sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

一期一会・・・?

sayakot2007-07-29

フィリピン人のMとは、2004年夏に、知人を通じて東京で出会った。Mも知人も、CISV(Children’s International Summer Villages)という国際交流団体にボランティアとして所属していて、毎夏、世界中から集まった子供たちに、キャンプでの共同生活を通じた平和教育を行っている。
そしてそのMが来日した際、東京観光のお手伝い要員として、ヒマをしていたわたしにお呼びがかかったのだ。皇居、銀座、浅草・・・わずか1日ながら、目まぐるしくあちこち回った。そして最後、”Hope to see you again!” という、当たり前の挨拶をして別れた。


そして2007年夏。
まさか自分がフィリピンに住むことになっているとは・・・!


再会の場所は、Mのオフィスのすぐ近く。マニラ市の中でも特に華やかな商業地区オルティガス・センター。3年前と変わらない相変わらずの人懐こい笑顔と共に、今度はMがわたしを迎えてくれた。


東京で出会った時は知る由もなかったのだが、彼の本職は、オーストラリア政府のODAOfficial Development Assistance=政府開発援助)プロジェクトのインプリメントを手伝うコンサルタント(カタカナばっかり・・・)。


フィリピンのODAといえば、日本やアメリカの存在が圧倒的に大きいが、電力や交通など大規模インフラの比重が大きい日本に対し、オーストラリアは、ソフト面での援助が多く、Mは特に人材面での“キャパシティービルディング(能力開発)”やそのアセスメントに携わっているとのこと。


例えば、地方政府主導の貧困削減プロジェクトであれば、それを通じて、地域の住民自身が自律的で持続可能な開発を行えるものになるよう、地方政府スタッフや教職員に対して、リーダーシップ研修や、効果測定のためのモニタリング研修などを提供したりするのである。


オーストラリア・フィリピン2国家間の援助関係と、中央−地方政府間の援助関係、地方政府−地域コミュニティ間の援助関係etc、一度に見ることができるから、面白いと思うよ、必要ならばいつでも声をかけて、と言ってくれた。
ありがたい!


・・・。
話は少し変わるが、このプログラムに参加してから、幸運にも、様々な領域の、様々なバックグラウンドの方たちにお話を伺うことができた。だがやはり、一番ワクワクするのは、社会や国家に対する、この国の人々自身の、ほどばしるような熱い想いに触れたときだ。


“The last thing I would do is to leave the country (この国を捨てるようなことは、僕は絶対にしない)”


海外での生活が社会的成功と結び付けられることは、珍しい話ではないが、ここフィリピンでは、特にそれが顕著なように思う。中でもアメリカに対する人々のひたむきな憧れは、世界的に反米の機運が高まっているこのご時勢に、むしろ新鮮に映る。そして結果として、優秀な人間であればあるほど、海外での生活を夢見、実際に多くの頭脳が国の外に流出してしまう現実がある。


だが彼の言葉は、自信と確信に満ちていた。フィリピン大時代、学生運動の闘士として燃やし続けたその情熱は、
きっと今も変わらず彼の血に流れ続けているのだろう。



それにしても、今回の再会には感謝。紹介してくれた友人に。そして「二期一会」を許してくれた神様に(?)。
コンテクストを知らない限り、1度や2度会っただけでは、その人の本当の素顔って見えてこないものだということを身をもって実感した、そんな一日。