sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

出張日記 (前編)

sayakot2009-11-02

久々の出張に行ってきました〜。
や〜、久しぶりに心が揺さぶられました〜♪


今回の出張の目的は、プロジェクトで支援している民芸品を制作するマヤ族の女性グループの「初」営業に同行/見学するため。これまで、顧客の開拓や販売管理は、プロジェクトが中心に行っていたので、グループの女性たちは、商品の生産だけに集中していればよかったのですが、プロジェクトの終了が来春に近づいている今、これからは彼女たち自身が、営業・生産・販売・その後のフォローアップ、商売の一連のプロセスを、すべて担えるようになることが、活動の継続のための重要なポイントとなっています。


彼女たちの初めての営業先は、メリダという街の超高級ホテル。
チェトゥマル村のあるキンタナ・ロー州のお隣、ユカタン州メリダには、今もスペイン植民地時代のコロニアル調の街並みが残り、「アシエンダ」というメキシコ版「荘園」を改装した、お屋敷風ホテルがいくつもあります。今回の訪問先も、その広大な敷地に草花が溢れ、色鮮やかな小鳥がさえずり、馬や鹿が放たれていて、外の世界から切り離された小空間が広がっていました。付属のレストランの入口の壁には、ゲストとして訪れたヒラリー女史を初めとするビッグ・ネームの写真がびっしり。


こうした超上級顧客をターゲットにするのは、電話もほとんど通じないような村から出てきたマヤの女性たちには、ハードルが高すぎるように思われるかもしれないけれど、それなりの理由があります。一般の観光地には、近隣のグアテマラや、時にはメード・イン・チャイナの似たり寄ったりのマヤの民芸品が溢れていて、制作にかかった材料費も人件費も関係なしに、仲介業者に二束三文で買いたたかれてしまうのが多くのケースだから。そんなマーケットに参入するのは至難の業。


マヤ文化を代表とする先住民の文化が大きな観光資源であるにも関わらず、メキシコ社会には、先住民に対する強烈な差別や偏見が今も根深く残っていて、また、マヤの人々も、スペイン語が話せなかったり、読み書きができなかったりする中で、敢えてコミュニティから出たがらないことも多いとのこと。また、先住民に対する政府の補助金が流れ込むことで、大して働かなくても最低限の暮らしが確保されることもあり、地域によっては、住民たちの間に受け身の姿勢がしみついてしまっているところもあるのだとか。そして悲しいことに、自分たちの祖先が創り上げた素晴らしい文化や歴史についても、彼ら自身の間でさえあまり語り継がれていないのが現状。


だからこそ、プロジェクトでは、品質やデザインにこだわり、また、人件費や材料費、間接費なども含めた値段設定をすることで、彼女たちの生活をより豊かにすることを目指すだけでなく、マヤの遺跡を巡るスタディーツアーを提供したり、マヤの歴史的な英雄たちをデザインに取り入れたりすることで、自分たちの文化への理解を促し、自信を取り戻してもらうことも、一つのミッションにしています。当然、巷の商品と比べ、値段が3倍も4倍もしてしまうので、わたしたちの顧客には、品質にこだわり、また、背景にある彼女たちのこうした新たなチャンレンジを、一つの価値として理解してくれる人が必要になります。これまたとっても、難しい。


さて、話を「超高級ホテル」への「初」営業に戻すと・・・。
付属のレストランの一画に通されたわたしたち。同行者は、女性グループたちの活動をずっと現場で支えてきたアメリカ人コンサルタントのC女史と、先輩コンサルタントのTさんと、わたし。女性グループからは、11グループを代表する計4名が、4箱の大きなプラスチック・ケースにサンプル商品をいっぱいに詰めてやってきている。担当者の男性はヨーロッパ系の白人男性A氏。彼が当然のように、まずわたしたちに席を勧めてくれたので、こちらははただの付き添いで、商談を行うのは彼らですからと説明すると、一瞬、驚いたような表情を見せたけれど、グループの代表者が、自己紹介を始めると、ようやく状況を理解して、彼らと向かい合うように席に着いてくれました。



なんだか長くなりそうなので、続きは、後ほど。。。


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写真は、サンプル商品を運ぶグループのメンバーたち。
商談の終了後なので、ホッとした面持ち。