sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

ザ・ビッグ・イシュー

sayakot2008-12-02

早いもので、帰国してから1ヶ月が経とうとしている。


最近、電車が毎日のように遅れる。「人身事故」だったり、「具合の悪くなったお客様の救護」だったり、「走行中の電車に対するいたずら行為」だったり。『お急ぎのところ、ご迷惑をおかけして大変申しわけございません――。』外はあんなに寒いのに、じんわりと蒸し暑く、身動きのまるでとれない空間の中で、わたしは毎朝、無表情にこの放送を聞く前後左右の人たちを密かに観察し、この人は一体何を思っているのだろうと想像する。


昨日の帰り20時頃。
二子玉川の駅で電車のドアが開いたまま、なかなか発車しない。電車は相変わらず混雑そのもの。突然、駅員さんが2人、かきわけるように入ってくる。なにかと思って向かう先を見たら、若い女性が座席で隣の男性にもたれかかるように倒れこんでいるのが見えた。酔っ払っているのか、具合が悪いのか、その様子からは良く分からなかったが、「運悪く」もたれられてしまっているそのサラリーマン風の男は、少し当惑したように、何をするわけでもなく、姿勢を崩さずにまっすぐ前を見て座っていた。その反対側には、別のサラリーマンの男性が、ラップトップを名前の通り膝の上に開いたまま、すぐ隣の出来事に何も気付かないかのように、画面をじっと見ていた。女性が抱えられるように運び出されていく間も、彼がその目線を上げることはなかった。


一昨日の帰り20時頃。
山の手線の新宿駅の混雑したホームに、小学生が一人腰をかけ、足をぶらぶらさせていた。電車はまだ来ていなかったが、見た瞬間にぎょっとする。誰もがちらちらと視線をやって、気にしているのはわかる。危ないわねえ、独りなのかしらと囁きあっている声も聞こえる。声をかけようか、そう思ったとき、一人の若い女性が少年に話しかけた。同時に、その場の空気の緊張感はすっと解けたが、次の瞬間にはまたいつもの無機質なそれに戻った。


都会の匿名性とか、人間関係の希薄さとか、自分のことを棚にあげて、そんなことをわざわざ再確認することに、どんな意味があるのかといえばそれまでだけれど、日本に帰ってきて、日々、電車で押し合いへしあいされながら感じることは、自分の心を無感覚にして、ただ時が過ぎるのを待つことに対する、怖さ。昔はわたしもよく、「早く着けー。着けー。」と念じながら、誰かの足を踏むことも、踏まれることも大して構わず、意識をどこかへ飛ばしていたけれど。


なんだかなぁと思いながら、今日20時頃。
渋谷東急プラザ前のバスのロータリーで、ふと立ち止まった。風でクルクル回るタケコプターのようなプロペラを頭にのっけたホームレスのおじさんが、アレを売っていた。寒空の下、カイロを買うような気持ちで、わたしはそれを買った。


The Big Issueと題された雑誌は、ホームレスの自立支援を目的にして、91年にイギリスで創刊された。日本でも月に2回、都内であれば渋谷、新宿、有楽町、池袋etc…大きな駅の周辺で売られているのを、(注意を払えば)結構簡単に見つけることができる。トピックは、国内外のアーティストや俳優、批評家が自分を熱く語るものとか、世界の環境・紛争・社会問題まで、幅広い。アンジョリーナ・ジョリーとか、ローリングストーンズとか、社会派系のセレブたちのインタビューものも毎回収録されている。


仕組みは、こう。販売員となるホームレスの人々は、ビッグイシューを路上で売ることで生活の糧を得る。彼らは最初、Big Issue 10冊を無料で受け取り、その売り上げを元手に、以後は140円で仕入れ、300円で販売することで160円の収入を得る。販売者になるには、団体の「行動規範」に同意し、顔写真入りのID番号の入った身分証明書を身につけることが義務付けられている。


その「行動規範」は、以下のようなもの。
1.割り当てられた場所で販売すること
2.IDカードを提示して販売すること
3.攻撃的な態度や言葉を使わないこと
4.酒や薬物の影響を受けたまま販売行為を行わないこと
5.市民の邪魔や通行の妨害をしないこと
6.街頭で生活費を稼ぐ他の人たちと売り場について争わないこと
7.販売中、金品の無心をしないこと
8.どのような状況でも、ビックイシューとその販売者の信頼を落とすような行為をしないこと


表紙を1枚めくると、『ビックイシューの販売員は、販売のプロとして、雑誌販売中は行動規範を守ることについて同意しています。真面目に働いているビッグイシューの販売者の生活を守るために、ルールを守らない人から買わないようにご協力をお願いします。・・・この行動規範に反した行為をする販売者を見つけたときは、下記へお電話ください。』と、明記されている。Big Issueを支える彼らは、わたしたち「普通の人たち」の、「ホームレス」に対する一般的な偏見や恐怖心をよく理解し、その上で、本気なのである。


なぜ、Big Issueを買うのかと聞かれると、少し困る。100%チャリティーというわけでは、決してないし、かといって、コンテンツが100%目的かと言われると、それも少し違う気がする。(もちろんコンテンツはコンテンツで、多様なトピックとそれを貫く潔いメッセージが、心地よい内容となっていて、十分エンジョイできるのだが)。


Big Issueを買うとき、わたしは自分がとても無防備になるのを感じる。自意識過剰といえばそれまでだけれど、通り過ぎていく人々の視線を感じながら、自分は一体どのように見られているだろう、善い人ぶってると思われていやしないだろうか――。そうしたザワザワとした気持ちが起こらないといえば、ウソになる。


Big Issueを買うとき、わたしは何より、自分自身の視線を強く感じる。自分は、一体誰に対して見栄を張っているのだろう?自分は目の前の彼と、本当に対等に向き合っているのだろうか――と。そういう意味で、Big Issueを買うことは、わたしにとって、まだ完全に「自然」な行為になりきれていないのだけれど、売り場の前で足を止め、財布を出し、コインをおじさんに渡し、それを受けとる瞬間に生まれる、ある種の照れくささは、自分をどこかほっとさせる。そこは、ガード下とか公園とか、別の場所であれば、恐らく互いに見てみぬフリをしているであろう2人の人間が、無機質のバリアを破り捨て、こんにちは初めましてと、ごく当たり前につながることができる、そんな空間なのかもしれない。近頃はすっかり寒いけれど、売り上げの調子はどうですか、次号を買うときには是非聞いてみたいと思う。あ別に無理に会話する必要もどこにもないと思うのですけれどね。


興味本位でもよし、チャリティーでもよし、まずは皆さんもお手にとってみられてはいかがでしょうか。いろんなスタンスで良いと思うのです。Big Issueを買うということを、まず経験していただきたい。やっぱりなんだか自分らしくない、そう居心地わるい思いをするかもしれないですけれど、そんなことを含めて、自分自身の本当の姿が、見えてくるかもしれません。


●●●
写真は、アンコールワットカンボジアにて。