sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Nicaragua 〜百聞は一見に・・・〜 

sayakot2007-11-19

先週金〜日の3連休を利用し、ニカラグアへ行ってきた。
ニカラグアは、コスタリカとその南の国境を接していて、コスタリカの首都サンホセからは長距離バスで約8時間。共に長いスペイン支配の影響を受け、言葉も宗教も同じにするが、2つの国を隔てるものは、大きい。


1人あたりGDPでいうと、コスタリカが$4,580(2005年)なのに対し、同時期のニカラグア
それはわずか$895。また人種構成では、コスタリカは白人が90%以上と圧倒的なのに対し、ニカラグアではメスチソや黒人、インディオ系の人々が多く、白人は20%に満たない。



ニカラグア人は肌が黒くて、言葉が乱暴だ」
「保守的なマチズモ(男性優位主義)が残っていて、女が虐げられている」
ニカラグアから悪い人間がやってきているせいで、コスタリカの治安がどんどん悪くなっている」



コーヒーやバナナの生産を、ニカラグア季節労働者に大きく依存するコスタリカは、毎年、多くのニカラグア移民を受けいれている。キツくて、安い、そんな仕事を引き受ける彼らの存在なしにもはやコスタリカ経済は成り立たないのが現実だ。だがそれにも
関わらず、コスタリカにおける、この隣人のイメージは、あまり良いものとはいえない。


つい先日、コロン町の友人宅に空き巣に入り、ラップトップやデジタルカメラがごっそり盗まれるという事件があった。決して裕福とはいえないこの友人の身に起こった災難に、誰もが深い同情を寄せると同時に、一体誰が犯人なのか、話題はそこに集中した。そして、その日を境に行方をくらませた、ニカラグア人の同居人の存在が浮上した途端、誰も口にはしないものの、どこか「やっぱり・・・・」という空気が流れたのを覚えている。


さて。そういうわけで、今回のニカラグア旅行。行く前から、きっとずいぶん荒んだ雰囲気なのだろうと勝手に想像していた。


今回滞在したグラナダは、首都マナグアから南東45kmに位置していて、1524年にスペイン人が最初に創設した町だ。
町の中心には、コロニアル時代の雰囲気を今も残したカテドラルと広場があり、朝早くから遅い時間まで、人々がベンチで憩いの時を過ごしている。コスタリカではほとんど見かけることのない、鮮やかな織物やビーズの民芸品や、ハチドリやイグアナが彩られた
陶器は、見ているだけで楽しい気分になる。町のあちこちで、馬車の音が聞こえる。観光目的としてはもちろん、通常の輸送手段としても、馬がいまだ人々の日常に重要な役割を果たしているようだ。


夕暮れの風が涼しいテラスで、地ビールで乾杯していると、道端で物を売っている子供たちが集まってきた。コスタリカではほとんど見にしない光景。だが、執拗にお金をねだったりということもなく、ただ、この見慣れない日本人の旅行客が珍しくて仕方がない、
という感じだ。「おねーさんの名前はなに?」「●●は日本語でなんて言うの?」と、次々に質問をしてくる。そんな光景を、ウェイターたちも、あまり気にする様子もない。しばらくして、「ほら、お客さんたちのジャマしちゃだめだよ」と告げられると、ちぇ、つまんないの、という顔をしながらも、素直に応じて、ぱたぱたとどこかへ駆けていった。


家々の窓には、ピンクや黄色のカラフルなペンキの色が不似合いに、威圧的な鉄格子が張りめぐらされている。だが、通りに面したドアはオープンに開け放されていて、中の様子はまる見え。小さなリビングで、家族がTVを囲んで団欒しているのが見える。ロッキングチェアーに、生まれたばかりの孫を愛おしむように抱える老夫婦の姿もある。



「わたしの上司はニカラグア人でね、」と、一緒に旅行していたコスタリカ人が、何かの拍子にウェイターにそう話しかけたら、彼は「冗談でしょう??」と目を丸くして、でも嬉しそうに驚いていた。コスタリカ人がニカラグア人の下で働くなんて話を、生まれて初めて聞いた、という様子だった。


こんなにものどかで温かさに満ちた時間が、ここニカラグアでも流れていることを、コスタリカの人々は知っているだろうか。
たしかに道端にはゴミも多い。生臭い匂いも漂ってくる。ホームレスもいる。日の暮れかけたマーケットで執拗に絡んできた酔っ払いも確かにニカラグア人だったけれど、「やれやれ申し訳ないね、こんな人間ばかりじゃないのだけどね」とばかりに、わたし達のホテルのすぐ近くまで、夜道を付き添ってくれた子供連れの夫婦も、ニカラグア人だった。


短い滞在ではあったものの、人々がそこで確かに生きている、そのエネルギーが、ただ町を歩いているだけで感じられる、グラナダはそんな場所だった。