sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

その境界は、越えられるのか。

sayakot2008-03-24

たまたまこのブログを発見した、という大学時代のクラスメートの5年ぶりの連絡を受けて、マニラで思いがけない再会を果たしてきました。すでに社会人3年目という彼女は相変わらずとても元気そうで、思い出話に話が咲きました。


そして帰り道。タクシーに乗り込み、家に戻る途中の、タクシー運転手との会話。
日に焼けて褐色の肌をした、20代後半くらいの若者だった。
もしかしたら同い年だったかもしれない。


運転手:「韓国人ですか、お嬢さん(アー・ユー・コリアン、マーム?」
わたし:「違うよ。日本人だよ。」


マニラにおける、タクシーの運転手との会話は、十中八九、こうして始まる。
寡黙でぶっきらぼうなタイプももちろんいるが、何らかの会話が始まるだろうな、という予感は、彼らに行き先を告げる際、最初に
目が合った瞬間に、大抵当たるものだ。


以前、フィリピン歴の長い、ある日本人の女性から、
「日本人だと分かると、絶対にボってくるから、自分はモンゴル人だ、って言ったほうがいいよ。」と、ずいぶんプラクティカルなアドバイスをもらったことがある。だが、結局まだ一度も実践していない。何故モンゴル人かということに関しては、彼女は特に説明していなかったが、察するに、モンゴル人であればあまりお金は持っていないだろうし(失礼)、彼らもそこまで知識があるはずがないので、すぐに会話が行き詰まり、それ以上面倒なやりとりに巻き込まれることがないだろう、という意味であるように思う。


確かに、そういうことはあるかもしれない。
だが、今までの自分の乏しい経験からいうと、彼らが開口一番に客の国籍を尋ねるのは、大抵の場合、彼らの純粋な好奇心によることがほとんどで、正直に日本人だ、と答えたばかりにボラれてしまったと、いうことはあまりないように思う。もちろん、料金を上乗せして請求されること(=ボラれる)は多々あるのだが、それは国籍云々というより、わたしが単に地元の人間でないということが理由だと理解している。そうだとすれば、わたしがフィリピーナに間違えられることがない(=絶対に外国人だとばれてしまう)以上、わざわざ自分のアイデンティティを偽ってまで、そして相手の純粋な好奇心を裏切るリスクを負ってまで、ワルあがきをしたいとは思えないのだ。


マニラにおいて、タクシーの運転手というのは、なかなか厳しい仕事のように見える。彼らは地方の貧しい農村から出稼ぎにきた人間が多く、早朝から深夜まで、本当にハードワーカーだ。数日前に話した運転手は、タクシー会社からの車のリース代が1500P/日(約3750円)、更にガソリン代が1500P/日で、合計した3000P(約7500円)を超えた額が、日々の自分の取り分になるのだと教えてくれた。給料なんてもちろんないよ、と彼は苦い顔をして言った。多少の誇張の可能性を考慮しても、この国で、日々、3000Pもの大金を、最低限のコストとして稼ぎ続けなければいけないというのは、並大抵のプレッシャーではないはずだ。


それでも、「どんな仕事だって大変なものだろう? それに、こうして時々、お嬢さんみたいに好奇心のあるお客さんと、何かを話したり、教えてもらったりすることがあるから、実は僕はこの仕事、結構気に入ってるんだよ。それでついつい、海外就労ビザの申請を忘れちゃうのだけどね。稼ぎはずっとそっちの方が良いに決まってるのだけど――。」と笑う彼の顔は、とても穏やかだった。


マニラのタクシー運転手たちは、半年前まで、ドバイで建設業に携わっていたとか、日本の船で働いていたとか、皆、人生経験豊富で、たくましい。車内での彼らとのやりとりは、日ごろあまり接することのできない、この国の庶民の視点や生活を知る、貴重な機会であり、彼らの飾らない労働観や人生観から学ぶことはとても多い。


。。。
というわけで、1番最初の、昨日のタクシー運転手との、会話の続き。

わたし:「運転手さん、出身はどこなの?」
運転手:「ビコール州だよ。」
わたし:「あー。去年、行ったことあるよ。火山が綺麗なところ。」
運転手:「そう。あの火山はわたしたちの誇りです。でも、ビコールの人たちは、皆、貧しい生活をしています。毎日毎日、一生懸命
     プランテーションで働いて、ある日突然、台風や洪水がやってきて、一日で全てを奪い去ってしまう。人々は全てを失いま
     す。そんなことばかりです。僕は田舎の暮らしの方が好きだけれど、あそこでは生きてはいけません。」


わたし:「実家は農家なの?」
運転手:「親父はプランテーションでココナッツを作ったり、バナナを作ったり、米を作ったりしています。8月に帰省するつもりなの
      で、楽しみです。日本にはどんなプランテーションがあるんですか?」


わたし:「プランテーションはあまりないけれど、お米は日本でも沢山作っているよ。あと、フィリピンのバナナはいっぱいあるよ。」
運転手:「日本ではバナナがあまりとれないんですね。かたやフィリピンはバナナ王国(Banana Kingdom)だというのに。」


彼が何気なく使った、「バナナ王国」という言葉に、ふと、先進国と途上国のアンバランスな経済関係を皮肉に表現した「バナナ共和国Banana Republic)」(本ブログ07年10月10日『BANANA共和国の真実』をご覧ください♪)を思い出した。


運転手:「ところで、日本人は肌が白くて、フィリピン人とは全然違いますね。フィリピーナ(フィリピン人の女の子)たちは、
      皆、肌を白くして、外国人と結婚したがるんですよ。」
わたし:「フィリピーナたちの肌はとても綺麗だと思うけれど。日本人でも、(ちょっと古いけど)、あえて小麦色に肌を焼こうとする
      人たちは、いっぱいいるよ。」
運転手:「でも、フィリピン人の男たちは、皆、白い肌の女の子の方が好きなんですよ。」
わたし:「(うーん・・・、と内心思いつつ、あくまで)でもフィリピン人の肌の色、わたしはうらやましいけれどなあ・・・。」
運転手:「僕は生まれ変わったら、日本人に生まれたいです。そして、日本人の女の人と結婚したい。僕なんて、こーんなに下の人間で、日本人は、こーんなに上にいるから、手が届くわけないよね(腕を高く上げて、2つのレベルをジェスチャーしながら)。だから、生まれ変わらないと。」


彼は大真面目だった。
そんな馬鹿なこと言わないでよと、そう言いたかったが、うまく言葉が見つからなかった。
ここで、タクシーは我が家の前にたどり着き、わたしは車を降りた。


いろいろな意味で、日本ではとても考えられない会話だが、ここで生活を始めてから、こうしたやりとりを今まで何度経験したことだろう。車中、どれだけ彼らと同じ目線で、彼らの生活を知ろうとしても、目的地に着いて、料金を支払い、車を降りる瞬間、決して越えられない境界のようなものを、彼ら自身の中に見出してしまうのである。そして思わずこぼれそうになるため息を、ぐっとこらえる。


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写真は、ボホール島で。たくましい船頭さん。