sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

「女性の日」の出来事。

sayakot2008-03-13

ちょっと過ぎてしまいましたが、3月8日は『国際女性デー』でした。


日本ではあまり知られていないこの「国際女性デー」だが、その歴史は1904年に遡り、
ニューヨークで女性労働者たちが婦人参政権を求めてデモを起こしたのが始まりだ
とのこと。現在では、国連が、女性が平等に社会参加できる環境を整備するよう加盟国に
呼びかける日として、毎年世界各国で関連のイベントが催されている(Wikipedia)。


そして先週の土曜日。マニラ市内で、全国の女性活動グループや左派系政治団体
女性サポーターたち約4,000人によるデモ行進が行われるとの話を聞きつけ、様子を
見に行った。


意外に思われるかもしれないが、中上流層の女性の社会進出という点において、フィリピンは、日本に比べてかなり先進的だ。女性の大統領は、アロヨ大統領が初めてではないし、
企業の経営陣における女性の占有率は、日本が世界最低基準にあるのに対し、フィリピンは世界的にトップクラスだという。フィリピンの誇る名門大学アテネオでは、女子学生が生徒の半数以上を占め、
教授陣も、女性が多い。


一方、OFW(Overseas Filipino Workers)と呼ばれる海外への出稼ぎ労働者に注目してみると、その事情は少し変わってくる。
こうした出稼ぎ労働者には、看護士のような専門職の女性たちの他に、香港やアラブ地域で需要の大きいベビーシッターやメードなどの多くの家内労働者、そしてかつて日本全国津々浦々に見られた「フィリピンパブ」で働く、いわゆる「エンターテイナー」たちが
含まれるからである。


低賃金でリスクの高い労働環境にさらされることは、例えば建設ラッシュの続くドバイで肉体労働者として雇用されるフィリピン人
男性も同様かもしれないが、パスポートを取り上げられ、逃げ場を失った家内労働者が雇い主に肉体的・性的虐待を受けたり、
貧しい農村出身の若い娘たちが、ブローカーを通じて人身売買さながらに日本やその他の先進国の性産業に売り飛ばされたりするケースは決して少なくなく、特に後者に関しては、2004年、アメリカ政府が日本を人身売買「監視対象国」として名指しで批判したこととも、深く関わっている。


雇い主の虐待から自らの身を守るために傷害や殺人を犯してしまい、その後一方的に、現地で極刑を宣告されてしまった家内労働者の悲惨さや、日本人男性客の子供を身籠って、そのまま捨てられてしまったシングルマザーたちの苦労は、想像を絶する。だが、過酷な処遇を承知で、それでも彼女たちが海外へ渡るのは、ひとえに家族の生活を支えるためである。海外で生活する約8百万人のフィリピン人からの本国への送金は、GDPの1割に相当するとされ、陰でフィリピン経済を支えている。国外で働く同志たちの血と汗の犠牲の上に、フィリピン経済は成り立っている――。こうした、誇りにも似た同胞意識は、フィリピン人がOFWを語るとき、もっとも顕著に表れるのである。



前置きが長くなりました・・・。
性労働者の処遇に関して、そんな頭のイタイ問題をいくつも抱えるフィリピンのことなので、この日のデモ行進は、女性労働者の保護や処遇の向上を政府に訴える団体が多いはず、と想像していたのだが――。フタを空けてみると、人々が掲げる旗やプラカードはどれも、「自由」とか「真実」とか、アロヨ大統領の不正疑惑を糾弾し、その辞職を要求する内容ばかり。アロヨ大統領を悪魔に見立てたお馴染みのハリボテがあちこちに飾られていた。友人の解説によると、彼女たちの主張は、以下のようなものであるらしい。


『生活が苦しく、女性が困難な環境にさらされているのは、アロヨ大統領が腐敗しているからであり、女性として、同じ女性であるアロヨ大統領の不正を許すべきではない――。』


