sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

A tour to Corregidor

sayakot2007-08-02

「君はまだコレヒドールに行ったことがないのかい」


レイテ島でのバスの中で仲良くなった中国系フィリピン人に、信じられない、という風に言われてから約2ヶ月。
ついに、この日がやってきた。


コレヒドールは、マニラからフェリーで西へわずか1時間のところにある小島。マニラ湾の入口に位置するため、スペイン、アメリカそれぞれの統治時代において、軍事上の要所としてその役割を担ってきた。そして1942年5月。熾烈な戦闘の後に日本軍による占領が始まるが、その後1945年2月、米軍が再度上陸し、この島を奪回する。日本軍に対する米比連合軍のレジスタンスの象徴ともなった、この地での戦闘のすさまじさは、「生物は一つとして存在しなかった」という生存者の言葉からも伺える。


現在、島内には、戦時中に使用された大砲や、砲弾を浴びて大破したままの建物、軍事司令部&病院&倉庫を兼ねて使用されたトンネルなどが、ほぼ当時のままに点在している他、戦闘で命を落とした日米両軍の兵士とフィリピン人のための複数の慰霊碑と記念館とががある。ある意味、島全体がひとつの戦争記念館なのである。


そして冒頭の驚きの言葉は、わたしがマニラに住んで既に2ヶ月経っていたこと、しかも国際平和学の専攻であること、そして何より、日本人であること、そんな様々な要素が組み合わさっての発言だったのだろう。



だが実際に足を踏み入れて感じたもの――。それは、島全体に漂う、無機質な空気。過去に起きた出来事と、そこで流された血に対する尊厳と厳粛さを保つため、この島では終戦以降、開発が最小限に抑えられてきた。そして観光客は専用のバスに乗り、ガイドに連れられるがまま各スポットへと移動する。土産のためのささやかなショッピングタイムと、ビュッフェのランチももちろんツアーの一部だ。そこにあるのは、生活を営む人々の影でも、砲弾の音でもなく、60年以上、時が止まったままの廃墟。


先月、友人と2人でレイテ島の慰霊碑を訪ねて回った際に感じた、胸の苦しさと、思わず手を合わせずにはいられなくなったあの衝動を、ふと思い出す。