sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

お隣のマリの話(続き)

sayakot2010-01-31

先日夜10時頃、部屋の外から“アミーガ!アミーガ!”。聞き覚えのある呼び声。
ドアを開けるとやはりお隣のマリが立っていた。
(マリ初登場の回は、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/sayakot/20091007


「久しぶり〜」とハグをしようとしたら、第一声に、「あなた、どうしてそんなに真っ赤なの?」とツッコまれる。部屋で一人ちびちびワインを飲んでいたのがバレてしまう。(最近、ようやく美味しいメキシコ・ワインに出逢いました)でもちょっと恥ずかしい。。。


特に用事というわけではないようだったので、ちょっと飲まない?と誘ってみると、一瞬ためらった様子で、私はいいわと言う。とりあえず部屋に招き入れて、年末わたしが日本に一時帰国して以来更新されていなかったお互いの近況報告をする。


クリスマスはどうだった、と聞くと、なんと働きづめだったとの意外な答え。彼女の夫(メキシコ人)が自身の家族や親類のいるメキシコシティに2週間も帰省し、その間、彼女はたった一人、2人の共通の勤務先であるベリーズのMade in Chinaの安洋服屋で店番をしていたとのこと。メキシコ人にとっても、ベリーズ人の彼女にとっても、クリスマスの休暇は特別なもの。話を聞いていて、雇用主の都合で、2人が同時に休めない理由はあるにせよ、いくらなんでも、彼女一人を残して自分だけ2週間まるまる実家に帰るなんてなんだかな、、、、という印象を受けた。


ラテンアメリカではいまだに「マチスモ(男性優位主義)」が広く社会に浸透しているので、家庭内暴力やシングルマザーの問題をはじめ、女性が弱い立場に置かれやすい。それはこのメキシコでも、「女性庁」という政府機関が存在する(わたしたちのプロジェクトのカウンターパートでもある)くらいだから、(日本であれば「ジェンダー庁」とか「男女平等推進庁」とされるだけれど)、深刻な社会問題であることは間違いない。



「やっぱり、私も一杯もらってもいい?」
おずおずと彼女は聞いた。


もちろん!
わたしは喜んで彼女のグラスにワインを注いだ。
グラスに口をつけ、あまり慣れない味に、ちょっと苦いわね、っと言いながら彼女は嬉しそうだった。そして、話しだした。


「夫は、私が飲むと怒るの。昔、ビールでも飲まないって、夫を誘ったら、すごい剣幕で怒鳴られて。。。アルコールを飲むことを夫は絶対に許してくれないの。だから今日は特別よ。夫は仕事で帰ってこないから。」


???


「お金も全然貯めてくれないのよ。稼いだ分だけ遣っちゃうの。将来の為に貯めていこう、って言ったって、聞く耳を持たないわ。」


「それに夫は、私がベリーズの家族のところに行くのをいやがるの。どうしてかは知らない。でもわたしが家族を訪ねようとすると、いつも怒鳴られる」


???
ここチェトゥマルにだってほとんど友達がいない彼女が、すぐ近くのベリーズにいる自分の家族の元を訪ねるのは当然のこと。自分はクリスマスに彼女を置いて2週間もメキシコシティに行ってしまうくせに。。。この時点で、わたしの頭には、典型的に自分勝手なメキシコ人男性のイメージが出来上がる(もちろん、愛妻家のメキシコ人もたくさん知っていますが。)。


彼はあなたのことを殴ったりしない?そう聞きたい衝動を抑えながら、どうして彼はそういうことをするの?と聞くと、分からないわ、元々そういう自分勝手な人なんだと思うわ――でもきっと、どんなカップルにとっても、夫婦でいるっていうことは、大変なことなのよ、と彼女は苦笑いする。彼女が自分の状況を、夫婦の関係性のもとに受け入れようとしていることに、心打たれる思いがしたが、同時に、彼女の夫が彼女に伴侶しての敬意を払っているのだろうかと思うと、いたたまれなくなった。



ふと彼女が、ねえ日本の写真を見せて、と言うので、気分を取り直そうと、帰国のときに撮った、お節の写真や初詣の写真などを見せた。わたしは彼女に、3月にメキシコでの仕事が終わるから、そうしたらまた日本に帰って、その数カ月後には別の国に行くことになりそうだということ、わたしにとっては、結婚とか、安定した生活といったものは、しばらく先になりそうだということを、やや自虐的に、苦笑いしながら言った。すると、


