sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「勇者の日」に思うこと。

sayakot2008-04-07

今日はお休みでした。
理由は、アロヨ政権が昨年制定した、祝日を合理化する法律に基いて、4月9日の
「勇者の日」が、一番近い月曜日(つまり今日)に振替えられたから。


さて。この、ドラクエのような響きを持つ「勇者の日(Day of Valor)」。
実は、わたしたち日本人にも深く関係している。


今から66年前の、1942年4月9日。
ルソン島中部バターン半島に立てこもったアメリカ・フィリピン軍部隊は、日本軍に降伏。
「勇者の日」は、本来、このバターン陥落から始まる、「死の行進(Bataan Death March)」
など、フィリピンにおける一連の戦争被害を心に刻む日として制定されたのが始まりだそうだが、現在では、戦時における同志たちの英雄的な行為を記念する日としての意味合いが強いようだ。


フィリピン人が先の戦争をどのように見るかに関しては、アメリカとの歴史的つながりが深く関わっている。1898年に、スペインから
2千万ドルで購入したことに始まるアメリカのフィリピン統治は、第二次世界大戦の始まりと同時に、日本がフィリピンに侵攻した際(まさに、バターン陥落の日)に、一旦途切れるが、1945年の日本の敗戦に伴って再び復帰する。フィリピンが独立を果たすのは、翌年の1946年になる。


バターン半島コレヒドールにある、太平洋戦争記念館前には、“BROTHERS IN ARMS”と名づけられた、2人のアメリカ兵とフィリピン兵の大きな銅像がある。アメリカの退役軍人の会が寄贈したと思われるこの像は、マシンガンを装備した体躯の良いアメリカ兵が、傷ついた軽装のフィリピン人兵士に肩を貸すように歩く様子を表しているのだが、この、“庇護者としての兄アメリカ”と、“守られる存在としての弟フィリピン”という対照的な表象には、日本人のわたしをしても、若干の違和感を持ってしまう。


実際、こうした“偉大なるアメリカ”によるフィリピン「解放」の構図に対し、それでは日本の統治以前に自分たちを占領していた、
それまでの約40年間は何だったのか、と不快感を露わにするフィリピン人は、意外に多い。これはわたしの感覚的な観察でしかないが、フィリピン人にとっての「終戦」は、?アメリカによる「解放」の象徴である、という少し卑屈な語り ?アメリカと「共に」勝ち取ったものである、というニュートラルな語り ?同志であるフィリピーノ達が流した血によって勝ち取られた、日本だけでなく、アメリカを含む列強からの独立である、というナショナリステッィクな語りまで、様々だ。それは、一つの国民国家としての意識が形成される以前に、ある日突然に、大国に「所有」され、数百年の年月を経て、国家としての独立を迎えた、フィリピンの人々の、錯綜するアイデンティティーを象徴しているようでもある。


だから、4月9日「勇者の日」が示唆する「勇者」が、果たしてフィリピーノたちに限定されるのか、それとも、「共に」闘ったアメリカ兵も含むのか、その境界は興味深いところなのだが、周囲のフィリピン人に聞いても、その認識は曖昧で、うーん、考えたことがなかった、というのが大半のリアクションだったりする。


とはいえ、それはそれ。
よく言われていることだが、わたしたち日本人は歴史を知らなさすぎではないだろうか――。
もちろん自分自身の反省を含めてのことなのだけれど、こちらに来てから、様々なシーンで痛感することが多い。


例えば時々、あたかも旅行の前日に現地の気候をチェックするかのように、フィリピンの「反日感情」について聞かれると、うーん、と答えに悩んでしまう。韓国や中国からの一連の手厳しい論争によるトラウマも関係しているのかもしれないが、本来、私たちが他国の歴史認識――特に日本に対するもの――を理解しようとするとき、その主眼は、表面的な症状(symptom)にではなく、そこで生きてきた人々が、かつてどのような痛みを経験し、その記憶がどのように語り継がれてきたか、そして、人々が、意識するとせざるに関係なく、そうした形で記憶を語り継ぐことを選択させた構造的な背景に、向けられるべきなのではないだろうか。


たしかに、今までのところ、フィリピンで、先の戦争を理由に、差別や嫌がらせを受けたことは一度もない。過去は過去なのだと、彼らは穏やかに言う。だが、わたしたちはその言葉を、過去を過去として忘却してもよい、というメッセージに取り違えていないだろうか。彼らの赦しは、決して、この土地でかつて人々に課せられた痛みを、あたかも存在しなかった出来事としてすりかえるものではないし、私たちが自身の歴史に無自覚であることを許すものでもない――フィリピンの歴史は、紛れもなく、私たちの歴史でもあるのだ。