sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

帰国レポート①

sayakot2008-01-10

もはや事後報告となってしまいましたが、年末年始は日本で過ごしました。
3週間弱の、長いようであっという間の一時帰国をたっぷりと満喫して、先ほど、コスタリカ「我が家」に帰ってきました。このCosta Rica Reportも日本にいる間は少しご無沙汰ギミでしたが、今後また随時アップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします♪
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地球の裏側から、どうしてわざわざ日本に戻ったのかと聞かれると、少し困る。決定的な理由があったわけではないけれど、旅行を考えていた南米が、実はコスタリカから飛ぶにしても
値段が張る(コスタリカ‐日本間が$1400なのに対し、例えばコスタリカ‐ペルー間は$900、
ブラジルになると$1200近くもする)とか、毎日が「旅」のように「非日常」なコスタリカの暮らしから、少し一息いれたくなったとか、まだ具体的に動き出すにはやや早いものの、今後の進路に関して、日本で情報収集したくなったとか、やっぱり家族との時間を大切にしたかったとか―。
そんな諸々の要素が重なって、迷った挙句、大学の冬休みと合わせて、戻ってみることに
決めたのだ。


日本までの道のりは、いろいろな意味で遠かった。
まず、コスタリカ‐日本間には直行便がないので、まずグアテマラ経由で、ロスアンゼルスへ飛ぶ(約6時間)。LAでは、前の男性客が忘れたらしい下着が謎にドアにかけぱなしになっていた、そんな安モーテルで一泊し、その後、日本まで直行で13時間。長時間フライトは「ひたすら」寝て過ごすのが一番なのだが、今回はずっと気持ちが高ぶって、一睡もできなかった。


胸のざわめきは、日本に着いてからも、1週間半ほど続いた。拠り所なく雑踏に呑みこまれそうになる自分を、別の自分が客観的に眺めている―、そんな不思議な感覚が抜けなかった。海外生活は今回が初めてでないし、そもそも前回の帰国からまだ数ヶ月しか経っていないのだから、まるで映画『ロスト・イン・トランスレーション』のヒロインようにこんなセンチな気分になるなんて、自意識過剰も甚だしいと思うのだけれど。旅好きの友達に言ったら、それは「逆カルチャーショック」ではないか、とのこと。


それにしてもまず、日本の「清潔さ」に驚いた。駅やデパートの公衆トイレで、特に実感する。紙が常に完備されていること(フィリピンではデパートでもペーパーがそもそも設置されていないことが多く、常に芯を抜いたペーパーを携帯する)や、使った紙をそのまま流せること(かなりの頻度で詰まる)だけでも感動したのに、人工的流水音でモロモロの音をかき消してくれる「音姫」や、ウォシュレットに遭遇したときには、思わず、「何もそこまでしてくれなくても・・・。」とつぶやきたくなった。


日本は、本当に「寒い」。もともと寒がりな上に、トロピカルな気候に慣れていたせいで、冬の寒さには凍えそうになる。フィリピンでもコスタリカでも、ホームレスや酔っ払い達がボロ布一枚で外で寝ている光景を見たけれど、それは、南国ならではかもしれない。温暖な気候だから、マンゴーやらバナナといった食べ物は比較的簡単に手に入れることが出来るし、快適なシェルターがなかったところで、死に即座につながることはないかもしれないが、それが良いことかはよく分からない。だから「南」の人々は一生懸命働かないのだ、という人もいるけれど、それは社会構造や政策的な問題を無視した議論のようにも思える。


そして日本は「豊か」だ。モノが溢れている。行き交う人たちがあまりにお洒落でコギレイで、びっくりした。デパートのショーウィンドーは眩しかった。最初のうちは、外に出ることを考えただけで少し億劫な気持ちになった。結局は友人会いたさに、「それなり」の格好をして毎日出歩いていたのだが、一人でいるときは、自分が街の風景から完全に浮いている気がして、本とi-podを持ってスタバに逃避したりした。


行きつけの美容院では、ミシュランのガイドブックを渡された。最近はこんなのが流行っているんですよ、とのこと。本を買った人々のうち、どれだけが実際にそこでディナーする幸運にありつけるかは別として、贅をつくしたこのセレブなカルチャーがある種、社会現象化していることに驚いた。


最後に、日本は「安全」。カフェなどで、携帯やハンドバッグをテーブルに置いたまま席を立つオバサンや、終電で鞄を投げ出したまま泥酔するオジサン、真夜中の繁華街を一人歩く若い女性。こちらでは、繁華街を歩くときは時計やアクセサリーを出来るだけ外すようにするし、バックパックでも何でも、前に抱えるように持つ。でもだからといって、日常生活に常にギスギスとした緊張感が漂っているわけではなく、どちらかというと、最低限のリスク管理みたいな感覚だ。確かに、引ったくりや強盗に遭遇する確立はコスタリカの方が高いかもしれないが、何かがあったときにさっと助けてくれる人が多いのも、この国ではないかと思ったりする。


・・・。
とか何とか、『ALWAYS 三丁目の夕陽』的メランコリックな気分に浸っていると、実はそれはそれで、違和感を覚える別の自分がいる。「日本は●●だ―。」と批判的になるのは簡単だけれど、所詮自分も、その社会の一部であることからは逃れられない。子供を失っても経済的事情で帰国できなかったバングラデシュの友人の状況と比べればそれは明らかで、彼にとっては、わたしのつぶやきなど、本当の「貧しさ」を知らないコムスメの戯言に過ぎないかもしれない。社会人時代に比べれば少しは「清貧」な生活を心がけるようになったといっても、やっぱり特別なイベントの時には素敵なレストランにも行くし、美白クリームは少々高くても、質の良いモノを選んでしまう自分がいるのは否定できない。


結局のところ、こうした2つの世界を多少なりとも自由に行き来できる幸運を、素直に引き受けながら、それに甘んじることなく、そういう自分として何を目指し、何を発信していくかを追求していくしかないのだと思っている。わたしにはいきなり最貧国に飛び込んで、現地の人々のために井戸掘りをして暮らしたり、日本で1日1ドル以下の生活を実践したりするほどのまっすぐさはないかもしれないが、かといって、自分1人が意識や行動を改めても世界の何も変わらない、そう開き直るほど悲観的でもないのだ。


もう一つ、「日本は●●だ―。」と決め付けてしまうことのリスクは、盲目的な批判は、社会のポジティブな変化を見逃させる。刻一刻と変化する世の中の動きに気付かず、ただ批評家になっていっても仕方ない。例えば今回、地元の東急スーパーで、エコバッグが思いのほか普及しているのにびっくりした。ほんの数年前まではほとんど見かけない光景だったので、おばあちゃん世代だけではなく、若者たちがかわいらしいプリントの入った袋を持参しているのは新鮮だった。中には「ファッション」としてのエコバッグの浸透を、皮肉る見方もあるようだが、きっかけが何であれ、そうした萌芽を見逃さず、それらが世の中の確かな変化につながっていくよう育てていく方が、よっぽど建設的に思える。要は、批判と受容と創造と、そのバランスなのかもしれない。