sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「温泉」と「平和」とその「バランス」

sayakot2007-11-10

留学して、自分の中の何かが変わったか―。そう聞かれたとき、答えはYESとNO、両方だと思う。たしかに昔からぼんやり持っていた問題意識は、徐々に、
そして確実に明確になりつつあるけれど、(時々、誤解されるように)決して
四六時中、研究室にこもってストイックに「平和とは何か」を追求しているという
わけではナイ。たぶん、日本にいた頃の自分と、本質的にはそう変わっては
いないと(少なくとも自分では)思っている。


「実務家」の養成を主眼においたプログラムだから、と言い訳するわけではない
けれど、こちらに来て、やはり大学での講義だけが「全て」ではないなと感じることがしばしばある。今回のウォルフガングのケースのような、幸運な出会いは時折あるにせよ、この大学のように、学生たちの、出身や過去の経験、専門、あらゆるバックグラウンドがてんでバラバラの環境において、講師やテーマによって授業の質に多少のバラつきが生じてしまうことはある意味で仕方のないことであるし、それはこの多様性を引き受ける上での、ちょっとした代償みたいなものかもしれないと思う。


だからこそ、自分で本を読んだり、他の学生とお互いの経験やアイデアをシェアしたり、前回紹介したA氏とのやりとりのように、学問の世界や、民間、公的機関で活躍する日本の友人や知人と、メールで意見を交換したり、週末にホストファミリーに日本食をご馳走したり、地元の学校で日本文化を紹介したり、時には友人たちと、遠出したり。こうした経験のすべてが、今の自分の「学び」の手段になっているように思うし、いつの日か、「世界」と「日本」を何らかの形で「つなげて」いきたいと思う自分にとって、ひとつの領域でじっと何かをとことんつきつめるよりも、こうした日常のリアルな感覚を常に肌で感じながら、学問と日常との間、そして世界と日本との間(特に、途上国や紛争地域と、日本社会との間)とを、自由に「行き来」するバランス感を大切にしていきたいと思う。そしてそれは、どちらが正しい云々という話ではなく、単に役割分担の問題であるような気がする。


だから時折、会社を辞めて奨学金で「平和学」を学んでいると分かると、まるで、あなたは自分の全てを「犠牲」にして「俗世間」から距離を置くことを選んだのね、という反応が返ってくることがあるけれど、それはわたしの目指している方向と、まったく「正反対」ということになってしまう。覚悟が足りない、そう言われればそうかもしれないけれど、ルワンダリベリアなどで極限を経験した友人たちのことを知れば知るほど、善くも悪くも、わたしはミドルクラスの日本人であることから一生逃れることはできないし、これからも、そういう自分として、このフィールドで、自分の道を模索し続けるのだと思う。


。。。
そんなこんなで、少々長い前置き(?)になりましたが、先日、友人たちと1泊2日の温泉旅へ出かけてきました♪


コロン町から首都サンホセまでバスで約30分。そしてサンホセから長距離バスで2時間半のQuesada町へ。さらにタクシーに乗り換えて、奥地にガタガタと進むこと30分。ようやくたどり着いたホテルは、その名も「Termales Del Bosque(『森の温泉』)」。目当ては、ホテルから800mの距離にある、森の中の温泉。その道のりは、いったん日が落ちると、暗闇にぼぉっと光る蛍の光以外は何も見えなくなってしまうというワイルドさ。


うっそうとした熱帯雨林の中に、下は30℃くらいから、上は48℃まで、こじんまりとした温泉が7,8種類。わたしのお気に入りは、43℃もので、すぐ隣には、平行して川が流れている。そしてあたかもビーチのように、ビールやワイン、ピニャコラーダ等もその場で注文できてしまう。安全上、日本では考えられない気がするが、たっぷりとふくよかなアメリカ人のおばサマたちが、頭から湯気をたてながら、陽気にカクテルを楽しむ姿を見て、知らないということは幸せなことかもしれない、とふと思ったり。そういうわたしも、久しぶりにたっぷりの熱いお湯を満喫し、ついつい2時間近く浸かっていたら、すっかりのぼせてしまった。


翌日、なごり惜しむように温泉を再度満喫した後、行きと同様の行程でガタガタとバスに揺られ、帰路につく。コロン町にたどり着いた頃には、もう日が暮れようとしていた。すっかりリフレッシュしたはずなのに、もうクタクタ―。そう、家の扉を開けるなり、小さなダニエルが「お帰り!!」と息をはずませて駆け寄ってくる。


ああ、なんていう幸せ―。
これで当分、頑張れそうです。