行進中、ある穏健左派の政治グループと一緒に歩いていたら、赤ん坊の人形を背中におぶり、大鍋を腕に抱えて歩く、中年の女性がいた。空っぽの鍋は、昔から、庶民の「苦しい生活」を象徴する道具なのだそうだ。つやのない白髪混じりの乱れた髪に、乾燥してひび割れた足をした彼女は、せっかくの休日にも関わらず、家でいてもたってもいられなくなって、駆けつけてきたのだろうか。
鍋の中には、印刷されたアロヨ大統領の顔が、野菜炒めの「具」のように、何枚も入っていた。友人が、「この料理はどんな味ですか」と冗談で話しかけると、「あなたまで腐っちゃうから、食べちゃダメよ!」と、ガタガタの黄色い歯を見せてケタケタ笑った。


熱い人権活動家でもある友人に、「アロヨ1人を変えたって、この国の政治は変わらないでしょう。なぜ人々はそれでもデモをするの」と、わたしが意地ワルく尋ねると、彼は、


「どんなに貧しく、教育のない人間でも、通りに出て、何千、何万人々と一体感を感じることで、自分の手に与えられたパワーを実感するんだよ」と拳を握り締めて、力強く応えた。


なるほどね、と答えながら、そのときわたしの頭の中を過ぎっていたのは、


「今の体制が良いとは決して思わないけれど、毎日なんだかんだ忙しいし、わざわざ休日にデモに出ようなんて、正直、思えないよね。あまり良くないことなんだとは思うけれど。」と、少し気恥ずかしそうに告白してくれた、上流層に属する別の友人の言葉だった。
彼だけでなく、この国の中枢を動かす、現状の生活に大きな不満のないアッパークラスの多くは、そういう感覚なのかもしれない。


デモ行進の終着点は、進入を厳重に禁じられた、大統領官邸であるマラカニアン宮殿正面だった。
もっとも、デモ隊と宮殿の間には、かなりの距離があり、その間には何重にも張り巡らされた鉄条網とパトカー、消防車が何台も配置されていたので、人々がそれを越えることは一歩たりとも許される雰囲気ではなかった。


それでも、「女性の日」のデモだから、いつもより和やかな方だよ、と冗談めかして友人が教えてくれた。政府も、まさか女性たちに手荒なマネはできまい、それが主催者の狙いのようだった。鉄条網の後ろから公邸に浴びせられる、何千もの女性たちの声は、「国際社会は新たな政変を容認しない」と任期満了の2010年までの続投を自信たっぷりに宣言しているアロヨ大統領に、果たして届いただろうか。


それにしても「女性の日」のイベントとは思えないほど、本当に「反アロヨ」一色のデモ行進だった。
自分たちの苦しい生活を変えることのできないフラストレーションが、アロヨというシンボリックな「悪魔」に向けられることは、ある意味で自然なことかもしれないが、しかし一方で、中央から地方の末端まで、「腐敗」が恒常化したこの国の巨大なシステムが、問題の本質であるとするとしたら、彼女一人を取り替えたところで、果たしてどれだけのインパクトがあるだろうか――?


通りに飛び出し、不誠実な執政者を糾弾することで、底辺で虐げられた人々が自らの手に何らかの力を感じることができるなら、それはそれで素晴らしいことには違いない。だが、例えばアロヨ大統領が人々の望みどおりに追放されたところで、彼らの日々の生活が劇的に変わる可能性は、果たしてどこまであるだろうか。
結局、自分たちはどこまでも底辺で生きるしかないのだと、改めて気付かされたとき、そこで人々は何を感じるだろう? 
やりきれない気持ちのやり場は、一体どこへ向かえばいいのだろう? そんなことをぐるぐると思いめぐらせながら、人々がまさに今、共有している、この高揚感に満ちた力の実態は、一体何なのだろうかと考えずにはいられなかった。