「私、あなたに憧れてるのよ――」
大真面目で彼女は言う。「一人でも自由に生きていけるあなたたの人生が羨ましい。私は小学校をやっと卒業しただけ。私にできることは、何もないから。」


「あなただって、ベリーズを離れて、仕事を持って、旦那さんもいて、自分の人生を築いているじゃない――不愉快なメキシコ人夫のことが半分頭によぎりながら――それは十分すごいことにわたしには思える」そう言ったけれど、彼女は納得しなかった。わたしはたまたま日本に生まれ、彼女はたまたまベリーズに生まれ、それぞれ与えられた環境の中で、できることをしているだけ。でもまさにそこに、それだけの違いがあるのか。


「夫がね、2月にメキシコシティに引き上げようと言ってるの。あの人はメキシコシティの人間だしね。でも私は違う。家族もいないし、友達もいない。犯罪も多いし、気候も厳しいっていう。本当はとてもこわい。でも、どうしたらいいか、わからない――。」


わたしは言葉を失った。メキシコシティに行ってしまったら、彼女は今よりももっと孤立する。
その距離は、わたしにとっては所詮飛行機で2時間に過ぎないけれど、飛行機に乗ったこともなく、これまでの人生を、ベリーズとメキシコの国境付近の小さな町を往復しながら生きてきた彼女にとっては、想像もできないに違いない。2人は正式な結婚手続きを踏んでいない(メキシコではよくある)ので、彼女にはメキシコで正式に暮らしていく上で必要なIDもないはずで、なにかあった時、飛行機に飛び乗ることもできないだろうし、そのための蓄えもないはずだ。


選択肢がないということは、時に人を強くするけれど、同時にそれだけ人を無防備な場所に追いやる。わたしはこれまで何ヶ国かで生活してきたけれども、そのこと自体に不安を感じたことはなかった。自分が選んだ道であるし、何かあれば、いつでも(フィジカルな意味で)引き返すことが分かっているから。


何かあったときにせめていつでも連絡を取り合えるよう、Eメール・アドレスを教えて、彼女にそう言ってノートを差し出したら、彼女はそこに、ベリーズの家族の住所を書いた。Emailが意味するものが分からなかったらしい。わたしは自分の「読み」の甘さを恥ずかしく思い、改めて彼女の置かれた状況の難しさに、胸が締め付けられた。インターネットの普及を始めとした科学技術の発達で世界が今のように小さくなってから、まだそれほど時間が経っていないのに、一度「持てる側」に立つと、それがずっと昔から、誰にとっても当たり前のものだったかのように思ってしまう。一方で、「持たざる者」との格差は、誰も知らないところで加速度的に広がっているということだ。


1500ペソ(10,000円位)位だろうか――?
ふと、そんな考えが頭をよぎる。いざというとき、彼女がメキシコシティから、チェトゥマルに、ベリーズに戻るための費用。夫に見つからないように、彼女に渡して、彼女がそれをこっそり隠しておくことは可能だろうか。身分証明の関係で飛行機が無理でも、バスを乗り継いで帰ることはできる。それに、万が一の逃げ道があるというだけで、現地で前向きに頑張る励みになるかもしれない。


でも、それは「正しい」だろうか。ただお金を渡して、それが解決策なのか?「サステイナビリティ/持続性」を問う開発の世界では、明らかに答えはNo。彼女と同じ境遇にいる女性たちはいくらでもいる――。でもわたしは彼女の“アミーガ”でもある。「途上国」「先進国」とか、「持てる側」「持てない側」とかいう枠を捨てて、例えばこれが自分の大学時代の友人だったら(想像しにくいけど)、迷わないだろう。何より、それが「正しい」かどうかの議論は、目の前の彼女の人生にとって、なんの意味もない。彼女は、ただ助けを必要としている、とわたしの目には見える。


「ふふ、私も真っ赤になっちゃった」けらけらと彼女が笑う。そして、そろそろ戻るわね、今日はありがとう、そう言って彼女は出て行った。


わたしは自分の葛藤を心に秘めながら、彼女を見送った。
彼女がメキシコシティに行くと決まった時に、答えを出すつもりだ。

◆◆◆
翌日夜10時頃、彼女がまた「アミ―ガ!アミーガ!」と訪ねてきた。手にはプラスチックのピンクのサンダル。あなたにおプレゼントよ。サイズ、合うといいけれど、と言って。どうしてわたしのサイズが分かったのかは分からないけれど、実際ピッタリだった。そう伝えると、彼女は大喜びして、また、自分の家に戻っていった。写真は、そのサンダル。