sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

TAO-Pilipina

sayakot2007-06-21

授業の後、マニラ市ケソン地区に拠点を置くNGO「TAO−Pilipina」を訪ねた。


タガログ語で「人間」を意味するTAOは、"Technical Assistance Organization"の頭字語で、建築分野の専門家集団(メンバーは全て女性)である。都市・農村貧困層の居住に関するさまざまな問題に取り組んでおり、環境に優しく、かつ住民の主体的な参加に基づく「持続可能な地域開発」の技術協力・支援をビジョンとして掲げている。


行政や数々のNGOを巻き込みながら、彼女たちは、災害地域における住宅構造の補強や、貧しいコミュニティにおける衛生設備の改善など、数々のプロジェクトのイニシアティブをとってきた。そして発足からわずか6年にして、50,000世帯にポジティブな成果をもたらした。
わたしが先日訪れたゴミ溜地区パヤタスにおいても、人々の土地の所有権を正式に保護するための法的手続きをサポートするプロジェクトを行っているそうだ。


彼女たちは、貧困層の居住ニーズに理解を持つ若手の育成にも熱心で、建築を専攻にする大学生を対象としたプロジェクトのサポートや研修にも精力的だ。わたし達がオフィスを訪ねた際にも、数名のインターン生が、家の模型を囲んで、熱心にディスカッションしていた。


TAOは、今回話を聞かせてくれたアイリンとその友人、2名の女性によって2001年に始まった。
フィリピン大で建築を学んだ後、彼女は日本でいうところのゼネコンに就職。もともと貧困地域のコミュニティ開発に関心があったため、CSRの一貫として実際に貧困地域の開発にも携っていたものの、「片手間」のコミットしか許されない企業の方針に限界を感じ、3年で去ることを決意した。


前例も、十分なネットワークも、資金もない中で、どうして新たなステップを踏み出すことができたのかと尋ねると、彼女はこう答えた。


“I always wanted to give my best to the people. I just could not stand it (いつだって、自分にできるベストのものを、人々に与えたいと思ってきたから。(それが許されない状況に)どうしても耐えられなかったわ)”


そして、活動が社会的な認知を受け、ある程度軌道に乗った今も、継続的な資金繰りには依然として困難が伴う。


「現在進行中のプロジェクトが終われば、助成がいったん途切れちゃうの。来月にはどうなっているか分からない、そんなギリギリのことなんてしょっちゅうよ」


こともなげに、彼女は言う。


思い切って、この質問をぶつけてみる。後悔したことはないのかと。


「どんなに狭くて、騒々しくて、汚いこのフィールドでも、わたしは地域の人たちの声に、耳を傾けていたいの。自分の専門を生かして、彼らと一緒に、目の前の問題に取り組みたいの。エアコンの効いたお洒落なオフィスで、PCワークをしているだけでは得られない達成感が、ここにはあるわ」


だが経済的にはどうなのだろう?


そう聞くと、一瞬、考える様子を見せる。
そして、こう答えた。


「企業で働いていたときの方が、両親にもっと仕送りできていたのはたしかね・・・。でも、自分達がなんとか生活する分には問題ないわ。私たち、誰も結婚していないから、そうできる部分があるのだと思うけれど!」


そして、お金持ちの男性を探すことが、わたしたちの一番の課題かしらとケラケラ笑う。


またいつでも遊びに来て頂戴、アイリンは笑顔で見送ってくれた。


彼女たちの小さな体のどこに、その情熱が秘められているのだろう。


フィリピンに滞在して2ヶ月。確信に満ちた、このなんの飾り気のないすがすがしい表情に、私は何度、出会ってきたことだろう。
そして、人々のその底力に、ただただ敬服してしまうのである。


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写真は、TAO創設メンバーの2人。
コーヒーと手作りの美味しいクッキーでもてなしてくれた。