sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

ハノイ出発前夜 ~「平和」と「開発」~

sayakot2008-10-14

ハノイでの夜も今夜が最後。


大学院に提出する最終レポートも昨日、何とか終わらせ(無事に審査を通過できたかどうかはまだ分かっていませんが。。。)、今夜は、これまで事務局を担当していた、ハノイ在住の開発関係者(=JICAやJABIC、NGO、国連関係の方たち)で毎月開催していた勉強会@国連事務所にて、僭越ながら同期であり同志であるY嬢と共に、「平和学」に関するプレゼンテーションをしてきました。


実務レベルで豊富な経験をお持ちであるエキスパートの方々を前に、学校でただ勉強してきただけの自分たちが一体何をお伝えできるのか、発表が決まってからの1ヶ月、実は密かにずっと大きなプレッシャーだったのですが、悩みに悩んだ末、わたしたちがこの1年半、ずっと“さ迷い”続けてきた「問い」である、「『平和』とは何か、『開発』とは何か」をテーマにしました。。。反響は・・・ご想像にお任せいたしマス。


このブログでも何度か書いてきたことだけれど、本当の意味での「平和」というのは、いわゆる「国家間の戦争の不在」ではなくて、差別とか偏見とか貧困とか、あらゆる形の「暴力」が社会に存在している限り、達成されないものだ。いかなる暴力も存在しない、そんなユートピア的な平和に、人類は一生到達できるはずがない――、そう言われてしまえば本当にそれまでだけれど、どうしたらその状態に、例え個人レベルでも、少しでも近づくことができるのか、それを一人ひとりが模索するプロセスが、平和学の実践そのものなのかも、と最近つくづく思う。


世の中になぜ「平和」が訪れないか、というと、政治的、経済的、宗教的、さまざまな要因はあると思うが、その根本には結局、異なる世界観、価値観の人々が、それぞれに自分なりの「世界観」とそれに基く「平和観」をエゴイスティックに追求している現実があって、今の世の中では、その様々な「平和」が衝突することで、結果的に全体の平和が妨げられている、という皮肉なことが起きているように感じられてならない。そして、自分のものこそ「絶対的」だと信じている自身の規範に、人々が囚われ続ける限り、そうした価値観が当てはまらない世界はすべて、自分の「平和」を脅かすものとなり、自分にとっての「自由の闘士」が、世界の誰かにとっての「テロリスト」になっているかもしれないという構造から、逃れることはできない。


話は少し変わるけれど、わたしが大学で勉強している「平和学」という領域と、途上国における貧困削減や教育・医療の普及、工業開発とかを行っている「開発学」という領域は、実はこの業界では結構しっかり区別されて考えられることが多い(このブログでは便宜上、2つを「国際協力」というボヤッとした言葉で同義に使うことが多かったですが)。もしかしたら読者の皆さんは、「平和学」を勉強しているわたしが、セーブ・ザ・チルドレンというNGOインターンをすることは、あまり違和感をもたれなかったかもしれないけれど、実際には、「平和学」というのは、「開発」に対しても、懐疑的なスタンスを持つ学問でもある。


例えばオーストリアの哲学者であるイヴァン・イリイチという人は、「開発」とは「暴力」であり、「開発」と「平和」は対立する概念であると主張しているほどで、要は、「開発」とは、結局、経済的な「発展」や「進歩」を是とする現代主義的な枠組みを、そうした枠組みを本来持っていなかった人たちに、押し付けているに過ぎない、と言っている。実際、国連が掲げている「普遍的な人権(Universal Human Rights)」とか、「国連ミレニアム宣言」という概念は、国際協力のフィールドではある種、水戸黄門の印籠のように絶対的な指標になっているけれど、果たしてそうした概念が本当に「普遍」なのかということには、大きな疑問の余地があるわけで、先進国のわたしたちがそれらを盲目的に信仰し、途上国に、「国際協力」のプロジェクトとしてインプリメントするという行為が、「啓蒙」とか「教化」を大義名分に、アジア、アフリカを次々に植民地化したかつての西欧中心の歴史と、大差なくなってしまう、ということもありえない話ではない。自分にとって当然の「平和」が、実は遠くの誰かの「平和」に対する脅威となっていないだろうかと、自身の「絶対」を常に疑い、謙虚な姿勢を失わないこと――それは今後、「開発」という国際協力の世界でキャリアを歩み始める自分が目指したい姿勢。それはある意味で、「平和学」と「開発」の融合であり、バランスであり、現実世界の幾多の問題に対し、ただ一体どうしたものかと頭を悩ませるだけ悩ませて、何も具体的な行動ができなかった学生の自分との、決別でもあるかもしれない。


そう、実は既にご存知の方もいるかと思いますが、11月からわたしは、「開発コンサルタント」のタマゴとして新たなキャリアを歩むことになりました。開発コンサルタントというのは、あまり知名度のない職業ですが、要は例えばJICAや世界銀行などからプロジェクトを請け負って、途上国や紛争地域で行われる国際協力事業の立案、実施、評価などを行う人たちです。


卒業後の進路については、日本社会に対する「発信活動」という意味で、フェアトレードビジネスで起業してみようかとか、NGOマーケティング戦略CSRについてもっと勉強してみようかとか、それよりもまず、もっと草の根のNGOで現場経験を積んだほうが良いだろうかとか、ノー天気なりに悩んでいたのですが、思い知ったのは、仕事を通じて最終的に自分が得たい知識とか、スキルとか、経験とか、待遇とか、社会へのインパクトとか――、それら全ての条件を満たしてくれるパーフェクトなオプションというものは(そうした仕事が存在するのかもそもそも分かりませんが)、現時点の自分の実力では、とても獲得不可能であるというシンプルな現実。
だから今は、今の自分にあるもの、ないもの、仕事で得られるもの、得たいもの、得られないものを一方で冷静に見極めつつ、同時に自分が最終的に目指して生きたい姿を、常に心に描きながら、それに一歩一歩近づいていけばよいのかなと思っています。そうした意味において、大学院を出たばかりの自分にとって、この開発コンサルタント(のタマゴ)という選択肢は、本当にありがたい、良いスタートだと思っています。


世界で何が起きているのか、ほとんど真っ白なまま(今でも大して変わりませんが。。。)、漠然とした問題意識だけでフィリピンへ飛び出した自分が、ようやく具体的な絵を描くポイントに立てるようになったこと、「ボランティア」も「インターン」もなく、プロの卵として自分の足で立てるようになること、素直に嬉しいです。


さて。明日から、ホーチミンへ出発。フィリピン時代の最愛の友たちと再会し、バスでカンボジアへ向かいます。その後の卒業式の様子等々、また追って、ご報告できればと思います。



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写真は、タイ族の民族衣装完全版です。
恥ずかしくなったら、削除します。。。