sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

感動の再会と、その中身。

sayakot2008-01-16

先日ブログを書いたその日の深夜1時頃、ロスのTACAオフィスからメールが届いた。


「本日、アメリカン航空からあなたのスーツケースを受け取りました。先ほど
コスタリカに送りました。タグの番号はXXXXです。明日の朝には届くでしょう。」


という、至ってシンプルな内容。
長期戦になるかと覚悟していた矢先の、当然の朗報に驚くと共に、どのような経緯でアメリカン航空に引き取られていたのかは相変わらず何も説明されないまま。翌日授業後、本当だろうかと半信半疑になりながら、空港までピックアップに行く。家までお届けしますとも言われていたが、また手配ミスなどになっては元も子もないし、きちんと説明を聞くためにも、自分が
出向いた方が良いだろうと判断。


とはいえ結局、カウンターにいた担当者は事情をよく知らされていない模様で、詳しいことは何も知らないようだった。そして補償金だという$75を機械的に受け取った後、ようやく5日ぶりの対面を果たす。帰りのタクシーで、先ほどゴロゴロ転がしながら感じたスーツケースの重みが、
全部石だったらどうしようかなどとシュールな想像をしてみたりした。
だが、中身はすべて無事だった。


翌日、問い合わせをしていた日本にあるTACA航空の代理店と、海外留学保険の会社から、それぞれとても丁寧なアドバイスメールが届いていて、読んでいたら何故かこちらが恐縮してしまった。こちらのTACAオフィスとの対応のコントラストには、笑ってしまう。
まあ何はともあれ、全て無事に解決したし、なんだかんだ憎めないラテン社会のCultural experienceだったということで、
結果オーライ。


ところで、スーツケースからまっ先に取り出したのは、祖母から渡されていた、彫刻刀5本セット。
それは、日本に帰るとき、ホストファーザーで大工のホセに頼まれていたものだった。


「木彫画で『最後の晩餐』を彫ってみようと思うのだけれど、コスタリカには細かな作業に適した道具がなくてね。表情を彫るのがとても難しいんだ。もし出来たらでいいのだけど、日本の技術を使った、良い彫刻刀を買ってきてくれないかい」


そう遠慮がちに言いながら、彼は専門書カタログを見せて、こういうのが良いんだけどねえ・・・と、あれこれわたしに説明した。


東急ハンズを頭に浮かべながら、いいよ、と安請け合いしたは良いものの、彼の細かな要望を聞けば聞くほど、その責任の重大さに、内心困ったなと思った。


だが日本に帰って、心配は吹き飛んだ。わたしの祖母は木彫が趣味で、わが家には、祖母がわたしたち兄弟一人ひとりのために作った箪笥がある。元旦、神戸に帰省した際に事情を話したら、よしきた!とばかりに、年始でまだ浮き足立った三宮のユザワヤに連れて行ってくれた。


もともとホセからは、もし予算オーバーしたら後で払うから、と70ドルを受け取っていたのだが、祖母にそのことをポロっと言った途端、「刀は日本の伝統工芸の一つなんやから、そんなお金なんて受け取ったらあかんよ」と、1本3000円近い彫刻刀を5本買ってくれた。日ごろは謙虚な祖母は、こういうときは決して譲らない。
1200℃の高熱で鍛え上げられたという、祖母の選んだ彫刻刀は、素人目に見ても、眩しく美しかった。


・・・。
そして念願の、プレゼントタイム。
これは祖母からのプレゼントなのだとホセに伝えると、彼は最初ポカンとして、しばらくして、それでもまだ信じられない、という表情で、本当に良いのかいと何度もわたしに確かめた。そして、これはすごいと手にとり、宝物をもらった少年のように刃を宙にかざしていつまでも眺めた。刃の形を指で何度も確かめるように撫でながら、こんなに見事な道具は、一生使えるよと目を輝かせた。彼は本当に職人なのである。そして、祖母が気を利かせて一緒に買った砥石に気付くと、サンホセ中を探したけれど見つからなかったんだ、とさらに大喜びした。



と、こんな経緯があったので、今回のスーツケース紛失事件では、なかなか「お釈迦様の境地」にはなるのはなかなか難しかったのです(笑)。なんというか本当に、やっと日本から帰国した、という感じがして、ほっとしました。
ご心配くださった皆サマ、本当にありがとうございました。


◆◆◆
写真は、浅草寺にて。