sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Manila Report 1周年。 〜1つの節目〜

sayakot2008-04-08

出発当日。とても気持ちの良い朝。
明日はまったく別の景色を見ているのかと思うとなんだか変な気分。
正直あまり実感がわいてない。
1年半もの間、日本を離れること、残していく家族のこと、
帰国後のキャリアのこと等を考えると、もっとソワソワしても
いいような気もするけれど、こんなに気持ちが穏やかなのは何故だろう。
単にイマジネーションがないからなのか、かれこれ3度目の留学(幼少期の
Stanford生活を含めると、なにげに4度目)だからなのか、
これから始まる生活が待ちきれないからなのか、よくわからない。
分かっているのは、今までにないワクワク感を体中が感じていること。


父と見慣れた桜並木を散歩し、ドラッグストア等々で最後の買い物。
電話で神戸の祖母に電話する。さあいよいよだ。


。。。
ちょうど一年前の今日、こうして始まった、Manila Reportの最初のページ。
読み返してみると、かなり気恥ずかしいが、同時に、今自分がこうしてこの場所にいることの幸せを、改めて実感する。


ほとんど思い込みに近い、漠然とした問題意識だけを信じて飛び出してきた当時のわたしは、開発に関する専門用語はおろか、
平和学の基本的なコンセプトさえ一つも知らず、実のところ、自分が持っている問題意識の妥当性にさえ、自信がなかった。


こうして一年たった現在も、相変わらず、具体的な「帰国後のキャリア」が大して定まっていないままなのは自分でもどうかと思うけれど、人生の方向性、という大きな意味においては、まさに今、それまで断片的な点としてパラパラと散らばっていた何かが、連続性を持った線として、そして広がりを持った面として、少しずつ何らかの形になりつつある、気がしていて―∸それが結果的にどのようなことになろうとも―∸今の時点では、そうした手応えだけで十分な気がしている。
もっとも、同世代の友人や前職の同期たちが、日本の社会で確実に年次を積み、連絡をとる度に確実に頼もしく成長しているのを感じる中で、周囲から一体自分はどのように映っているのか、まったく気にならないといえばウソかもしれないが。


この一年間で得たものといえば、まだ言葉にするには早すぎるかもしれないが、平和学の表面的な知識云々というよりは、例えば、アジアと中米での生活を通じて、「外国」=「西洋」という、自分の中での「欧米コンプレックス」を脱却したことがそうであるし、フィリピンという、この貧しいアジアの国に対し、ほとんど愛情のような親密な「つながり」を発見したこともそうである。だがそれより何より、自分が生まれ育った日本の社会を、一方で批判的に、そして同時に、それを宿命として引き受けながら、それをスタート地点として、「日本」と「世界」を何らかの形でリンクさせていくことを、自身のミッションとして信じられるようになったことが、一番大きい。


そうした意味で、一年前の今日、大した根拠もないくせに全身で感じていたあの「ワクワク感」は、あながち見当外れではなかったかもしれない。


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卒業まで、残り7ヶ月弱。
これからまたどんな展開が待ち受けているのか分かりませんが、こんなところまで来てしまったら、行けるところまで行くしかないですね。自分で言うのもおかしな話ですが、こんなに贅沢な時間は、これからの人生においても、タブンなかなか持てるものではないと思うので、日々の一瞬一瞬をかみしめつつ、修行を続けていきたいと思います。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。