sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

最後のふるさと訪問 ~非日常の中の日常より~

sayakot2008-10-07

前回のエントリーと前後しますが、下記、最後のインターン報告です。



9月29日―10月1日、愛する「ふるさと」イエンバイ省ルックイエン郡への最後の訪問の目的は、農村の貧困世帯に対する「ローンの貸付」でした。7月から、潜在的な応募者である村の女性たち対する事前説明会や、帳簿付けのトレーニングなど、実際に貸し付けるまでの「準備」に携わってきましたが、いよいよ実際に、100万ドン(約6300円)が女性たちの元に手渡されるわけです。


会場となる村役場では、100人近い女性たちが1人ずつ手続きを行い、領収書とお金を受け取る。今回は4村で、申請した女性の中でも特に「優先度が高い」とされた約350名の女性たちにローンが渡され、残りの申請者に対しては、先にローンを受けた借り手達の月々の返済が進む過程で、資金が回収され次第、随時提供されていく、という流れ。ちなみに「優先度」は、家の経済状況のほか、借り手が妊娠しているかどうか、栄養不良の子どもや、2才未満の子どもがいるかどうか、という要素で決まる。各世帯の経済状況の向上と安定を図ることで、子どもに対するケアの質を改善する、それがSCJのマイクロファイナンス事業の目的だからだ。


この地域は少数民族、特にタイ(Tay)族が多く、彼らは独自の文化や言語を持つが、普段の生活では、マジョリティであるキン族と変わらない、フツウの服を着て、ベトナム語で生活しているので、一見しただけでは、区別がつかない。だがこの日に限っては、結婚式や特別な時にしか着ないという、濃い藍色をした民族服を身につけた女性が不思議と多かった。皆、「いっちょうら」を着て、少し改まった面持ち。


それにしても、待合室で自分の名前が呼ばれるのを待つ女性たちを見ていると、改めて、若い女性たちが多いことに気付く。この地域では、18、19才になると皆結婚するので、わたしと同い年であれば、大抵、6,7歳の子どもがいたりすることも珍しくない。二十歳やそこらで自分の家庭を持って、働いても、働いても楽にならない今の生活を、少しでも良くするために、農作業後、背中に赤ちゃんをおぶって、緊張で少し堅い表情を浮かべつつ、ローンを借り受けにやってくる女性たちの姿は、母の強さというべきか、本当にたくましく、また、美しい。


そして彼女たちは、二言目には、SCJのおかげで・・・と大真面目な顔をして言う。確かに、担保も持たない彼女たちに、ある種の経済的な機会を提供したのはSCJであり、何よりドナーであるけれど、マイクロファイナンスそれ自体は、決してチャリティーではなくて、サステイナブル(持続可能)な金融サービスであり、彼女たちはその顧客だ。むしろ、「(初めての体験、という意味で)ちょっと得体の知れない」このサービスを信じ、利息付で1年かけて月々のローンを返済していくのは、紛れもない彼女たち自身なのだ。彼女たちは、わたしの手をとって、撫でるように触って、色が白いわねえ、私たちとは違うわねえ、と自分達の手と比べて、うっとりするように口々に言い合うのだが、そんな話をスタッフに聞かされるたび、穴があったら入りたいような気持ちになる。日に焼けて、厚くひび割れた彼女達の手と、私の手との違いは、田植えも稲刈りも知らず、彼女達の作る米を何の苦労もせずいつも食べているわたしとの違いなのである。


機会があって、ミンチュワン村のある、借り手の自宅を訪問させてもらった。今年27歳になったという彼女は、夫、姑、子ども2人の5人暮らし。8月の台風で田んぼは全滅、他の家々では収穫の時期が始まるというのに、自分たちは刈り取るものが何もなく、来期の収穫まで、家族5人どう乗り越えればよいのか分からない、と家計の状況をたんたんと説明する彼女の表情からは時折、不安の色が見て取れた。


今回のローンは、繁殖用の特別なブタ(100万ドン)の購入費に充て、生まれた子豚を育てて収入源とする予定とのことだった。1回の出産では通常8-12匹の子豚が生まれ、ある程度大きく育つと、1匹大体25万ドンで売ることができる。一度生産サイクルが軌道に乗れば、回収は比較的早いのがこのブタ・ビジネスの特徴だが、最初に購入した繁殖用のブタが、最初に子どもを産むまでには通常8ヶ月が必要で、その後は6ヶ月置きに出産するというから、この一家とって、その道のりは決して短くはない。だがわたしの心配そうな表情を悟ってか、「でも――ありがたいことに、村の人たちにはいろいろと気遣ってもらっているし、そうした好意にただ甘えているわけにはいけないから、自分たちが一番頑張らなければいけないと思っています」と、彼女は気丈な笑顔を見せた。家までわざわざ来てくれて本当にありがとう、そう彼女は言って、出口まで見送ってくれた。


その日の夜、今回がわたしの最後の訪問と知って、ルックイエン郡の事業パートナーであるトゥィーさんが、ささやかな送別会を開いてくれた。SCJと仕事をしてかれこれ5年目、という彼女は、地元政府にも各村にも太いパイプを持ち、SCJが村で活動をする際には、週末であっても、どんな奥地であっても、必ずバイクで駆けつけてくれ、事業のスムーズな運営に欠かせない存在だ。SCJとの仕事が始まってから、遅くまで仕事をすることも増えたけれど、今の活動が、この地域に住む女性たちに、少しでも多く届けばと思うと、不思議と頑張れるのよ、と彼女は言う。


帰り際、彼女は、餞別にとタイ族の伝統織物を施したポシェットをわたしの手に握らせて、それぞれの場所で、お互い頑張りましょう、そう堅く握手した。あなたが日本に来る機会があったら是非連絡してください、そう言うことの空しさを思って、わたしはただ強く彼女の手を握り返すことしかできなかった。この地に戻ってくることはきっとないかもしれないが、一見平穏安な田園風景に垣間見た、この土地に生きる人々の日々の暮らしを、ずっと心に刻んでいきたい。



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写真は、カンティエン村にて、タイ族の衣装に着せ替え(てもらい)中。
ローン配布の待ち合い中、タイ族の女性に、「ちょっと着てみない?」と言われたのがきっかけ。待ち時間が長かったので、皆のちょうど良いエンターテインメントになったようです。。