sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

グラミン銀行 〜変えられるものと、変えられないもの〜

sayakot2008-01-27

最近、頻出の「マイクロクレジット」という言葉。


元になっているそれがどのようなものかというと、バングラデッシュのグラミン銀行の創設者で、2006年ノーベル平和賞の受賞者であるムハマド・ユヌス氏のストーリーから紹介するのがいいかもしれない。


当時チッタゴン大学経済学部の教授だったユヌス氏がこの仕組みを思い立ったのは、社会から見捨てられた最底辺の人々の現状を、目の当たりにしたことがきっかけだった。それは、1ドルのお金さえ無いために、暴利を貪る高利貸しに頼らざるを得なくなり、借金地獄から抜け出せなくなった人々。担保となる少しの資産さえ持たない彼らに、従来の銀行は冷たかった。


それは例えば、籠を編むための16セントの材料費さえ高利貸しに借金し、土地に縛られ、1日かけて編んだ商品を、17.6セントで売らざるをえない女性たち。1日働いて、利益はたった1.6セント。彼女たちを苦しめていたのは、ほんのわずかな借金をしただけで、再び借金をしなければならなくなる負のサイクル。永久に数セントさえ貯めることができないまま、子供や孫たちの代までその日暮らしの生活を強いられる人々が、永久になくならないということだ。


大学周辺のある村を調査したユヌス氏は、その一帯の42世帯を負のサイクルにおとしめている借金が、合計にしてもわずか$27にもならないことを知り、愕然とする。彼らに、自由に使えるほんの少しのお金があれば、彼らはそれを元手に小さなビジネスを始めることができるだろう。そこで利益を生み出すことができれば、彼らの運命は劇的に変わるだろう、それが最初の発想だった。


途上国では、1人の人間とその家族が経済的な自立を果たすためには、何も何百万、何千万という額を必要としない。グラミン銀行は、社会の最も貧しい人々に、無担保で、事業を始めるための運転資金を提供し、そこで生まれる利益を通じて、ローンの返済を組む。当然、借り手となる人々は、教育やビジネスの知識や経験を持たないので、それなりの手助けが必要になる。事業計画のサポートを提供はもちろん、また、マイクロクレジットがそもそもどのような仕組みで機能するのか、借り手の理解を徹底する。そうしてグラミン銀行では、実に98%の返済率を達成し、07年の時点で、借り手は740万人を越え(そのうち97%が女性)、その広がりはバングラデシュの96%の農村をカバーしているとのこと。(詳しくは、『ムハマド・ユヌス自伝 〜貧困なき世界を目指す銀行家〜』(早川書房)をどうぞ)


返済率98%という数字は、マユツバだと思うかもしれない。
それには、いくつか仕掛けがある。


まず、ローンの返済期間が1年と長期であり、毎週、一定額を返済することになっていること。また、借り手には同様の境遇にある4人と扶助グループを作り、互いにその返済を助け合う義務がある。貸付は1人ずつ順番に行われ、1人が返済を滞ると、他メンバーにその返済義務はない代わりに、次のメンバーには貸し出されない仕組みになっている。厳しいと思うかもしれないが、そうすることで、1人1人の道徳的責任が増し、同時に、メンバー同士での知恵の出し合いといったサポートが生まれるというわけだ。


想像してみてほしい。日々の食事にすら困っていた女性たちが、今まで与えられたことのない大きな責任と共に、自身と家族の人生を変えるチャンスを手にした瞬間を。そんなドラマが、それまで女性にほとんど力を与えられていなかった、バングラデッシュの保守的な農村で次々と起きているのだ。そのチャンスは決して、ただ「かわいそうだから」という理由で、空から降ってくるのではない。借り手は、新たな人生を切り拓いてみせるという死に物ぐるいの意志と、具体的な行動を要求されることで、自身の経済的・社会的自立への実感を獲得していく。


マイクロクレジットが機能する仕組みについて、ユヌス氏が強調するのは、究極的な貧困にある人々は、その資金が今の生活状況を打ち破るための唯一の機会だということがよく分かっているということだと言う。頼るべき貯えのない彼らは、目の前のチャンスを何としてでも掴み取り、人生を変えたいと心底思っている人たちなのだ。


