sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

seeing is believing?

sayakot2007-07-25

フィリピンでの邦人殺害のニュースが続いている。
ここ数ヶ月だけで4、5件はあったのでは?
もっとも、たまたま運悪く強盗に遭遇、というよりは、現地人との何かしらのトラブルに巻き込まれ、銃で殺害されてしまうというパターンがほとんどなのだが(フィリピンでは「殺し屋」ビジネスが、比較的身近に存在するらしい)。


海外の邦人殺害のニュースは、日本でも紙面に必ず(小さく)載るものだと思っていたが、このような頻度でフィリピンで事件が起こっている様子を見ると、案外そうでもないのかもしれない。当たり前といえば当たり前だが、日々どれだけ注意深くメディアを追っていても、そもそもその出来事がメディアにカバーされていないことがいくらでも起こり得て、わたしたちはそれを「起こっていないこと」と同義にしているということだ。というより、この世の中、そんなことの方がよっぽど多いのだろう。わたしたちは一体、どのようなフィルターを通して、どれだけの世界を見ているのだろう?


もはやフィリピンにおける日常の一部となっている、政府軍とミンダナオのMILFとの武力衝突や、NPA(共産党系ゲリラ組織)との抗争、大都会マニラにおけるバス強盗の果てのカーチェースと銃撃戦や、ジャーナリストの謎の死、中国系エスニックを狙った連続誘拐事件・・・。こういったフィリピンの現実は、日本のわたしたちの目に、まったくというほど届かない。飛行機ならば東京からわずか5時間。セブやエルニドは、あんなにたくさんの日本人で賑わっているというのに。


・・・。
先日、とある方に伺ったお話によると、マニラに駐在している日本の大手新聞社の記者たちは、そのほとんどが社会部出身とのこと。
そして幸か不幸か、本社に吸い上げられるのは、ストリートチルドレン、スモーキーマウンテン、臓器売買etc...こういった、いかにも「フィリピンらしい」センセーショナルな途上国の貧困問題になるのである。そこにあるのは、「途上国らしいモノ」に対する、わたしたち受け手側の無意識の期待と、それを汲み取る、メディア側の意思。感じるべきは、きっと、今自分の目の前にあるものの、そのさらに後ろにある何か。