sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Wolfgang 旋風 〜「自分」と「世界」の「関係性」〜

sayakot2007-10-31

「私のことはファーストネームで呼んでくれたまえ。
『ミスター』も『教授』も必要ないよ。」


「彼」が最初に、わたしたちの前に登場した日―。
平和研究のビッグ・ネームがお見えになるから、と学部長による事前の
アナウンスメントを受けて、当日は皆、やや緊張した面持ちで「お迎え」した。
だがフタを開けてみれば、その仰々しさがむしろ滑稽にみえるほど、
「彼」は気さくな人だった。


ウォルフガング・ディートリィヒ(Wolfgang Dietrich)教授は、9月から3週間限定で、国連平和大学にやってきた。わたしの所属するコースで、『紛争予防(Conflict Prevention)』の集中講座を教えるため、はるばるオーストリアのインスブルグ大学から招かれたのである。
1956年ウィーンに生まれ、平和学の研究者として、中南米を中心に、東アフリカ・東南アジア・インドの諸地域で、紛争の分析や紛争後のコミュニティ再建に携わってきた。ブルース・ウィルスによく似た横顔をした彼は、スラりとした長身に、細身のジーンズがよく似合い、知性と、ユーモアと、ダンディズムを併せた圧倒的な存在感で、学生達をたちまち「とりこ」にしたのである。


彼はいろんな面で、真の教育者だったように思う。既成概念にとらわれない、自由な精神を持った人で、昼食は必ず学生と一緒にとった。授業終了後のプライベートな時間 ―夕食や週末さえ―、滞在先のホテルにいつでも学生を迎えいれた。彼の周りには、
授業中にはとてもおさまりきらなかった議論の続きをせがむ学生が常にとり巻いていた。


「レポートには、まず、キミたちが何者なのか、そして、そのテーマと自分との『関係性(relationship)』を、必ず
明確にするように―。」


課題を出すとき、彼はいつもそう繰り返した。


欧米系の大学や大学院で求められる論文やレポートには、大きなガイドラインから細かなルールまで様々あるが、その中に、主体である“I”の使用を極力避けること、というものがある。“I”が頻出すると、見た目に間が抜けた感じがするからなのか、学問の世界では主観性よりも客観性が重視されるということなのか、理由はよく知らない。いずれにせよ、アカデミックな領域において(ビジネスの世界でも同様かもしれないが)、わたし達はしばしば ―少なくとも紙の上では― 透明な「傍観者」になることを、ほぼ反射的に選んできた。


ところが彼は、まったく逆のことを言うのである。
他の教授たちがどう言うかはともかく、私が知りたいのは、キミたちとそのテーマとの『関係性』だ―。
語り手である“I”の存在なしには、何も生まれてこないし、伝わらないのだ、と。


彼はその理由を、それ以上説明しなかったし、告白してしまうと、当時のわたしは、授業の内容に少しがっかりしていた。『紛争予防』という講義のタイトルから、わたしは、彼の現場での豊富な経験を生かした、「プラクティカル」で「プロフェッショナル」な交渉術や、紛争予防のためのアプローチ、もろもろの施策後のアセスメント方法etc…そういった類のものを期待していたからだ。それなのに、日々語られるのは、「平和とは何か」とか、プラトンとか、インド哲学とか。まるで概念的で、ちっとも具体化する気配のない授業に対し、こんなフィロソフィーが、実務家に一体何の役に立つのかと、ずっとモヤモヤしていたのである。(それがいかに浅はかな発想だったかに気づいたのは、授業がもう終盤にさしかかった頃だった。。。)


さて。話を元に戻すと、要するにわたしは、平和学と、彼のいう「関係性」とが、どんなつながりを持つのか、まったく理解できていなかったのだ。今振り返ってみると、彼がわたし達に伝えたかったことは、聞き手は、「関係性」というコンテクストなしに、語り手“I”の思考や行動を本当に理解することなどできないし、主体である“I”もまた、その対象と自身との「関係性」に十分な意識を向けることなしに、ただ漫然と向かい合ってはいけない、そんな忠告だったのだと思う。


このメッセージは、実はわたしが密かに抱えていた、ある「葛藤」を、少し解決してくれた。
それは、日本人である自分が、平和学のフィールドに立つ意味―。
ルワンダ、コロンビア、スリランカ、フィリピンetc・・・貧困や暴力、様々な困難に直面する、これらの国々からやってきた学生達。
リアルな体験に基づく切実な使命感を背負う彼らの多くは、帰国後、国連やNGO、政府機関といった舞台で、それぞれが来た母国やそのコミュニティのために命を燃やすのであろう。


かたや、自分。「パーフェクト」と呼ぶには程遠い社会かもしれないが、日本で「平和」に、何ひとつ不自由なく生活していたわたしは、一体どんな「因果」でこのフィールドにたどり着いたのだろう?世界の「恵まれない」人たちのことを、ただもっと深く知りたいと思ったのだろうか?この地球に存在するあまたの問題から、何を根拠に、自分の生涯のテーマを選べばよいのだろう?


フランスから来ている学生が、手を挙げた。東アフリカの紛争をテーマにレポートを書くことを試みた彼は、実際には訪ねたこともないその地域と自分との『関係性』を、どこに見出せばよいのかと質問したのだ。


ニヤリとして、ウォルフガングはこう答えた。


オーストリアで何不自由なく育った私が、中米の紛争を研究し始めてから、20年以上―。 だが、同様の歳月を、私はその理由を模索することに費やしているのだよ。もしキミが、自身とその対象を結ぶ『何か』を、まったく見つけることができないと思っているのなら、そのテーマはやめた方がいいかもしれないね。でも、そこに『関係性』は本当に存在しないのだろうか―?」


思うに、“I”と「対象」との「関係性」は、一般に思われているほど、目に見えて分かりやすいものである必要はないのかもしれない。「関係性」の本質は、自身と対象とを結ぶ「何か」を模索しようとする、意思とプロセスそのものにあるのではないだろうか。
例えば、1日1ドル未満の生活をする地球上の10億人の人々と、自分との間に、一体どんな「関係」があるだろう―? そう問いかけた瞬間から、きっと彼らと自分の「関係」構築のプロセスは、すでに始まっているのである。
もちろん、それとどう向き合っていくのかは、人それぞれなのだと思うけれど。すなわち、やっぱり自分には関係ないわと、関係を「断つ」ことを選択するのか(それはもはや、無関係を「装う」だけであり、一度発生した関係を100%完全に消滅させることなど、不可能だと思うのだけれど)、自ら情報を集めたり、現場を実際に訪れるなどして、関係を「深める」ことを選ぶのか、そのどちらかということだ。


わたしの勝手な理解では、平和学は、多くの「情愛(compassion)」を巻き込む学問だ。それは決して、これが理想主義的な学問だというわけではなく、単に性質として、理性と感情との両方を必要とする領域であるということだ。そして、その感情を可能にするのが、対象との「つながり」であり、“I”の、一つひとつの思考や行動に、意味をもたらすものなのである。



“ウォルフガング旋風”が私たちにもたらしたインパクトは、とても1回分のブログには収まりきらず。
実際の授業内容は、次回のテーマに回させていただくといたします。


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写真は、生徒の家の集まりにて。やはり学生と議論を交わしているウォルフガング。