sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

アジスアベバ到着:第1&2日目

sayakot2010-07-03

乗り継ぎのフランクフルトでは、素敵なジャズの生演奏をバックに、高層ビルを見上げるテラス席にて、お約束のドイツビールと地元の名産アップルワインを堪能。ドイツ最大の金融街は、ワールドカップの影響かどこか浮き足立っているようでいて、ヨーロッパ特有のゆったリとした時の流れもたしかにそこにあり、このあたり、日本といったい何が違うのだろうかとふと考えてみたり。
S様、I様、お忙しい中、本当にありがとうございました。


そして昨夜、エチオピアの首都アジスアベバに到着しました。空港では電気製品の持ち込みチェックがかなり厳しいと聞いていたので(商業用と疑われれば、たちまち高額な税金をかけられてしまう)かなりドキドキしていましたが、ちょこっとスーツケースの中身を見られただけで、無事通過。空港を出ると、事前に受けていた連絡の通り、黄色のキャップをかぶったオフィス付きのドライバーの若者が、手を振って待っていてくれました。空港の外に出ると、顔に涼しい風。アジスは2,400メートルの高地な上、今が雨期ということもあり、夜はだいぶ冷え込むと聞いていましたが、若干の緊張で高揚していたせいか、心地よく感じられました。


わたしが住むところはILRIという国際家畜研究所の敷地内の、短期訪問者用の滞在施設。敷地にはFAOなど国連の農業関係のオフィスもあり、関係者の外国人も多く住んでいて、スポーツジムやテニスコート、小さなレストランもある。どこの途上国にも(あるいは格差社会アメリカにも)、外の社会とある種、隔絶された"gated community”はある。自分はそうしたものをこれまでどこか皮肉な気持ちで見てきたのだけれど、これからは自分の位置づけを、そうした単純な対比でなく、冷静な眼差しで意識していかなければならないと思う。


部屋への扉をあけると、ソファ、TV、冷蔵庫付きのリビングと、ベッドルーム。ベッドは大きくふかふかで、トイレとシャワーも、きれい。ネットも、さすがに日本と同等とまではいかないけれども、なかなかのスピード。エチオピアでは首都でさえ毎日のように計画停電があるとのことだが、この敷地内には発電機が完備されており、それに煩わされることはほとんどないとか。外が既に暗くなっていたので、探索は翌朝に持ち越し。早々に毛布をかぶって寝るけれど、夜中に寒さで目が覚める。暖房設備はないので、クローゼットをあさり、予備の毛布を発見。丸まって、寝る。


翌朝、大きな鳥の声で目覚める。部屋の外に一歩出ると、色とりどりの花々と緑溢れる敷地に驚く。エチオピア人の庭師やルームサービスのためのメイドたちが、建物から建物へと移動していくのが見える。長袖シャツがちょうどいい位の心地よい温度だけれども、日差しはかなり強い。


食堂におりていくと、ワールドカップニュースを放映中。熱々のスパニッシュオムレツは絶品、よく熟れたパパイヤとパイナップルも美味しい。嬉しいのは、濃い目に入ったコーヒーに、ホットミルクを混ぜたカフェラテを好きなだけ飲めること。その場にいたのは他に、アメリカ人の親子と、欧米系のおじさん。昨夜のフランクフルトの延長かと思えるほど、穏やかな時間。


さて、探索の時間。わたしの所属先であるSAAには、3週間ほど前から、ホンジュラスエクアドル、ハイチの農業大学の学生がインターンにきている。彼女らも同じ敷地に滞在中と聞いていたので、周辺を少しだけ案内してもらえないかと内線電話をかけてみたら、すぐにコンコンとわたしの部屋に訪ねてきてくれた。とても気のいい3人組は、英語にはまだ苦戦しているようで、スペイン語でもたぶん大丈夫、と言うと、大喜びでこの数週間の自分たちの話をしてくれた。まさかエチオピアスペイン語を話すことになるとは思っていなかったけれど、役立つものですね。


敷地から、オフィスまでは歩いて10分ほど。ゲートを一歩出ると、そこは別世界。乾いた土ぼこりのあがる道を、車とまぎれてヤギやロバが横断する光景に出くわす。道に直接モノを置いた物売りや、靴磨き屋などがたくさんある。道を歩く人は多く、一方で外国人はほとんど見かけない。ただ、通りの店は、一見アラビア語にも見えるアムハラ語表記に加え、super marketやcoffee shopなど、アルファベットもあちこちで見られる。徒歩圏内にスーパーがあるのはありがたい。


ほんの数時間町に出ただけでエチオピアを語るのは、少々憚られるけれども、一つ感じたのは、思いのほか、「未知の国に来た」という違和感を覚えないということ。わたしにとってこの国は、人々の肌の色という意味でも、経済的な豊かさの度合いという意味でも、これまでに他の国々でしてきた経験とは格段に異なるはずなのだが、そして実際、わたしの存在など恐らく、風景からすごく「浮いてる」のだろうけれど、それを意識させられないのは、ラテンの国々のように、人々の物珍しい視線を受けたり、やんやと声をかけられたり、多くの国であるように、外国人だからといってものを売りつけられたりすることがなかったせいなのか。お店でも、英語ができるできないに関わらず、皆とても親切で、かといって、おせっかいがましくない印象を受けた。


誇り高く、そしてどこか控えめなエチオピア人は日本人と似ている、ということを話には聞いていたけれど、それを少しだけ実感した、なんだかほっとする1日でした。

と、気づいたらまた長文。雷の音が響き始めました。