sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

こんなところに、安倍(元)首相。

sayakot2008-03-03

先週末29日、高層ビルの立ち並ぶマニラの商業地区マカティで、ビル街の
道路を封鎖した大がかりな反アロヨ集会が開かれた。


「一緒に参加しよう。フィリピンの歴史的な瞬間になるかもしれない。」


熱い人権の闘士であるフィリピン人の友人に、そう誘われたのだが、
「何が起こるか分からないから」という大使館からの注意喚起情報や、
周囲の知人からの忠告を受け、散々迷った挙句、家でおとなしく待機すること
にした。


今回の集会は、カトリック教会を中心に、フィリピン国内に強い影響力を持つ様々な宗教団体が中心となって、アロヨ政権に対する「真実と正義」を求めて、人々に呼びかけたもの。01年の就任以来、収賄や政治的殺人など、スキャンダルの絶えないアロヨ大統領だが、今回の出来事は、中国企業がフィリピン政府から受注した約3億3千万ドルのブロードバンドネットワーク構築プロジェクトにおいて、大統領の側近が、政府への仲介料として約1億3千万ドルを企業に要求した疑惑を発端としている。


聖職者や学生、農民や人権活動家たちなど7万5千人に上る参加者を集めた(フィリピン警察は1万5千人と発表)今回のデモは、
現政権に対する抗議集会としては過去最大規模だそうだが、結果的には、「不測の事態」による大きな混乱も起こることなく、シンボリックな意味以上のものを持つことなく、一旦収束した。


1986年、20年間続いたマルコス独裁政権終結させたのは、マニラを貫くEDSA(エドサと読む)通りに、正義を求めて結集した人々の力だった。そしてこの「EDSA」は、この国でいまだに、とてもナショナリティックで象徴的な意味を持つ。フィリピン人が「EDSA」を語るとき―‐それが大学の教員でも、当時モノ心ついていなかった学生でも、タクシー運転手でも、―‐誰もが、誇らし気に、そしてノスタルジックに回想するのである。


政治の「腐敗」というのは、どこの世界でもつきものなのかもしれないが、そこには必ず、「限度」がある。おおらかで辛抱強いフィリピン人が、EDSAに集結するとき、それは、人々が心の底から変化を切望しているときに他ならない。だが、通りの人々が団結して、抑圧されていた声を大にすることはとても美しい姿であるけれど、そこでもたらされうる「変化」の質については、少なくともフィリピンの過去の歴史を見る限り、あまり楽観的になりきれないところがある。


マルコス追放後、01年には2度目のEDSAが起こり、人々は汚職にまみれたエストラーダ大統領を追放したが、それにとって代わった新政権こそ、当時副大統領だったアロヨ大統領その人だった。そして、今回のデモで共に反アロヨの舞台の中心に立っていたのは、22年前の革命の旗手であったアキノ元大統領と、先日恩赦で釈放されたばかりのエストラーダだったのである。


体制が何度変わろうと、腐敗や汚職はこの国に深く根付きすぎている。そして、すでに利権を持つ支配層が社会の富を独占するという大きな構造は、そう容易に変えられるものではない。EDSA通りに飛び出し、次なるヒーローの登場を祈る人々の気持ちは痛いほどに感じられるが、現実には、拡大する階級間の格差は、人々の心を一つにすることを、確実に難しくしているように見える。
だからこそ、市民社会の育成や、底辺に生きる人々の社会的・経済的支援が、政治体制に変化を求める働きかけと同時に、なされていかなければならないのだろう。そしてそれには、国際社会も、決して無関係ではいられない。(日本のニュースで見る場合、
東南アジアのどこかの国で、デモをやっているらしい、という程度にしか認識されないことがほとんどではあると思うけれど)


フィリピンの最大のODA供与国である日本は、マルコス時代においても、日本企業の進出をサポートすることを優先し、巨額な援助を投入することで、不正や汚職にまみれた独裁政権を支えてきたと一部で厳しい批判を受けてきた。そしてまた今も、人権弾圧を行っている外国政府に対し、日本は最大のドナー国として、より慎重な姿勢をとるべきだ、という国際社会からの批判は、マルコス以降「最悪」と言われる人権弾圧を行っている現アロヨ体制への日本政府の姿勢に対し、再び強くなってきているのである。


先週、電車に乗ろうとしたら、買ったメトロカードに、アロヨ大統領と安倍(元)首相が握手をしている写真がプリントされていて、ぎょっとした。反アロヨ旋風の吹き荒れるこのご時勢、力強い笑顔でほほえむアロヨ大統領と安倍元首相のコンビネーションは、なんともシュールで、ぎこちなかったのが、印象に残っている。



◆◆◆
写真のように、アロヨ大統領を“Evil(悪魔)”と呼ぶプラカードは、デモなどの場でよく見かける光景。
「彼女は女性だから汚職なんてしないはず―。」アロヨが就任したとき、人々は、そう希望をいだいたのだそうだ。
期待が大きかっただけに、裏切られたときのショックは大きかった。