sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Superiority Complex

sayakot2007-05-03

「昔日本で働いていたのよ。ミヤザキ、クルメ、フクオカ・・・」


日本出身であることがわかると、そう人懐っこく話しかけてくるフィリピン人女性に出会う。この間のビーチでも、短い滞在期間に何人に声をかけられたことか。


裕福な子弟の多いAteneoでは、時折、たとえば留学・ビジネス・旅行等で、家族あるいは本人が、日本滞在経験のある学生に出会うことがある。それがアイスブレークとなって、仲良くなることもしばしば。


しかし、街でたまたま出会うフィリピン人(お店のお姉さんやおばさんたち)に「日本に住んでいたのよ」なんて言われたときには、一瞬たじろいでしまう自分がいたりする。「何をしていたんですか」と、気軽に聞くことがためらわれてしまうのだ。


そして結局、「どこに住んでいたんですか」とか、「何年いたんですか」とか、まるで当たり障りのない話でお茶を濁して会話を終えてしまう。なぜか。
日本に"エンターテイナー"として出稼ぎにくるフィリピン人女性は、実際本当に多い。言葉も宗教も習慣もまったく違う国に、体一つで出稼ぎにやってくる彼らの目に、日本はどんな国に映っていたのだろう。申し訳なさに似た、後ろめたい感覚。それが、つい彼らとの精神的な距離を置いてしまうのだ。


フィリピン人の友人Lが、こんなことを話してくれた。
彼のお姉さんが、日本滞在のビザを取得するためにマニラの日本大使館に行ったときのこと。担当の大使館員(?)から、あたかもホステスに対するかのような、執拗で屈辱的な質問を受け、激怒して帰ってきたとのこと。


Lの家族は、代々フィリピンの民芸品(バスケットや家具など)を欧州や日本に輸出するビジネスを経営。マニラ郊外の大豪邸に住む、いわゆる"Old Rich”の家柄だ。ビジネスにも、教育にも、信仰にも熱心な両親の方針の下、彼の兄弟のほどんどはアメリカの大学で教育を受け、現在はそれぞれが会社の軸として、世界中を飛び回っている。大使館で不本意な扱いを受けたという彼のお姉さんも、チーフ・マーケティング・ディレクター兼自身のレストラン経営を行う、バリバリのキャリアウーマンなのである。


"Well,I guess that's how people see us in the world. We are the Third World." 肩をすくめながら、紳士に話す彼の態度と、この国の人たちの、くったくのない笑顔とホスピタリティに触れるたびに、私達自身の、いやらしい優越感にはっとせずにはいられなくなる。