sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

アンチ『世界平和』論 〜The Peace or A Peace?〜

sayakot2007-11-05

「この世界には、『いろんな平和(Many Peaces)』が存在する―。
『平和』を祈るとき、わたしたちは、それが果たして、『誰のための』『どんな』平和なのか、
理解していなければいけない―。」


一連の講義で、ウォルフガングがくり返していた言葉。


彼の言う「いろんな平和」の中で、最初に紹介されたのは、
『エネルギー的平和 (Energetic Peace)』という概念。これは、人間を「母なる大地」の「一部」とした上で、コンフリクトを含めた、あらゆる人間の活動 ――目に見えるもの、
見えないものを含めたすべて―― を、大きなエネルギーの流れの中に位置づける、
少しスピリチュアルな世界観だ。その中で、「平和」は、エネルギーが全体として
調和(harmony)している状態を指す。


これは一見、仏教やヒンドゥーの、いわゆる「東洋的」な思想に通じるものがあるが、
たとえばドイツ語で「平和(Friede)」の語源に、「他者を、あたかも自分の身内のように
接すること」という意味があるように、本来、西洋・東洋を問わず、多くの社会で共有された概念であるとのこと。
他者の持つ「差異」に対し、それを糾弾するでも、変容を迫るでもなく、ただありのままを、自分のものとして受け容れること、
それが、この世界の「平和」の基盤だった。


だが、人類の歴史に大きなインパクトをもたらしたのは、西欧社会で急速に発展したモラリストの概念による平和 (Moralist notion of Peace)』 と、『近代の概念による平和 (Modern notion of Peace)』の2つの概念。前者は、善悪をつかさどる「創造主」が、そして後者は、啓蒙時代に強化された「理性」と「合理」への信仰が、先ほどの「母なる大地」にとって変わった世界。『モラリスト』の世界では、神への道を歩む者だけに社会の規範を築くことが許され、そして社会にそれらの規範が実現されたとき、「平和」が実現するのだと考えられた。一方、『近代』社会では、理性や合理に基づく、「絶対的な真実」信仰が支配的になる。社会の「進歩」や「発展」に「平和」が見出されたこの時代には、帝国や教会、資本主義といった権力(Power)が、それを保障する仕組みとして、正当化されていった。


そして、ポストモダンの平和 (Post-modern notion of Peace)』の登場。絶対的な「神」も「真実」も、すべて「幻想」だった―。この世界観の特長は、社会の数だけ「真実」があり、「平和」があることにある。絶対的な規範からの解放と同時に、そこに
残された、混沌とした世界。それが、この概念の持つ「平和」のイメージだ。



さて。
この世界には、今もいろんな「平和」が混在している。
今なお、エネルギー的な世界観に固執する社会もあれば、モラリストの世界観に生きる原理主義コミュニティもある。それらの境界が不明確な場合も、当然ある。(例えばフィリピン社会のあのカオスさは、調和を重んじる本来のエネルギー的世界に、スペインや
アメリカによるモラルと近代のコンセプトが融合された結果に思える。)


そしてそれは、仮に世界中の人々が「平和」を祈っているとしても、そこで描かれている「平和」の中身がみな同じとは限らないということだ。だからこそ、「誰」にとっての、「どんな」平和が求められているのか、その実現には、「対話」に基づいた共通のビジョンが
必要になる。思うに、平和の構築に暴力が許されないのは、それが「対話」の可能性を遮断するからではないだろうか。


「平和」はたぶん、一般に思われている以上に、強烈な概念だ。特に、モラリストモダニストの世界観の中では、それはしばしば、水戸黄門の印籠のような、問答無用の「正当性」を発揮する。だから、現実の権力(Power)と結びついたとき、それはある意味で、もっとも容赦のない「暴力」になりうるということだ。帝国主義奴隷貿易ホロコーストアパルトヘイトetc…人類の歴史で流された血のほとんどは、当時、異世界に属する他者を「解放」し、自らの「平和」へ導くプロセスとして、正当化されてきた。我こそが「平和」の使者だと、誰もがそう信じて疑わなかったのではないだろうか。


そして、それは現代社会でも言えること。
例えば「テロとの闘い」という言葉。ニュースで聞いても、もはやなんの疑いもなく耳を過ぎていくし、TVシリーズ『24』は日本でも
大ブームだった。だが、自身が単純な二元論に陥る前に、一度大きく深呼吸をして、彼らを「テロリスト」にしているラベルがどこからきたのか、想像してみる必要はないだろうか。自分たちにとっての「テロリスト」が、遠くどこかの社会の「自由の闘士 (Freedom Fighter)」であることは、まったく珍しいことではないからだ。暴力に訴えることは一切賛成しないけれど、それでも、彼らは彼らのモラルの中で生きていて、彼らの世界での「平和」を追求している可能性を、常に認識していたい。そうでなければ、世界の「平和」を
切に願う自分が、他者にとっての「抑圧者」になるという、皮肉なジレンマから逃れることはできない。


「平和」は、「輸出」も「製造」もできない、ウォルフガングはそう言い切る。
二つの異なる「平和」が対立するとき、両者は「対話」を通じて、それぞれの「平和」から、新たな「平和」を共に創造していく必要が
ある。単一で、普遍的な「平和」が存在しない代わりに、それぞれのいろんな「平和」が共存する道を模索する、そのダイナミックな
プロセスが、緩やかな統合体としての『世界平和』ということになるのかもしれない。


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写真は、週末にでかけた温泉宿の近くで見つけた木。
この国は、不思議な木が沢山あります。