sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

忘れられないシーン

sayakot2007-06-29

誰しも、その人生の中で「忘れられない出来事」がある。


それは、思い出すだけで、顔がほころび、胸が熱くなる幸福のシーンかもしれない。
秘密の場所に大切に仕舞われた思い出の品や写真は、人を、幸せに包まれたその瞬間に、何度でも立ち戻らせてくれる。


だが、「忘れられない光景」が、常に心踊るものとは限らない。
きっと、年を重ねれば、重ねるほど。


時は本当に癒し、「解決」してくれるのだろうか――?


どれだけ月日が経とうとも、常に心のどこかでブスブスとくすぶっている何か。
目を閉じ、耳をふさぎ、あらゆる感覚を遮断すれば、いつもと変わらない日常を送ることは可能かもしれない。だが、少しでも意識した一瞬、それは、繊細な映画のように脳裏に鮮明に蘇る。


マニラに来て、まだ一ヶ月も経っていない頃。
旧スペイン統治下のマニラの古い街並み、典型的な観光エリアを見学した日の出来事。


強烈な太陽と排気ガスからの緊急避難――そう思って踏み入れた地下の遊歩道。そこは、ホームレスと路上の物売りが溢れる一つのコミュニティだった。


人々のむせ返るような体臭と熱気でほとんど飽和状態に重たくなった空気が充満している。
どこから浸水してきたのか、水溜りからドブの強烈な悪臭が漂う。薄暗い空間をわずかに照らしていたものは、外から漏れる陽光だったのか、誰かが盗電した電気だったのか、定かではない。


人々はそれでも、生きていた。
わたしは鞄をしっかり前に抱え、目を伏せながら、できるだけ早く歩いた。
フィリピン人の友人がいたので決して怖くはなかったが、あからさまに場違いな自分たちがとてつもなく恥ずかしかった。


そして、その瞬間。
視界の隅に映った、二つの生命。


それは、暗がりで、母親に抱きかかえられたまま、微動だにしない水頭症の少女。
年は10歳くらいだろうか。異様に膨れた後頭部を母親の腕に完全に任せながら、だらりと腕をたらし、上を向いた目の先は、ぼんやりと宙をさまよっている。
もう何年もここでこの少女を抱きかかえていたのだろう母親は、すでに絶望を越え、無表情にその手でわが子を仰ぎ続ける。艶のない乱れた髪、褐色になった肌に深く刻まれた皺、欠けた歯からは、その年齢を推定することはできない。


時間にすれば、1秒もなかったかもしれない。
立ち止まりすらしなかった。
だが2ヶ月だった今も、頭にこびりついたこの映像を思い出さない日はない。



『貧しい国の人たちは、物質的に豊かな日本人よりも、ずっと心が豊かで幸せだ』



よく耳にする言葉。
そこには、一片の真実があると思う。だが、果たしてそれがどの程度まで真実なのか、わたしにはよく分からない。希望をカケラも見出すことの出来ない、本当の絶望に置かれた人間がこの世界に存在することをこの目で見てしまったから。


世界で起こる全ての出来事に憤り、責任を背負うことなど、不可能。
だが、何もしないまま、目を閉じ、耳をふさぎ、全ての感性を鈍らせ、一日一日をそっとやり過ごして生きることなど、とても出来そうにない。もはや後戻りはできないのである。


さて、どうしたものか。