sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

日墨祭レポート

sayakot2009-11-30

先週の21−22日、メキシコシティにて開催された日墨交流400年祭に出店してきました〜。


メキシコシティまで商品を搬送するための準備が出発当日までばたついて、木工製品の輸送許可が下りなかったらどうしようかと冷や汗をかいたり、イベント当日、手配していた展示用の台が、イベント開始時間になっても届かず、まだかまだかと時計と携帯電話を握りしめてヤキモキしたり。他のブースが着々とお客さんを呼び込んでいる中、ようやく開店したのは、イベント開始から1時間遅れた12時過ぎ。


そもそも今回のメンバーは、メキシコ歴ようやく4カ月の私、グアテマラでの在住歴は30年以上だけれども私同様メキシコシティにはほとんど滞在経験のないアメリカ人専門家C女史、そして普段ほとんど村を出ることのないマヤの女性グループ代表2名という、ちょっと心もとない4人組。始まりから出鼻をくじかれてしまったわけだけれども、むしろ、ある程度のハプニングは、予想の範囲。無事に荷物とみんな、一緒に上京できただけでも上出来、ここまできたら、できるだけのことをやらなきゃねと皆で気を取り直し、初日開幕。


会場は、メキシコシティの目抜き通りでもある、レフォルマ通りの一画で、独立記念塔とディアナ噴水を結ぶレフォルマ広場。中央の道路は終日閉鎖されて、歩行者天国となり、両サイドの小道に50近いブースが出店されました。折り紙指導のブースや、生け花の展示のほか、地元の日本食スーパーや○○県人会が日本食材やお弁当の販売をしたり、アマチュアバンドのライブがあったり。いかにも手作り風なところもあれば、日系企業の立派な展示ブースも。お神輿や、獅子舞、沖縄の着物を着た女性たちのパレードにはフラッシュの嵐。あちこちに人だかりが出来ていました。インパクトがあったのは、日本人もメキシコ人もごっちゃになった、コスプレ・パレード。メキシコギャルのミニスカ・ナースにはびっくり。


見物に来るほとんどは、もちろんメキシコ人が中心(とはいえ、かなりの頻度で日本の方にもお会いしました。駐在の方、日系の方、留学生etc...。ご来場いただいたM商事の皆さま、本当にお世話になりました!!)それにしても、日本文化のこうした“お披露目”の機会に、こんなにたくさんのメキシコ人が家族やカップルで訪れて、楽しんでいってくれるというのは、それだけで嬉しいものですね。


ところで、今回一緒に上京したカティは、計6村の民芸品制作グループを束ねる組合の代表を務めている。始めのうちは、初めてのメキシコシティの喧騒と、日本式のお祭りの様子に目をぱちくりさせていたけれど、自分の見物はそこそこに、商品の飾りつけや、お客様への対応に精を出していた。彼女の頭には、それぞれのグループの商品の素材や背景、価格、全部入っていて、その安定感はなんとも頼もしい。保守的なマヤのコミュニティにとって、女性が何日間も家を離れて遠出することは非常に珍しいことで、旦那さんの理解とサポートなしにはありえない。村の他の女性たちと同様、十代半ばそこらで結婚した彼女は、現在32歳。15歳の長男を先頭に、まだ小さな子供が2人いるとのこと。(わたしと数歳しか違わないのに。。。)


彼女が暮らすP村の女性グループは、リゾート用のパレオなど女性用のトップスを作っているのだけれども、デザインを担当する彼女が、組合のとりまとめで忙しいため、なかなか自分たちの商品を生産する時間が持てないでいる。今回のイベントでも、わたしたちは支援している全グループに商品を発注して、販売する機会を設けたかったのだけれど、P村では生産が間に合わず、一つも納品できなかった。自分たちの商品を売ることができないのに、それでも彼女は熱心に、他の村の商品を売り込んで、売れるたび、それが誰が作ったものなのか、名前を一つ一つ丁寧に記録する。


(商品を持ってこられなくて)今回は残念だったね、と申し訳ない気持ちになって声をかけると、「なかなか私が時間を持てないからね。自分の技術を他の仲間に伝えていきたいのだけれど、忍耐のいる仕事だから、諦めてしまうメンバーも多いのよ。だから、息子や夫にも教えて、手伝ってもらおうと思っているの。今のところ、興味を持ってくれているみたいよ」と、明るく答えてくれた。


今回家を出てくるのは問題なかった?と聞くと、すこし照れたように、「夫は私が新しいことにチャレンジすることが好きみたい。それに、子どもたちは、母親がメキシコシティに行くことに、すごく誇りを持ってくれているの。出発の日、村の上を飛行機が飛んでいくのが見えたら、みんなで手を振るからねって言ってくれたわ。その飛行機が本当に私の乗った飛行機かなんて分からないけどね。ふふ」そう笑う彼女の眼差しは、母親としての誇りと、新たに前へ動きだそうとしているグループの代表としての誇りと、両方が混ざって、強く、優しい。


・・・さて。肝心の販売結果。
残念ながら、「完売御礼」とはいかなかったけれども(ちょっと野心的すぎました・・・)、持って行ったほとんどのグループの商品から売り上げることができ、売上トータルは2日間で18,800ペソ(約13万1千円)。これは普段の約1か月分の売上に相当します。特に嬉しかったのは、1日目の反省を生かし、翌日は値段を少し下げてみたり、営業トークを変えてみたりした成果か、2日目は、お客さんの入りが少し少なく感じられたにも関わらず、売り上げが少し伸びたこと。ホテルの部屋で商品の在庫と売り上げたお金を何度も数え直して、それが確実とわかったときには思わず皆で歓声をあげました。


空港で帰りの便を待ちながら、代表者の2人は、時間の合間をぬって現像したお祭りでの写真を見ながら、まだ興奮冷めやらぬ様子で楽しそうにおしゃべり。村で待つ家族の、いいお土産になることだろう。とはいえ、村に帰ってからも、組合代表者である2人の仕事はまだまだ残っている。これまでの顧客対応に加え、イベントで売り上げたお金を、各村に散らばるグループに届けたり、売れ残った商品を返したり、会場で交換した名刺の対応もあるだろう。
どうか、彼女たちの感動や興奮が、村に残っている女性メンバーたちに、伝わりますように――。


これまで、異なるコミュニティ間で連携をする習慣がほとんどなかったマヤの女性たちにとって、現在の組合のように、それらを緩やかに統合する組織というのは、なかなか画期的なことで、まだ生まれて間もないそれを束ねる長の役割は、決して小さくない。彼女たちと同じ温度感で組織を支える存在が、もっと育たないと。



「本当におつかれさま」別れ際、できるだけの心をこめてそう声をかけると、彼女たちは、
”Vale la pena. Muchas gracias. (それだけの価値があるわ、本当にありがとう。)”
と、強くハグをしてくれ、大きな笑顔で帰っていきました。
彼女たちと一緒に時間を過ごすことができて、本当に良かった。。。



プロジェクト終了まで、あと、4カ月。


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写真は、賑わう店内、、、って、わかるかな。