sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

現実的平和主義者であるということ。

sayakot2008-06-06

今月下旬からいよいよ始まる3ヶ月間のインターンシップ【実践編】を前に、わたしたちのプログラム【座学編】をしめくくったのは、東京外語大学大学院平和構築・紛争予防学講座で教鞭をとられる伊勢崎賢治教授の『市民社会と平和構築(Civil society and Peace-building)』。タイトルだけみれば、一見、爽やかな印象だが、実際は。。。ぶっきらぼうなジャパニーズ・イングリッシュで連日容赦なく要求されるレポート課題にようやく区切りがついたかと思えば、今度は連日のプレゼンテーションの嵐。フィリピンの滞在生活が残りわずかになったと感慨にふける余裕など一瞬もなく、毎日眠たい目をこする3週間だった。


伊勢崎教授の問いかけは、常にシンプルでストレート。それなのに、今までになくハードルが高く感じられるのは、それがただ高度な知識と理解力を必要としているからというよりも、いずれのトピックも、教授自身が実際に現場で遭遇してきた、強烈な原体験を背景としているからだ。シンプルな言葉一つ一つの持つ重みと緊張感が、教授のそれとわたし達のそれとでは、「何か」決定的に違うのである。


時には日本政府の代表として、ある時には国家予算規模を上回る国際NGO「プラン・インターナショナル」のトップとして、そしてまたある時には国連の代表として、伊勢崎教授はこれまで、平和構築の現場を、最前線で動かしてきた。シエラレオン(ディカプリオ主演『ブラッドダイヤモンド』の舞台)、東ティモールアフガニスタン―‐。いずれも、かつて、そしていま現在も、平和学の教科書のケーススタディとして真っ先に取り上げられるような、混迷に混迷を極めたエリアだ。その経歴を知れば知るほど、わたしはこの日本に、教授のような人物がいたということに、つくづく新鮮な驚きを覚えた。



Q:『平和(Peace)』と「『正義(Justice)』は共存するか?」
例えばこの問いに、あなたならどのように答えるだろうか。
「もちろん共存は可能だ。正義のないところに平和など存在するはずがない――」自信たっぷりのこんな回答が聞こえてくる一方で、「・・・??」そんな困惑に満ちたリアクションも想像できる。


教授いわく、「平和」とは、とても政治的な概念で、長期に及び紛争が続いてきた地域では、しばしば、「平和」と、人々の「正義」とが相容れないものになる。つまり、紛争地域での平和構築の第一歩は、まず、それまで互いに攻撃し合っていた主体間で取り交わされる、「停戦」協定や「和平」合意によって形作られていくのが基本だが、それは同時に、紛争下で行われた数々の残虐行為を、「誰が」「どのように」に裁くのかという、「正義」に関する、根深い問題の始まりでもあるのだ。


ルワンダのように、国民の大半が、虐殺の直接的な「加害者」か「被害者」である場合や、シエラレオンやアフガニスタンのように、政府が反抗勢力に対しあまりに脆弱な場合、強引な勧善懲悪の追求は、更なる社会不安をもたらすことになりかねない。国民の半分を収容できる牢獄など、物理的に存在するはずがないし、紛争直後の社会には、まともに機能する警察組織や司法機関がそもそも存在しないからだ。


政府が「平和」と引き換えに、「正義」を犠牲にするとき――それは、社会がそれだけ、極限に疲弊しているということだ。シエラレオンでは、反政府ゲリラRUFによって、国民の数%に及ぶ人々が命を失い、見せしめとして生きたまま腕や足を切り落とされた。だが、1999年のロメ平和合意は、RUFが政党に昇格すること、そのリーダーが副大統領に就任すること、そしてRUFメンバーによる過去すべての犯罪を、無条件で「恩赦」とすることを認めた。この合意には世界中から激しい批判が浴びせられたが、専門家の間では、「他にRUFを合意させる手段はなかった、」というのが現実的な見方となっている。


かつて村々を焼き払い、女たちをレイプし、子供を戦闘員として連れ去り、残虐の限りを尽くしたゲリラたちは、こうして、「平和構築」プロセスの名の下に、何の罪も問われないまま、再び社会に、「市民」として統合されていく。そして伊勢崎教授は、当時まさにこの、元戦闘員たちの保持する武器の回収と、彼らが「社会に戻るため」に必要なワークショップや職業訓練を提供する、国連の『武装解除DDR: Disarmament, Demobilization and Reintegration)』ミッションの責任者だったのだ。


「戦争を終結させるため」とはいえ、どうしてゲリラばかりが優遇されるのか、と人々が不満に思うのは当然だが、その当たり前の「正義」さえ保証されない、それが紛争直後の社会の現実だ。
『(通常の社会では)人を数人殺せば殺人罪で処罰を受けるのに、何千人と殺せば、今度は「恩赦」が与えられ、しかも優遇までされてしまう』この世界の矛盾を、伊勢崎教授は痛烈に皮肉る。


『過去の出来事はすべて水に流し、これからは共に平和な未来を築いていきましょう――』
そのメッセージは、一見、とても深く美しいが、それが、果たして実際に痛みと苦しみを被った人々自身による、心からの気持ちから生まれたものなのか、単に社会制度上の限界と、既得権益を維持したい有力者たちの政治的思惑に基いたものなのか、わたし達は理解する必要がある。


そして、紛争後の社会に、「平和」が本当に根付くかどうかは、一度は失われた「正義」を、未来に向けて回復させる、その復興のプロセスにかかっている。「平和」とは、戦争の終結それ自体が、自動的に保証するものではないのである。戦後、そこに残されているのは、廃墟と化した村々であり、家族や財産、自分の体の一部を失った市民であり、新政権のポジションを虎視眈々と狙う、かつての反対勢力だからだ。だが、人々の復興に向けた試みに、更に立ちはだかるのは、アメリカを中心とした大国のパワー・ポリティックスという、この世界のもう一つの現実だ。


人々の「正義」を犠牲にして、ようやく誕生した「平和」さえ、大国の複雑な思惑としがらみによって翻弄されてしまう――。その不条理さに戸惑いを隠せないわたし達に対し、教授は言う。


「君たちに、この世界を理解しろと言っているわけじゃない。でも、現実は知っておかなければいけない。今、この瞬間にも、人々は、死んでいくんだ。それがたとえ、『理解できない』現実だとしても、その枠組みの中で、最善の道を探していくしかないじゃないか――。」


それは、“Love&Peace”を叫ぶだけ叫んで、現実を何も変えられない、そんな無責任で無力な平和愛好家には、決してなってくれるな――そんな、教授の心からのメッセージであったかもしれない。「現実を知る」ということと、「変化を諦める」ということは、まったく異なるもの。冷静なマインドを保ちつつ、その奥底に、燃えるような反骨精神と理想を失わないこと、それがこの3週間の最大の学びだった。


下記、伊勢崎教授のプチ平和学講座です。
http://www.magazine9.jp/isezaki/index.html
是非、どうぞ☆



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写真は、ご近所の下町コミュニティの玄関先にて。