マイクロクレジットのモデルは、現在、アメリカの低所得者層向けプログラムを始め、途上国から先進国まで、世界60カ国で展開されている。(ちなみに、クリントン米大統領とヒラリー夫人は、グラミン創設初期の頃からの支持者として有名)。それにしても、ユヌス氏の自伝やその他の関連文献をリサーチしていると、そのインパクトの大きさにはつくづく驚かされる。しかし同時に、実感としてイメージがわかないのも正直なところ。そんなに完全無欠なモデルが、果たしてあるだろうか?弊害は何もないのだろうか―?やっぱり自分のこの目で見てみたい―。そう思って先日、インターンシップの募集はありませんかとグラミン銀行にメールを出してみたが、今のところ反応はない。たぶん世界中から、同じようなことを考える若者たちが殺到しているのかもしれない。


さて。グラミン銀行からは相変わらずナシのつぶてなので、ひとまずバングラデシュ出身の友人Mに、国内におけるユヌス氏とグラミン銀行の評判について聞いてみた。そして彼の答えは、「ユヌス氏はとても尊敬されているし、グラミン銀行が国内の貧困層にもたらした社会的な貢献は相当なものだよ」と、思った通りの答え。


だがそこでふと、一つの出来事を思い出す。ユヌス氏が政界入りと新党結成を断念した、という、昨年5月のニュースだ。
彼が本当にバングラデシュ社会で尊敬されている人物であれば、一体どうして国民に支持を得られなかったのだろうか―?


わたしのいじわるな疑問に対し、Mの答えはシンプルだった。
強大な2大派閥の台頭するバングラデシュで政界に進出するということは、ノーベル平和賞受賞者といえども、並大抵のことではないということ。汚職と腐敗、様々な政治的しがらみに自身を巻き込まなくてはならないからだ。構造的な差別や貧困と是正するためには、政治の浄化が不可欠、そう出馬を決意したユヌス氏も、政敵からの強力な圧力には勝てなかったということだ。M曰く、バングラデッシュでは一時期、グラミン銀行の登場と拡大によって様々な権益を失った政治家や地元の指導者たちによるグラミン銀行批判―例えば、“ユヌス氏は貧民から絞り上げたお金で左ウチワだ”とか、“汗を流さない労働は、労働ではない(だからユヌス氏には農民の気持ちは分からない)”とか言ったプロパガンダが横行したそうだ。


「だがそれは、マイクロクレジットがもたらしたインパクトの本当の意味を―社会から見捨てられた最底辺の人々に与えた希望の大きさの意味を、理解することのできない政治家たちの、やっかみのようなものだ」とMは言う。そして、教育ある、本当に国の将来を考える人々は、皆ユヌス氏に期待しているのだ、と。だが、今の腐敗したこの国の政治に本当に切り込んでいくためには、マイクロクレジットよりももっと劇的な「何か」が必要なのかもしれない、とも言った。


ノーベル平和賞受賞という輝かしい名誉も、社会にほとんど見捨てられていた1000万人近い人々に希望を届けたという事実も、「劇的」というには不十分なのだとしたら、一体何があなたの国を変えられるのか、そう言いそうになって思いとどまった。そんなことをMに言っても仕方ないからだ。そのやるせなさは、Mが一番分かっているはずだ。


。。。
ちなみに前回のブログで紹介した、アフガニスタンのムハマドさんの畑の行方だが、わたしが「貸した」翌日に、ブジ全額ローンを組むことができたという通知が届いた。そして今後の畑の様子は、現地のマイクロクレジット団体が、定期的にアップデートしてくれるとのこと。マクロレベルでの構造的な改革が難しい現実の中で、変えられるところから、確実に変えていくこと、その変化を諦めないこと―。今、わたしたちにはそんな辛抱強さが求められているのかもしれない。たとえどれだけささやかな草の根の活動であろうと、それがやがて大きく育ったときのインパクトの大きさは、グラミンが既に証明しているのだから。