sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

南国リゾートと、ブロンド美女のトップレス。

sayakot2008-03-21

ひと足早い聖週間のお休みを利用して、昨日まで4日間、フィリピン南部に足を延ばしてきました。行き先は、セブ島とレイテ島の真ん中にある、フィリピンで10番目に大きなボホール島。マニラからは飛行機で約1時間の道のりです。


日本でこそあまり知名度は高くないものの、エメラルドグリーン、コバルトブルー、青、藍・・・と、どこまでも果てしなく透明で美しいボホールの海は、ヨーロッパ地域のダイバー達を中心に世界的に有名で、フィリピン人の間でも、比較的身近なリゾートとして人気が高い。
水がキライでろくに泳ぎを知らないわたしは、ダイビングやその他マリンスポーツの類が苦手で、普段であれば海よりも絶対に山へ、というタイプなのですが、そのわたしをしても、とにかく自然がゴージャスな、素敵な所でした♪


例えば島から小さなボートで40分ほどのパリカサグ島では、遠浅のさんご礁が果てしなく広がる自然保護区で、シュノーケリングしながら、カクレクマノミ(“Finding Nimo”の主人公ですね)をはじめ、青や黄色、オレンジの色鮮やかな魚たちに囲まれ、幻想的な世界に酔いしれたり、また、島内を15分ほどで歩いて一周出来てしまう小島バージンアイランドでは、今にも潮ですべてが満ちてしまいそうな、
ひたひたの白洲を、沖に向かって先端まで歩いたり――。
高校時代、授業中にパラパラと眺めた地理の教科書の写真さながらの光景に、実際に自分が今立っていることが、とてつもなく
非現実的に感じられた。


島ではあちこちで、ギラギラと青く光った大きな太刀魚を、猟師たちが豪快にブツ切りにして、昼食を作っていた。
喉が渇いたので水を探していたら、ここに売店はないのよ、と言って、マニラから来たというおばさんたちが、自分たちの水筒からコップに水を注いでくれた。お礼を言って口にふくんだ瞬間、塩辛い味がほのかに広がり、これはちょっとマズイかもしれないなと思いながら、わたしの様子を嬉しそうに見守ってくれているおばさんに申し訳なくて、結局ごくごくと飲んだ。ありがとうとお礼を言いつつ、内心、後でおナカがどうなることかとヒヤヒヤしたが、結局いまだに問題はない様子。
このエリアの美しさには、つくづくため息が出る。


さて。島から宿に戻ったら、ビーチにすぐ面したプールサイドで、ブロンドの髪をした西欧風の若い女性客たちが、トップレスで寝そべっていた。すぐ近くで、お土産用の貝を売るオジサンたちや、両親を手伝う現地の子供たちを尻目に、気持ち良さそうに本を読んでいるのである。


瞬間的に思い出したのは、去年、友人と2人、フィリピン屈指の貧困地帯であるサマール島で地元のビーチに足を運んだときのこと(07年6月12-19日をご覧ください♪)。わたしたちが海岸に足を踏みいれた途端、ぎょっとしたような人々の視線が一斉にこちらに向けられ、思わずたじろいだ。外国人がよほど珍しいのだろうとその時はできるだけ気にしないよう努めたが、後になって、案内してくれた地元のおじさんが少し気まずそうに、この地域は保守的だから皆あまり肌を露出しないんだ、というようなことを説明してくれた。そう言われてから改めてビーチを見渡すと、たしかに現地の女の子たちは皆、海の中でも、だぼだぼのTシャツに短パンというスタイルで、賑わったそのビーチで、水着を着ていたのはわたしたちだけだった。赤面するほど急に恥ずかしくなって、すぐに上からTシャツをかぶったが、時すでに遅かった。


「エキゾチック」な東南アジアのビーチに、「非現実的」な「非日常」を見いだす感覚は、よく分かる。
旅行産業界はもちろんのこと、観光で支えられるその地域自体が、現にそうしたイメージ戦略で自身をマーケティングしていることは紛れもないし、そもそもリゾートというものは、外界を「遮断」することで初めて成り立つものなのかもしれない。
だが、本当に、外の世界を遮断することなど、可能だろうか。そこに存在する、一見、非現実的な時間も空間も、そこで働き、生きる人々にとっては、わたしたちが日々満員電車に揺られて通勤したり、通学したり、飲み過ぎで2日酔いになったり、スーパーでトイレットペーパーを買い物したりするのと同じ現実であり、日々の生活そのものなのである。


ボホールからマニラに帰った日。インドネシア人のルームメイトにこの話をしたら、バリ島でも西洋人たちはトップレスが多いのだと教えてくれた。そして、それをよく思わない地元の人たちはたくさんいるけれど、それで現地の経済が成り立っているのだから、仕方ないことなのかもしれないわね、と少し苦い表情で言った。


トップレスの彼女たちに、悪意がないことは分かっている。それに、トップレス禁止、という法律があるわけでもないのだから、自分たちの行為がもしかしたら、他者の何らかの領域を侵しているかもしれないということに、彼女たちが何の考えも及ばないのは、当然かもしれない。彼女たちはただ、久しぶりの休暇を優雅にのんびりと過ごすために、友人たちとバカンスにやって来ただけなのだから。


だが、自分の行為の結果(consequence)に対して無意識的であるということや、想像を働かさないということの、責任と怖さのようなものを、わたしたちはもっと自覚する必要はないのだろうか。グローバリゼーションの流れの中で、異なる価値観が出会い、時に融合し、時に相克することは、もはや止めようのないことで、それに逆行したり、それを否定したりすること自体に、もはや意味はあまりないかもしれない。ただ、絶対的にアンバランスな経済構造が存在するこの世の中で、経済的な意味での強者として、わたしたちにはその資格や権利が当然にあるのだと開き直るのか、望むと望まざるに関わらず、自分たちに与えられた力に伴う責任を、一瞬でも思考するかどうか、そこに現代を生きる人間の品性の境目があるのではと思ったりする。



・・・。
なーんて、こんな素敵な場所に来ていながら、まるで「いじわるばあさん」のような思考になってしまう自分に、思わずガックリ。。。
でも本当、ボホールは素敵なところでした。皆さんにも自信を持って、おススメいたしマス♪


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写真は、宿のレストランからの風景。
海を前にした、地元の子供たち。