sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

いつもの風景

sayakot2007-11-23

国連平和大学は小高い山の上にある。
日々、学生たちはコロン町から出発する専用通学バスに乗り、この山道を登っていく。途中、雨が降るとすぐ増水してしまう川があったり、眼下に見下ろすことのできる深い谷があったり、大型バスがぎりぎり通れるだけのおんぼろ橋があったり、頭上にヒメコンドルが旋回していたり。なかなかワイルドで贅沢な「通学路」だ。最近になって雨季がようやく終わり、空はいよいよ青く、空気が澄み切っている。


大学が近づくにつれ、ワイルドな風景は徐々に収束し、住み分けるように、両脇にコーヒー畑が広がる一画がある。今、コーヒーがちょうど収穫の時期を迎えていて、緑と赤い実が枝にびっしりなっているのが、車窓からも見つけることができる。最近は日本でも、小さな観賞用ポットに入れたものを見かけることがあるけれど、こちらのプランテーションに植えられているものは大抵、1.0〜1.5mくらい。やはり全体に背の低い印象を受けるが、細い枝の割りに、力強く深い緑の葉が印象的。栽培に日陰を必要とするため、時折、大きな木が交じって植えられている。


そして少し離れたところに見えてくる、豪華な住宅群。何かのスタジオかと思わせるような、ガラス張りのモダンな家、大きな犬の
似合う、広いテラスのある家、門から家にたどり着くまでずいぶん時間のかかりそうな大豪邸も。このエリアの特徴は、馬が多いこと。カラフルな蝶がひらひらと飛び交う草原で、馬たちがのんびり草をはむ姿は、見ていて本当に気持ちいい。一般向けの、乗馬
コースもあるらしい。


それにしても、一体どうしてこんなに必要だろうかと思うくらい、このエリアには馬が沢山いる。牛や羊とは違うわけで、収入とか
コストとか、生産性とか、そんなこととは関係なしに、この国の人々はただ馬が好きなのかもしれない。まさに、世界から切り離された、「楽園」だ。


だが、よく注意を払ってみると、このコミュニティには2つのタイプの住人がいることに気づく。一方は先ほどの豪邸の主たち。優雅なリタイヤ生活を描いて移り住んできたアメリカ人や、外資のエレクトロニクス産業に従事する人々が中心だろうか。TOYOTAの真新しい大きな車がよく似合う。そしてもう一方は、ぼこぼこに穴のあいた山道の両脇で、収穫したばかりのコーヒーを大きな麻袋に分け、トラックに積み上げる人々。よく日に焼けた肌と、たくましい腕。カウボーイハットと長靴には泥と汗がなじんでいる。この住人たちの生活の糧は、馬の世話とコーヒーの収穫だそうだ。公共の交通手段がないため、町に出て定職につくことが難しいとのこと。


時折、小学生くらいの子供たちが、足場の悪い山道をとことことコロン町方向へ歩いて下る姿を見かける。わたしたちのバスが通ると、笑顔で手を振ってくれる。彼らはこの労働者たちの子供たちだ。通学バスではちょっとした遠足気分の山道も、この小さな足で行き来するには、どれだけの時間がかかるだろう。高等教育機関医療機関へのアクセスの障害も、容易に想像ができる。一度日が沈むと、コミュニティは完全に孤立する。


平和大学の中には、このエリアにホームステイする学生も複数いて、問題意識は高い。住民たちを組織化し、コミュニティとしてバスを購入し、運営する手段を模索する動きもあるようだが、大きな障害のひとつは、富裕層の住民と貧しい住民たちとの「断絶」とのこと。


前回、コスタリカニカラグアの格差について少し触れましたが、少し見渡してみれば、思いがけないほど身近なところにも同様の問題はあるもの。それは日本でも同じことかもしれない。目の前の空間が「のどか」で「平和」に見えるのは、そこを自由に行き来する手段が自身にあるからこそ。取り残されたものが見ている世界は、きっとまったく違うものであるかもしれない。


■■■
写真は、通学バスからの風景