sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

こんな時だからこそ。

sayakot2011-04-03

震災から三週間。連日特集を組んで東日本大震災をとりあげていたBBCニュースも、今は時々福島原発に関するニュースがある他は、関連して欧米で高まる市民の反原発デモの動きを伝える報道があるくらいで、あとは以前のようにリビアやシリア、アフガン情勢がまた主を占めるようになった。ニュースの合間には、ケニアのマサイ族に英国のスポーツ「クリケット」を教えるために奮闘する白人女性へのインタビューやら、インドの奥地に住む部族のドキュメンタリーなどが繰り返し放送され、なんだかなあという気分。もちろん震災前は喜んで見ていたのだけれど。


というわけで最近はもっぱら、朝日、読売、毎日、日経新聞の震災に関するオンライン記事を日々くまなく読んでいる(オンラインで天声人語まで読めるのはすごいことだ)。また、友人や知人に勧められるブログを通じて、人々が(被災地の人も、東京の人も)どのような気持ちで今のこの瞬間を過ごしているのかということを少しでも感じようとしている。被災者の方々にとっては何の気休めにもならないのは分かっていても、せめて心だけでも日本で暮らす人々と共にありたいと思うのだ。そんなわけでこのところのわたしはエチオピアにいながらも、どこか常にぼおっと、意識が遠く日本をさまよっているような感覚が続き、また今までにないほど熱い想いを母国に対して感じている。


でも、プロジェクトは待ってくれない。この3週間の間にも、南部地域の63名の女性メンバーをもつ農産加工組合に対して、加工技術の導入研修(8日間)を行ってきた。カウンターパートの郡の農業局の職員などは「今回の日本での出来事は本当に大変だったわね、あなたの家族は大丈夫だった」と心配そうに声をかけてくれたが、研修を受ける女性グループのメンバーのほとんどはそうした情報とは無縁。家にTVを持つ女性は皆無だし、文字を読める女性も一握り。彼女たちは、日々まず生き延びなければいけない。夜明けから日暮れまで、家族や家畜、畑の世話に追われる農村女性にとって、8日間ものあいだ研修に参加するというのは並大抵なことではない。(普段よりも遅くに帰宅しために夫に殴れた女性もいたということは後になって聞いた。)


生後3週間の赤ちゃんを連れてやってくる若い母親もいた。彼女たちは、研修を通じて学ぶ加工の知識や技術を通じて収入を向上させ、裸足の子どもたちに靴を、食べ物を、雨もりのしない屋根を与えてやりたい母親たちばかりなのだ。まる8日間の研修は、食の衛生や食材の選び方、取り扱い方、クオリティ・コントロールの重要性を含むレクチャーに始まり、その後は実際に地元でとれる食材を使ってのプラクティカルな練習が続く。


「田舎の農民の私たちが作るものなんて、本当に町の人がお金を出して買ってくれるのかしら」そんな半信半疑の女性たちに「私たちを信じてやってみて!」とハッパをかけながら、最終日にはスパイスやトウモロコシ粉など24種類の商品が簡易のコンテナショップに並んだ。小さな店は招待した郡・県の農業局の職員のほか、もの珍しさで集まってきた村人でごった返し、当日は3000ブル(1万5000円)以上の売り上げを記録した。研修の修了式では一人一人の名前を読み上げ、修了証書を渡した。メンバーの半数は、これまで学校に行ったことのない女性たち。大切そうに修了書を受け取ってそれを眺める彼女たちの誇らしげな表情は忘れられない。


ところで最近、縁あってアフリカの給食事業を支援する日本の某NGOの代表の方から、震災を受けて同団体に対する協賛企業からの支援キャンセルが続いているというお話を聞いた。またそれどころか、日本を支援することが急務である今、アフリカを支援するなど「非国民」だとして、半ば脅迫めいた中傷を受けることもあるのだというから驚いた。


前代未聞の災害だから、企業にもそれぞれ事情があるだろう。やむを得ない状況下で、やっぱり今はどうしても支援できませんと一歩引くのは分かる。だがそれが踏み絵のように歪んだ閉鎖的なナショナリズムに結びつけられるとしたら、それには今の日本の向かう先に対する危うさを感じる。日本人にとっての「支援」とは所詮、余裕の「ある」者だけが「ない」者に対して一方的に行う、All or Nothingの特権にすぎなかったのだろうか。


アフガニスタン政府は先日29日、日本に対する8200万円の寄付を発表した。声明で同政府は、「日本はアフガンの最大の支援国の一つで、国民は常に感謝の心を持ち続けている」とした上で、「我々自身も財政問題を抱えているが、日本の復興に向け、積極的に貢献したかった」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110329-OYT1T00927.htm?from=navr


また25年以上に及ぶ内戦が明けたばかりのスリランカ政府も同様に、スマトラ沖大地震で大きな被害を受けた同国に対して日本が行った支援に言及し、「あのとき我が国を助けてくれた友人の日本に、できる限りの協力をしたい」とし、同様に約8000万円の支援を発表した。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103310138.html


言うまでもなく、いずれもいまだに世界各国から援助を受けずには成り立たない国家である。アフガンの情勢はいまだに予断を許さないし、スリランカは数ヶ月前も洪水による広域の大被害を出している。それでも、両国の国民は、自国の政府の今回の決断に、「非愛国」的だと言うだろうかーー?


正直なところ、戦後最悪といわれる未曾有の事態にわたし自身もまだ、日本人が、個人として、企業として、社会としてどのように向かい合うべきなのかまだよく分からないでいる。特に被災地では「アフリカ」のことなど、「途上国」のことなど、考える余裕などなくて当たり前だろう。でもダイレクトに被害を受けていないわたしたちは、企業は、社会は、この強烈な共通体験を通じて、今後の日本がどのような方向に向かおうとしているのか、もっと冷静に見つめ直す必要があるのではないか。未だかつてないほど、世界が日本に対する「つながり」を示している中で、これからの日本はどのように応えることができるのだろうか。