sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Family, Blood and Identity

sayakot2007-07-30

もう何度も扱ってきたテーマ。
フィリピン人と中国系フィリピン人との間にある、微妙な緊張関係。
ゴチャ混ぜの文化が一つの不思議なハーモニーを生み出しているこの国で、どうして中国系エスニックが浮いてしまうのか?彼らの多くは大多数のフィリピン人同様、カトリック信者であり、タガログ語を自由に操ることができるにも関わらず。


授業の課題をきっかけに、中国系フィリピン人/フィリピン人各40名(大学生〜20代後半までの社会人&中流階級以上)に対し、下記の項目を含むサーベイを実施。


Q1 友達を作る上で、相手が自分と異なるエスニックに所属することは、どの位影響しますか?
  
   <中国系エスニック>         <フィリピン人>
     非常に影響する:10%        非常に影響する:15%
    まあまあ影響する:15%       まあまあ影響する:10%
   まったく影響しない:75%      まったく影響しない:75%
   

Q2 自分と違うエスニックに所属する相手と、デートできますか?
    <中国系エスニック>         <フィリピン人>
       Yes:77.5%            Yes:80%
       No:22.5%             No:20%


Q3-a 自分と違うエスニックに所属する相手と、結婚できますか?
    <中国系エスニック>         <フィリピン人>
       Yes:60%              Yes:77.5%
       No:40%               No:22.5%


Q3-b 結婚ができない場合、その障害はなんだと思いますか?
<中国系エスニック>         <フィリピン人>
    自分の両親からの反対:30.0%     相手の両親からの反対:30%    
    文化的相違:27.5%          相手の親戚からの反対:30%
    自分の親戚からの反対:20.0%    文化的相違:20%
    子供の教育方針の相違:12.5%     子供の教育方針の相違:12.5%
    相手の両親からの反対:7.5%      自分の両親からの反対:5.0%
    相手の親戚からの反対:2.5%     自分の親戚からの反対:2.5%



う〜ん。やっぱり。。。という感じの結果。
お友達や気軽なデートなら、ほとんど何の問題もないものの、「結婚」という親族、子供の教育etc,,,モロモロのしがらみと共に、急に話が難しくなってしまう展開。同世代の若者たちからの答えだけに、何だかとてもリアル。


そして、自らを環境に順応させてきたフィリピン人が、レート・カマー(late comer)であるはずの中国系に「なぜか受け入れてもらえない」疎外感に戸惑う様子と、「別に、受け入れてくれなくて結構ですから」という中国系エスニックの排他的な思考。「統合」と「排除」への両者の相対立する願望が浮き彫りになってくる。



★★★
実は先日、日本にいる友人の紹介を通じて、ある中国系フィリピン人と友達になった。
待ち合わせの場所に、Tシャツにジーンズとカジュアルなスタイルで登場した彼女は、エネルギーに溢れ、フレンドリーで、きっと誰とでもすぐに打ちとけられるタイプの、素敵なコだった。彼女が唯一、「一般人」と違うところは、彼女が、フィリピン最大級のファーストフードチェーンを経営する、いわば“Tycoon(大君)”の一族であることだろうか。


アメリカでの学生生活や恋愛話、社会人時代の話など、時間が経つのを忘れてお互い話していたが、共通の趣味である旅行の話題になったとき、フィリピンでの彼女のお気に入りの場所を聞いてみると、少し戸惑った表情で、セキュリティの問題で国内旅行は許されていないのと返事が返ってきた。せいぜいショッピングモールくらいかしら、と首をすくめる。


裕福な中国系エスニックを狙った大胆かつ残虐な誘拐事件は、警察に報告されたケースだけで年間150件を超えた時期もあるほど深刻だ。
ほぼ「1日おき」に誘拐事件が起きた90年代には、多くの中国系ビジネスが閉鎖し、その家族たちは中国へ引き揚げたり、その他の東南アジア諸国に移住したとのこと。


彼女が5歳のとき、一家はカナダに移住する。そして彼女はアメリカの大学を卒業し、現在、中国とフィリピンを往復しながら、一族のビジネスを手伝っているのである。育ったわけではないくせに、なぜか中国がわたしの「故郷」って感じがするわね。でも一番の願いは、どこでもいいからどこか一ヶ所に拠点を置いて、生活を送ることかしら――。レストランの窓の外を見ながら、彼女は言った。


この地に生まれた「フィリピン人」であるはずの彼女が、その胸の痛みを誰かと分かちあえる土壌は、この社会にはまだ育っていない――それが現実なのかもしれない。


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写真は、懐かしのサマール島。川で洗濯をする村の人々。