sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

村上春樹氏のスピーチ。「再生」に向けて。

sayakot2011-06-16

先日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で、作家村上春樹氏が行ったスピーチ。原文を読むにつれ、忘れかけていた「晴れた春の朝」の陽射しのような明るさと温かさが心に浸透していくのを感じた。
今回の震災では、2万を越える命が奪われ、何十万という人々が住み慣れた街や村からの立ち退きを余儀なくされ、生活が失われ、多くの人の「故郷」の風景が荒々しく変わった。社会には未だに、これまでに経験したことのないレベルの混乱と不安が満ちている。しかし今回の村上氏のスピーチは、それだけの混乱と深い悲しみの中にさえ、古来から自然と共に生きてきたわたしたち日本人が愛(め)で、育み慈しんできたものの本質を見いだすことができることを思い出させ、そしてそこに「再生」への希望があるということを、気付かせてくれたように思う。


――(抜粋)我々は、「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。――


実は、震災が起きてからかなり最初の段階で-- 連日著名人がラジオや新聞で震災に対するその人の思いのうちや支援を発表している中で--、ふと、村上春樹氏は今何を思っているのだろうという疑問が、頭をよぎったことがあった。16年前の阪神大震災が神戸出身であった村上氏に大きな衝撃を与えたことは、彼のその後の作品を通して知っていたけれど、今回の震災は、自分の生まれ育った街の様相が一夜にして失われてしまったこと対する個人のノスタルジックな感傷(言い方はとても悪いけれど)という次元を越えて、日本という国の存続が文字通り根本から揺るがされる出来事だったからだ。「未曾有」という言葉さえ陳腐な気がして憚られるこの混沌とした状況に対し、村上氏は何を語るのだろうか、そう思っていた。


そして今回の村上氏のスピーチはまた、震災、原発事故に伴う一連の事態が、唯一の被爆国として戦後の日本社会が辿ってきた65年間の歩みを、根本的に問うものであったことも明確に示した。09年、氏がエルサレム賞受賞の際に「卵と壁」と題するスピーチでイスラエルの対パレスチナ政策を痛烈に批判した時のように、氏はわたしたちが「システム」という巨大な「壁」(機構)の一部に漫然と組み込まれ、その暴走に間接的に加担してきた責任も指摘した。今わたしたちは、たとえ無力な「卵」であったとしても、被害者であり加害者であったわたしたち自身の覚悟として、決意として、一人ひとりが、被災地を含めた日本社会全体の「再生」のために、社会と向き合い、そのプロセスに参加する必要があるのだろう。震災以来探していた何かの答えの一部が、見つかったような気がする。


原文は、こちら:
毎日新聞村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
毎日新聞村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html


ところで、是非海外の友人たちにも共有したいと思って、英訳のフル・テクストをインターネット上で探そうとしたけれど、どうしても見つけることが出来なかった。代わりに見つけることが出来たのは、”Haruki Murakami criticizes Japan’s nuclear policy”とか “Novelist Murakami raps Japan’s nuke policy during award speech”といったヘッドラインの数々。彼が示した壮大な再生の物語の始まりを、つまらないエネルギー政策批判の記事に集約されてしまうには、あまりに惜しい気がしてならず、是非このスピーチを日本の決意として世界に発信したいもの。どなたか適切な訳をご存知でしたら、教えてください♪


追記:英語訳、見つけました!
http://www.senrinomichi.com/?p=2541