている既存組。ただしどのグループもビジネスや組織運営の知識や経験がなく、また、この1年半、諸事情でSAAとしても十分なフォローができていなかったこともあり、品質管理や組織運営の上で、まだまだ「自立」が難しい状況。また残る2グループは、加工技術のトレーニングも受けていない、新規グループ。これら全グループを3年間でいかに「自立」させるか、それがこのプロジェクトの課題です。


地方出張では、大抵初日は朝5時起き。6時に事務所の車(4WD)にピックアップに来てもらい、現地へ出発。8時頃、道中で朝ご飯、午後は到着先の関係機関に挨拶回りと女性グループへのヒアリングを行い、16時頃ホテルにチェックイン。翌朝は朝7時にホテルを出発し、次の訪問先へ、というのがパターン。地域にもよるけれど、地方は道が悪い上に日が暮れると灯りがほとんどないエリアが多いので、移動は常に明るいうちに済ませ、無理な移動はしないのが鉄則。もっとも、地域地域でまったく違った様相を見せる車窓のおかげで、車での長時間移動はむしろ楽しみの一つ。途中、道ばたで子供たちが売っている焼きトウモロコシやサトウキビなどを買って車中でかぶりつくのも、また楽しい。


一方、苦労するのは、関係者の多さ。エチオピアの行政単位は連邦(Federal)、州(Region)、県(Zone)、Woreda (郡)、さらに末端のKebeleという区分で、プロジェクトの主要パートナーである連邦農業農村開発省一つをとっても、その下には州農業局、県農業局、郡農業局と3段階で各中心地にオフィスがあり、それぞれの関係者と適切な関係を築く必要がある。一方、エチオピアの行政機構はトップダウンの性格が非常に強く、また、SAA自体、歴史的に連邦農業省とのつながりが強いため、プロジェクト形成の段階では、連邦や州関係者とのコミュニケーションが多くなりがちで、特に県以下の局に対しては最新の情報が届きにくい状況がある。しかし当然、実際のプロジェクト実施の際にキーとなるのは、やはり現場により近い県、特に郡のスタッフの協力なので、プロジェクト開始のゴー・サインが出たこのタイミングで、プロジェクト責任者として、州・県・郡各機関に対し、改めて、プロジェクト背景、目的、活動スケジュール等の概要報告と協力関係の確認を兼ねた挨拶回りに出かける必要があったわけだ。


各農業局では、“Office Head”と呼ばれる局長の他、農村女性の生活改善を専門とする生活改良普及員や農産品加工のエキスパートなど、キーとなる複数の担当者を周るが、関係者はそれだけではない。その他分野の重要なパートナー機関である組合振興局と女性局にもそれぞれ州、県、郡レベルで訪問し、同様に局長とエキスパートを回るため、単純計算すると、1女性グループにつき、農業局関連だけで州2名+県2名+郡2名=計6名、さらに組合振興局と女性局を併せると、最低18名を訪問した計算になる(州政府は重複があるけれども)。これまで7グループを訪問しているので、お役所関係だけでも、今月は100名以上の関係者に会ったことになる。名刺があっという間になくなってしまったのも、納得。。。


それにしても、いくら連邦政府との合意があるとはいえ、いきなり日本人の若者がやってきて、「はじめまして。あなたの管轄地域の女性グループを対象に、プロジェクトが始まりました。どうぞ協力を宜しく」と言われたら、やっぱり気分を害されるのではないかと、内心心配していたのだけれど、例外なく、どのオフィスでも非常に前向きに受け入れてもらったのは本当にありがたかった。


それは一つには、「『女性』のエンパワーメント」と「『農産品加工』による付加価値創出」というこのプロジェクトのキーワードが、この国の経済政策の重要キーワードと重なっていることがあるけれど、もう一つには、SAAのこれまでの活動の積み重ねが、大きな助けになった。ある県の組合振興局局長には、「若い頃、自分もSAAが推奨する改良種子の普及に注力したものだよ。あれで人生を変えた農民たちを今でも沢山知っているよ」と言われ、背中を押された。


そしてまたもう一つには、今回全行程に同行してもらったプロジェクトスタッフA女史が、農村女性の加工グループの形成と指導に情熱を燃やしてきた大ベテランで、数年間のブランクはあるものの、女性グループのメンバーからは今も母のように慕われ、現場レベルで既に一部関係者の信頼を築いていたことが大きい。


ある郡の生活改良普及員には「25年間私はこの仕事をしてきたけれど、女性達の生活に目に見える変化が生まれ始めたのを実感したのは、2年前、SAAが加工技術を彼女達に伝えてからよ。このプロジェクトには、本当にワクワクしているの」と言われ、またある女性グループのメンバーには、「3年前、私は母と小さな娘とプラスチックシートで夜露をしのいでいたわ。都会からきた人を見ると、怖くて恥ずかしくて目を合わせる事も出来なかった。今、私は加工の仕事で得たお金で、小さな自分の家を持つことが出来たし、誰に何を聞かれても答える自信がある。もっと知識を増やして、グループを強くしたいわ」と言われた。


いよいよ始まったプロジェクト。来月からはベースラインサーベイ(プロジェクトのインパクトを計るための基礎データ収集調査)を始め、トレーニングの準備にかかります。課題は山積なのだけれど、自分の人生を、子供達の人生を変えたいと本当に願い、それに立ち向かおうとしている女性達と、わたしも3年間、しっかりと向き合っていきたいと思います。


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写真は、アムハラ州の女性グループと郡の関係者を交えた話し合いのシーン。