sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

ある日の昼下がり。

sayakot2008-04-06

今週、『平和の心理学』の授業を受け持っていたT教授のお母様が、亡くなった。
授業中、突然の訃報を受けて崩れ落ちるように倒れこんだ彼女に対し、わたしはかける言葉を見つけることができなかった。同時に、授業が始まってまだ2日目の出来事であったし、家族の絆の強いフィリピン人のことだから、葬儀はきっと身内だけでひっそりと行うのだろう、と勝手に想像していたこともあって、翌日、クラス全体に対し、彼女から葬儀への招待を直々に受けたときは、少し驚いた。


さて。クラスメートたちと葬儀に参列することに決めたはいいが、こうした機会における、「フィリピン流」あるいは「カトリック流」の「適切」な服装がまずよく分からない。「黒か白。できれば黒が好ましい―。でも、そもそもあまり気にすることはないよ」という、フィリピン人の友人Mのアドバイスを頼りに、クローゼットの限られたコレクションから、黒キャミソール&カーディガンに、全体に黒いプリントの入った白スカートというスタイルで、心細く出かけたのだが、当のMは、黒いポロシャツにブルーのジーンズだった。そして、全身黒づくめのわたしたちを見るなり、
「そういえば、最近の(葬儀での)トレンドは白だったかもしれない――。」と、思い出したように言った。


会場は、アテネオ大学から徒歩20分ほどの場所にある、この地域では一番大きな墓地の一画だった。入り口の立派なゲートをくぐると、そこには美しい花々をつけた木々と、青々とした芝生が広がっていた。スプリンクラーがあちこちに見えるのは、そうでもしないとマニラの暑さがすぐに芝生をだめにしてしまうからに違いない。とても綺麗なところね、とMに言うと、ここは富裕層のための場所だから、と彼は答えた。


わたしたちが会場に辿りついたときは、少し小高くなった丘――そこには、棺を地中に沈めるための、大げさな機械が既に設置されていたのだが――を正面にするように、簡易テントとイスが30脚ほど用意されていた。時間はすでに、予定の10時を過ぎていたが、渋滞のために棺と遺族の到着が遅れているとのことで、そこには、T教授の同僚だという、アテネオ大学の心理学の教授が2人、談笑していた。40台半ばくらいの、とても穏やかな表情をした彼らは、若干、緊張した面持ちのわたしたちの姿をみとめると、よく来たねと温かく迎えてくれた。


簡易の屋根があるといっても、やはりマニラの夏。座っているだけで、息がつまりそうに暑い。
普段であれば、少しキョロキョロとすれば、水やアイスの物売りたちを発見できるのだが、さすがに墓地は例外らしかった。
脱水症状になるかもなあ。。。と思いながら、式が始まるのを待った。


30分ほどして、大量の花が到着する。大ぶりで色とりどりの花束が、作業員によってトラックの荷台から次々と運び出される。暑さのせいで少しぐったりしたこれらの花束には “Congratulations!”と印刷された、鮮やかなフライヤーがいくつも巻かれていて、作業員たちはそれを慣れた手つきで次々に外し、黒いゴミ袋につめていった。卒業式か何かに使用した花束を業者が使いまわしているのか、それとも何か他に特別な理由があるのかは分からないが、フライヤーが少しはみ出したまま、膨れたゴミ袋が隅に転がっている光景は、会場に充満した非日常的な空気を、現実のものに引き戻した。


そして、当初の予定から、1時間が経過。
T教授始め、全身清々しく白い服をまとった遺族たちが到着する。ふと気がつくと、先ほどまでわたしと隣で会話をしていた心理学の教授2人が、同じように真っ白な聖職者の衣装を身にまとい、正面に立っていた。「??」一瞬混乱したが、イエズス会系列の教育機関であるアテネオ大学では、「司祭」であり、「教育者」である、いわば二足のわらじをはいた教員が多いのだということをすぐに思い出した。


世界で2番目に大きいカトリックの男子修道会であるイエズス会は、フィリピンに大きな基盤を持っている。イエズス会の司祭になるためにはなんと約13年間の修行期間が必要で、そのプロセスの中で、彼らは、「従順」・「清貧」・「貞潔」という、生涯、財産も家族も所有しないという誓いを立てるのだ。この国における聖職者の政治的・社会的影響力の大きさは、彼らに対する人々のシンシアーな尊敬の念を見れば、十分理解できる。


だからこそ、この国で司祭になるためには、非常に競争的な、狭き門を潜り抜ける必要がある。
「知的にも精神的にも、本当に優れた人間だけがその資格を得られるのだ」と、心からの敬愛の念を込めてMは言う。そして、かつて自分も志したことがあるが、13年間はやはり長すぎる――。と、少し遠い目をして続けた。敬虔なカトリック教徒で、同時に、熱い闘志を燃やす人権活動家である彼にとって、たしかに、13年もの修行期間はあまりにもどかしすぎるかもしれない。
「僕は自分のやり方で、自分の道を追求していこうと思う――」という彼の言葉には、決まりの悪さを少しも感じさせない意志がこめられていた。


さて。
司祭が聖書の言葉を語り、遺族が棺に聖水を振りかけた後、棺はすぐ正面の丘へと移動される。
それを運ぶのは、黒いゴム長靴をはいた作業員たちで、棺が重い音をたてて機械に設置されると、集まった参列者たちは花を捧げ、故人と最後の別れを交わす。
式はそこで終了する。


やがてどこからともなく、冷えた水のペットボトルやジュース、菓子パンが参列者に配られる。そして、人々が食べたり、飲んだり、故人の話をしている横で、先ほどの作業員たちが、慣れた手つきで棺の隙間にセメントを施していた。作業後、ほとんど誰も見ていないところで、棺はひっそりと地下へ降ろされた。じんわりと吹き出た汗が、すっと背中を伝った。



生と死が、そして日常と非日常が、混沌と境界なく交差する。
マニラの暑い夏が、いよいよ始まろうとしている。