sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Positive Peace

sayakot2007-04-23

「平和学」という学問は、まだまだマイナー分野。特に日本では。

今回の留学にあたり、こんなシーンにぶつかることが、しばしば。


 私:「平和学を勉強することになったよ」

友人:「じゃあ、卒業後は世界平和を目指して頑張るんだね。すごいねー」

 私:「いや、そんな大げさな話では無いのだけど。。。」

友人:「だって平和に関する学問でしょ?国連でイラクとかアフガニスタンの和平に関わるとかじゃないの?」

 私:「うーん。まあ、それも一つの道だと思うけど。。。」



さて質問。

Q1.「戦争」と「平和」、あなたはどちらを選びますか?

戦争の背景にある様々なファクターをいったん置いた場合。
100人に聞けば、きっと100人が迷わず、「平和」を選ぶ。はず。
各国の大統領や首相が誇らしげに語るように、世の中のきっとほとんど誰もが「平和を愛する」国民なのだ。
しかし、


Q2.では「平和」って何ですか?

100人に聞けば、少しの困惑と共に、100通りの答えが返ってくるのではないだろうか。
「かけがえのないもの」「尊いもの」「人類が追求し続けるべきもの」――「平和」という言葉は、例えばそんなイメージと共に社会にあまた溢れているが、その言葉の意味するものを、人々は果たしてどこまで共有しているのだろうか。このフィールドに身を置くようになってまだ2週間。最近私は、「平和」というこの美しく愛すべき言葉が、その曖昧さゆえに、時に大きな危険を孕んでいるように感じることがある。
よく語られているように、「戦争」が存在しなければ、その社会は本当に「平和」なのだろうか。


平和学には「Positive Peace」「Negative Peace」という概念がある。
「Negative Peace」は、「平和」を、「戦争」が「不在」の社会の状態と定義したもの。
「Positive Peace」は、「平和」を、構造的暴力から解放された社会の状態と定義したもの。
 ※「構造的暴力」は、社会経済的組織によるあらゆるタイプの抑圧を指していて、例えば貧困、社会的・性的・文化的差別や格差を包括する


「Positive Peace」の概念は、「平和」を愛する世界のあらゆる人々を、本当の「当事者」にする。何故なら、「平和でない状況」は、世界の遠くどこか、例えばアフガニスタンイラクにだけにではなく、自分をとりまくあらゆるコミュニティで生じているものだから。


半壊の筏の上で、頼りなげに漂っていたストリートチルドレンの少女。フィリピンの人々が、そしてフィリピンに住む外国人が、そしてこの現状を知っている世界のあらゆる人々が、仮にこの社会を平和というならば、その認識を変えるために私は平和学を追求していきたい。


そう、Kennedyは言ってました。“Peace is a process”と。