sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

小松さんのストーリーから。

sayakot2008-07-24

先週末、とても素敵な日本人の女性にお会いした。1990年代初頭、この国が今よりももっともっと貧しかった時代、当時45歳だった小松さんは心機一転、単身で日本語教師として来越した。今でこそ、ベトナム雑貨だとか生春巻きだとかが、お洒落アイテムとして雑誌で紹介されたりして、また、急速な経済成長と共に、観光客の数も日系企業の進出も進むベトナムだが、彼女の来越当初は、店に物がほとんど置いておらず、街の通りを埋め尽くしていたのは、今のようなバイクではなくて、自転車だったとのこと。


そして2001年。彼女が迎えた本当の人生の転機は、認知症を発症された81才になるお母様を、ハノイでの生活に迎え入れたことだった。まだ、東京からの直行便も存在しなかった時代、小松さんは、白内障の手術を終えたばかりのお母様を連れて、故郷の新潟県魚沼を、再度後にした。


当然だけれど、ハワイだとかシドニーでの「のんびり海外老後ライフ」とは訳がちがう。ベトナムの夏は息が詰まるほどじっとり暑いし、暖房設備が整っていないこの国の冬は、実はとても寒い。貧困は、今も地方の多くの人々の生活を困難なものにしているし、一方で、ハノイや大都市の交通量はぐんぐん増えて、交通事故は増加の一途。急激なインフレは庶民の家計をダイレクトに圧迫している。実はつい先日、ガソリン代が30%値上がりし、わたしの通勤バイクタクシーも片道20000ドンから25000ドンへ値上げされてしまった。わたしにだって大打撃なのだから、バイクを日々の交通手段としているこの国の一般の人たちにとっては、一体どれだけのものだろうか。医療や福祉の制度だって、わたしはまだお世話にはなっていないけれど、どんなものかは大体想像がつく。


話は元に戻るが、普通に考えれば、「ありえない」、小松さんとお母様のハノイ生活。
自分の都合で、認知症の年寄りを途上国に連れていくなんて酷い、そんな意見は当然あるだろうし、小松さん自身、そんな批判はおそらくこれまでも散々受けてこられたことだろうけれど、彼女の話す2人の生活には、日本の介護問題にありがちな悲壮感をまったく感じさせない、カラッとした明るさがある。


もちろん途上国ならではの苦労は当然あるそうだが、小松さんいわく、儒教の影響を強く受けるベトナム人の、お年寄りを敬う態度や、近所同士の相互扶助の精神が、2人の生活を大きく支えているとのこと。小松さんが出かけるときなどには、近所の人たちがお母様の「見守り隊」を結成し、代わりに面倒を見てくれたり、率先して、でもごく自然に、日々のお話し相手になってくれたりと、そこには、見栄も義理も(当然、金銭も)介在しない、人と人との間に存在する当たり前の「優しさ」がある。お母様自身、「雪下ろしを心配しなくて済む」と、ベトナムに来て、以前よりもずっと元気になられたのだそうだ。


小松さんの体験談については、昨年、『越後のBaちゃんベトナムに行く』(小松みゆき著)というタイトルで自費出版されたものが話題を呼び、昨年10月には、NHK教育テレビで2人の生活が特集されたとのこと。
皆様ももしご興味があれば、ちょっとリサーチしてみてください。


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最近つくづく思うのは、今の世の中、(特に日本人は)本当にいろんな生き方が許されているということ。もちろん、短期的に見れば、家庭の事情なり、仕事の事情なり、モロモロの現実的な理由で、全部が全部、すぐに描いたようにはいかないけれど、ハノイに来て、本当に沢山のバックグラウンドを持った日本人の方々に出会って、お話を聞くたび、それまで自分を知らず知らずに縛っていた「何か」を、ますます明確に感じるようになった。


先日お会いした、WWF世界自然保護基金)の女性も、いつも新しいネットワークを見つけてくれるUNIDO(国連工業開発機構)のMさんも、WHO(世界保健機構)のKさんも、インターン先のTさんも、日本企業で長く働かれてから、そのキャリアを捨てて、NGOや国際機関での地道なボランティアやインターンを経て、現在の機関で活躍されている。この業界の仕事というのは、数年単位の契約による雇用形態がほとんどで、「安定」というのには程遠いはずなのだが、始めてしまえば、どうにでもなんとかなるものだから、と皆、何でもなさそうに、口を揃えて言う。


もちろん、海外に出ることが全てだということは全くないし、日本でも、高い志を掲げて、大変な挑戦をしている人たちをわたしは沢山知っている。そしてそもそも、開拓や冒険が人生の全てではないし、わたしも本質的にはコンサバな人間なので、それぞれの社会で育まれてきた従来の価値観を、全部ひっくり返してやりたいとも思わない。先ほど、こちらに来て、自分を無意識のうちに縛ってきた「何か」を意識するようになった、と描いたけれど、その「縛り」さえ、全てネガティブなものだと否定する気もない。それになにかしらの意味を見つけて、尊重しようと思うのもまた、自分の意思だから。


ただ、実際に自分がどんなアクションをとるかどうかは別として、世の中には、これだけいろんな生き方や可能性があるのだということを、自分に対しても、他人に対しても、受容する心のゆとりがあるかどうか、それは結構大切なことのような気がする、今日このごろです。


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写真は、先日イエンバイ省で、SCJのマイクロファイナンスを利用されている低所得家庭を訪問したときの光景。