sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

2008年まとめと、ご協力のお願い

sayakot2008-12-30

いよいよ2008年も終わりますね。
今年一年は、まさに「変化」の一年だったような気がします。


この一年でみると、生活の拠点はコスタリカ、フィリピン、ベトナム、日本へと移った。移動のたび、航空会社の重量基準をオーバーするのではと冷や冷やしながら、家財道具をスーツケース2つに詰めて、よくもまあ移動ばかりしてきたものだ。。。


世界をぎゅっと縮図にしたような多様性に溢れた、ユートピア的キャンパスライフから、より現場に近いベトナムの国際NGOでの「インターン」生活、そして現在の、日本のODA業界にフォーカスを当てた民間コンサルティング企業のスタッフとしての日々。立場もずいぶん変わった。


それにしても、大きな意味では自分の進む方向はずいぶん見えてきた気がするが、その道に入れば入るほど、ディーテルがより重要な意味を持つから、そうした意味では、進めば進むほど、迷いも悩みも大きくなる気がしている。まあそれでも、総じて自分はハッピーな人生を歩んでいるという確信は揺らぐことがないのだけれど。


いつも息切れをしていた前職の頃と違って、今は精神的な意味でゆとりがあるので、自由に自分のやりたいことを何でもやっていこうと思っている。最近は日系ペルー人のお医者さんに週末スタバでスペイン語を習ったり、CSR関連のセミナーに出かけたり、来月からは、途上国の開発援助を考える勉強会に参加する予定。「援助」という行為の意味、それが被援助国へ与える正や負のインパクトということに始まり、土曜日に4時間のゼミ(課題図書・宿題あり)というのは、結構ヘビーではあるけれど、これ以上ないというくらい興味深いトピックでもあって、とても楽しみ。


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さて。
イスラエルによる、ガザ空爆のニュース。
4夜連続の空爆の犠牲者は、すでに380名を超えた。


途上国における「開発援助」のあり方には、それが本当に現地の人々のためになっているのかどうかを含め、様々な議論があってしかるべきだけれど、イスラエル-パレスチナのように、圧倒的にアンバランスな力構造の中で生じる武力の行使というのは、問答無用に許されるものではない。何故こうした事態がまかり通ってしまうのか、日本を含め、国際社会は何故それを容認しているのか(様々な批判は各国でそれなりに生まれていても)、理解に苦しむ。


先日、BSのシリーズで、自爆テロにより18歳の娘(被害者)を失ったイスラエル人の母親と、その自爆テロで自らを吹き飛ばしたパレスチナの18歳の少女(加害者)の母親との対話の試みを追ったドキュメンタリーを見た。


「このような悲劇が二度と起こらないように、自爆で娘を失ったあなたがパレスチナ社会に、テロは誤りであると訴える必要がある」と、イスラエル人の母親はパレスチナ人の母親に迫る。被害者であれ、加害者であれ、愛する娘を失った者同士、私たちは手をとりあうべきなのだと訴えるイスラエルの母の主張は、一見正当なものに写るけれど、果たしてそれがどこまで二つの「平和」を見据えたものなのかは疑問が残った。


あなたが求めているのは、パレスチナの「従属」であり、それはイスラエルの「平和」にすぎない――、そう叫ぶパレスチナの母親に対し、イスラエルの母は、あなたはテロを肯定しているのね、そんなことだからここの土地には「平和」が訪れないのよと罵り、平行線のまま、両者は決裂した。娘を失いながら、加害者の母親に「対話」というアプローチを試みようとしたイスラエルの母のその姿勢には確かに心動かされるものがあったけれど、自分たちの存在そのものがパレスチナの「平和」を脅かしているのかもしれないという根本的な認識を――少なくとも、パレスチナの人々にとってのそうした認識を――彼女が本当に理解しない限り、2人の間の本当の対話は難しいように思えた。


ハマスの行動は正当化できるものでは決して無いし、彼らは自らパレスチナの人々を追い詰めているとしか思えないけれど、同時に、人口が密集し、人々が逃げ場所を持たない封鎖された空間に空爆を仕掛けるイスラエルという国の異常さ、それを結果的に容認している国際社会の異常さ、景気の悪化を憂えてばかりの日本社会の無関心さに、ついついペシミスティックな気分になってしまう。


2005年夏、わたしはピース・キッズ・サッカーという日本の小さなNPOで、イスラエル・日本・パレスチナ(ガザ)の子供たちの相互理解キャンプを運営する立場にいた。私たちはきっといつか一緒に暮らすことが出来る、そう手を取り合った、あの子達は無事なのだろうか。今頃きっと、砲撃の音に怯えているに違いない。あのとき描いた、希望に満ちた絵が、所詮叶わぬ夢だったのだと諦めていないだろうか、そう思うと張り裂けそうに胸が痛む。


下記、つい数ヶ月前までガザのあるNGOインターンをしていた友人からの、転送です。
ご協力、お願いいたします。


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パレスチナ子どものキャンペーンです。

すでにニュース等でご存知かと思いますが、
本日、イスラエル軍がガザに大規模な空爆をおこなっています。

ガザ現地の様子を、電話で聞きました。

まずは、出来るだけ多くの方達にお知らせください。

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ガザへの空爆 155人以上の死者  現地からの声
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普段どおりの1日だった。午前11時30分、激しい爆撃が突然始まり15分間続いた。
私たちは突然、パニックに落とされた。

ガザ市、ラファ、ハンユニス、中部の4つのキャンプ・・・ガザのいたるところで、ハマスの警察施設にイスラエル軍がミサイルを撃ち込んでいるが、周りの人家が巻き込まれている。特に狭い難民キャンプでは被害がひどい。
午後3時半現在、ハンユニスでは空爆は収まっているが、上空をイスラエル軍のF16戦闘機が旋回している。私たちは次の爆撃がないことをただ祈っているだけで、家の中で息を潜めているしかない。怪我をしても、ガザの中には十分な医薬品もない。電気は止まっている
(ハンユニスのマジダさん)

今日は土曜日で、年末でもあり、学校の帰りの時間と爆撃の時間と重なった。子どもたちは恐怖に怯えている。病院は遺体とけが人でいっぱいだ。ガザ市内の多くでは48時間電気がきてない。爆撃のあった地域にはアトファルナろう学校の生徒や教職員もたくさん住んでいる。
(ガザ市のイブラヒムさん)

午後4時少し前にも、ガザ市内に爆撃があった。一度に何十か所ほどが攻撃されている。
家のすぐ近くにもミサイルが落ち隣人が死亡した。学校や通学バスにもミサイルが落ち、子どもたちに死傷者が出ているという。封鎖によって救急車が機能せず、一般の車が負傷者を運んでいる。病院は遺体を収容できず、道路に遺体が放置されたままだ。
ガザ市内は昨日から停電し、水道も1日に数時間しか来ていない。
死者はすでに155人以上といわれているが、私たちは何もできない。
外の世界が状況を変えるように動くことをただ待っているだけだ。 
(ガザ市のアムジャッドさん)

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ガザ署名サイトはこちらです。
http://www.shomei.tv/project-433.html

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特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン
Campaign for the Children of Palestine(CCP)
〒171-0031 東京都豊島区目白3-4-5 アビタメジロ603
Tel:03-3953-1393 Fax:03-3953-1394
Email: ccp@bd.mbn.or.jp
HP: http://ccp-ngo.jp/

ーーーーーーーーーーーーーーー以上転送終わりーーーーーーーーーーー


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写真は、2006年の「嘆きの壁イスラエルにて。
あの空間を満たしていた強烈な「気」はいまだに憶えています。