sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

ハノイの「陰」と、平和再考。

sayakot2008-07-07

ハノイでの生活が始まって、約2週間。日々の街の光景に、いちいち驚くこともなくなった。
わたしが家を出る朝8時は、ちょうど人々の出勤のピークであると同時に、出掛けの朝食の
時間帯。我が家から通りを挟んだ目の前の歩道は、毎朝、フォー(米できたベトナムの麺)の大鍋と簡易コンロ、そして小さなプラスチックのイスに座ってそれをすする人々で賑わっている。若い男性客が大半かと思いきや、若い女性や小さな子供を同伴した家族連れも、意外に多い。


そして一方、車道をいっぱいに埋め尽くしているのは、以前ご紹介したとおり、オフィスに向かう自動車、ではなくて、バイクの海。ベトナム経済にお詳しい日本人Mさんのお話によると、ベトナム国内のバイク台数は2007年の時点で約2100万台。かたや約100万台という自動車のそれを、大きく上回っている。そして更にその数は、毎年200万台のペースで伸び続けているそうだから、今後、地下鉄のような公共交通機関が導入されないかぎり、ベトナムのバイク天国は、ますます勢いを増していくことだろう。ハノイのドライバーたちにかかれば、定員をはるかに上回る、3人、4人乗りも、信号無視も、時には逆走だって、何でもアリ。雨季の今は天候が非常に不安定なのだが、ポツリポツリと降り出すと、皆、一斉にバイクを止め、座席からポンチョを取り出して頭からすっぽりとかぶり、そしてまた、何事もなかったかのように走り出す。道が浸水し始めると、今度は一台、また一台と、歩道を走行するドライバーが現れる。バイクとの接触をよけるために、大雨のなか傘をすぼめなければならない歩行者にしてみれば、本当に、たまったものではない。


これがマニラでの光景であれば、その「めちゃくちゃ」さが、いかにもオープンであっけらかんとしたフィリピンらしいと、つい、ほほ笑ましく思うのかもしれない。だが不思議なことに、ここハノイには、そうした「コミカルさ」がほとんど存在せず、どちらかというと、「シュール」という表現がぴったりはまる。そしてそれは、こうしたバイク事情に限らず、日常のあらゆるシーンにおいて、通じることだ。スラムも、ストリートチルドレンの姿も不在のこの街には、日々のさりげない風景の中に、フィリピンにはなかった、薄暗い「陰」が見え隠れする――そんな気がするのである。もちろんこれはすべて、現地の言葉も理解できない、滞在わずか2週間の外国人による、勝手な「ベトナム像」であることは百も承知で、それでもあえて言わせていただけるのであれば、の話なのだが。


この「暗さ」は、一体どこからくるのだろう――?
単に、雨季のせいで毎日空気がどんよりと重たく湿っているからなのか、マクドナルドやセブンイレブンといった、外資フランチャイズ・チェーンがほとんど見られないからなのか(KFCは見つけましたが)、それとも、ベトナム戦争という過去や、社会主義というこの国独特の気質によるものなのか。街のあちこちで見かける、経済成長への貪欲な決意を表明した、政府の大きなスローガン広告や、仰々しい濃い緑色の制服を着た若い公安警察たちの姿が、一体どこまで影響しているのか、それもよく分からない。


ハノイに駐在する日本人の方たちに何名か聞いてみたところ、誰も特にはっきりとした答えを持っているわけではなかったが、
「どこか息がつまる感覚」というのは、多くの人が共有している様子で、滞在期間が長くなればなるほど、その傾向は特に強いようだった。


もっとも、ベトナム歴の長い駐在員の方たちによると、ハノイは特に、地理的にも人々の気質的にも、東アジア、特に中国の影響が強いそうで、かたやおおらかでのんびりとした、いわゆる「東南アジア」の色が強い、南部のホーチミンは、またまったく異なる雰囲気を持っているとのことだったが。


わたし自身はまだホーチミンに行ったことがないので、2つの都市を比べることはできないが、マニラとの比較で言えば、ハノイの人々はどこかシリアスで、感情をあまり表に出さない。(もっとも、根アカでラテン気質なフィリピンに比べてしまえば、日本を含め、アジアの大抵の国は、無愛想で保守的に映る気もするから、こうした比較はそもそもフェアーでないかもしれないかもしれない。)いずれにせよ、ベトナムでは、言葉も何もまったく通じないものだから、市場でちょっと野菜や日用品を買うときも、通りの屋台で食事をとるときも、タクシーに乗るときも、ついつい身構えてしまって、疑心暗鬼に陥ってしまう自分に気付く。


おとといも、近くのマーケットで、2キロ強のスイカを買おうとしたのだが、店の言い値が、相場よりもずいぶん割高(のように思えた)で、交渉をしようにも、先方はこれがベトナム価格なのだと一点張り。結局、買うことができないまま、その場は決裂してしまった。不健全な疑心暗鬼を避けるには、少々高めでも、値段が固定している外国人向けスーパーで買い物をするのが良いのだが、日々の生活のことなのでやっぱりそういうわけにもいかないし、そうした方法に頼ってばかりいては、人々との距離が遠くなるだけだ。
しばらくは、SCJの同僚に相場を教えてもらったり、実際に市場でやりとりする過程で、こちらのルールを自分たちで見つけていったりするほか、ないようだ。


とかなんとか、以前の生活に比べるとやはり不便な部分はあるのだが、それでも、大抵のことは何とかなるし、これはこれで、世の中は自分に都合の良いように出来ているわけではないのだという、ごく当たり前のことを知る、良い機会である気がする。というか、水道からは砂利の交じった水しか出てこないというタジキスタンを始め、パレスチナ、ヨルダン、スリランカなどでインターンをしているクラスメートたちに比べれば、これでもずいぶん恵まれていて、こんなことを言っていると、間違いなく彼らに怒られてしまう。


何より、近頃の自分の傾向として、ついつい何でも、温かく自分を受け入れてくれたフィリピンと比べてしまい、どこか恋しくさえ思ってしまうところがある。この数ヶ月、将来は是非、フィリピンの社会開発に関わる仕事を、という気持ちを強く抱いてきたが、実は最近、そうした自分の志向に、疑問を感じるようになった。そうしたわたしの身内贔屓のマインドセットの中に、自分に親和性のある社会だけを、無意識のうちに「スタンダード」にしようとする、危うさが潜んでいないだろうかと。その結果、自分たちは歓迎されて当然なのだと心のどこかで期待し、自分たちが適応しにくい社会に対しては、なんと未成熟で閉鎖的な社会なのかと、傲慢な優越感を抱いてしまうのである。そしてそれは結局、かつての植民地主義のメンタリティと、大差ないのではないかと思う。



敬愛する、インスブルグ大学のウォルフガング教授は、ドイツ語における「平和(Friede)」の語源は、「他者を、あたかも自分の身内のように接すること」という意味なのだと言っていた。


他者の持つ「差異」に対し、それを糾弾するでも、変容を迫るでもなく、ただありのままを、自分のものとして受け容れること、それが、世界の「平和」の基盤なのだと、わたし自身が本当に信じるのであれば、自分自身がもっともっとベトナムに開いていかないと、本当、お話にならない。残り3ヶ月、自分とベトナムの「つながり」を、もっともっと探し、築いていきたい。



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写真は、ハノイの繁華街。
通りを気だるく走る、「シクロ」という人力車に乗っているお客は、何故か大抵、西欧系の人たち。漕いでいる人も、乗っている人も、いつも無感動な様子が印象的。