sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

帰国レポート (番外編)

sayakot2008-01-11

実はコスタリカに戻ってくるまでの道のりは、そんなにスムーズではなかった。
そもそも、一緒の便で帰るはずだった国連平和大学の同期が、出発の当日の
朝になって高熱でダウンし、後日遅れて行くとの連絡を受ける。


そしてロスアンゼルスでの乗り継ぎでは、約2時間猶予があったはずなのだが、そもそも飛行機が少し遅れて到着した上、移民局が大混雑ということで機内で20分近く待たされる。機内を出てからも、ホールから溢れるばかりの人で、なんとか抜け出した頃には、コスタリカ行きの便出発まで、1時間を切っていた。運の悪いことに、成田から利用したアメリカン航空と、中米を結ぶTACA航空は、ターミナル間がだいぶ離れている。途中、間違ったターミナル番号を教えられたりして、あちこちを遠回りしながら、スーツケースをガラガラと抱えて、走る、走る。


やっとの思いで到着したTACAのチェックインカウンターは(当然だけれど)既にクローズしており、完全にガランとしていた。他の航空会社のスタッフに、階下にあるTACAオフィスの場所を教えてもらい、再び、走る。そして、既に業務が半分終わってすっかりくつろいでいるTACA職員に、どうしても乗せて欲しいと懇願。最初は全くとりあえってもらえなかったが、次第にかわいそうになったらしく、何とかOKをもらう。ただし、スーツケースは積み込み作業が間に合わないため、翌日の便で搬送するとのこと。手元になくなることの不安は当然あったけれど、スーツケースと一緒に次のフライトまで待てば、到着は翌朝。明日からスタートする「社会企業家」ゼミには何としても参加したかったし、空港で10 時間、何もすることもなくただ待つのも厳しいと判断。


アルバイトらしいラティーノの少年スタッフにエスコートしてもらい、セキュリティーチェックのための行列もがんがん突き進む。通過した瞬間に、すでに連絡を受けて待ち構えていた乗務員に、パスポートと搭乗券をひったくるように取り上げられ、一緒に搭乗口まで、走る、走る。。。


座席に着いた時には汗ダクで、足は痙攣。エスコートしてくれた少年には、別れ際、You are so lucky!とウインクして言われたが、どうだろうか。機内では、倒れこむように寝た。日本に帰ったときのような胸のざわめきはまったくなかった。

コスタリカに到着すると、TACAの職員がテキパキとイレギュラーの荷物受け取りの書類を作ってくれ、明日の朝取りにきてくれれば大丈夫だよ、と言われてようやくホッとする。タクシーで家に帰ると、隠れて待ち構えていたダニエルとミチェルが、一足遅いクリスマスソングの大合唱で迎えてくれた。


そして翌日。化粧ポーチも、携帯電話の充電器も、家族へのお土産も、すべてスーツケースに入っていたことを思い出し、急にソワソワする。幸い、ラップトップ含む貴重品類は手元にあるし、服も、日本に持って帰らず置きっぱなしにしていたものが結構あったので、生活は何とか出来るのだが。授業後、再びタタシーで空港にピックアップに出かけたが、そこで悪い予感が的中する。キミのスーツケースはまだ到着していないようだよ、と何でもなさそうに告げられる。しかもロスアンゼルスの荷物管理事務所とは、連絡がつながらない様子。でも今夜にはきっと着くよ、となんとも本当に頼りない。


・・・。
言葉を失うわたしに同情してか、スタッフがホストマザーのマリアに電話をかけてくれ、状況を説明し、明日には必ず自宅までお届けしますと約束してくれた。そんな約束、一体どこまで信じてよいものかとついつい疑心暗鬼になる気持ちを抑えながら、今はこんなことを書いて気持ちを紛らわしてみたり。無事に再会できることを祈ってください。


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写真は、コロン町の一画を成す、高級住宅エリア。
今の時期は本当に気持ちの良い気候です。