sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

小さな祈り

sayakot2007-12-30

友人の、初めての子供が亡くなった。
分娩後の合併症が原因だったとのこと。
わずか数時間の、はかない命だった。


Mの子供が亡くなったらしい―、ショッキングなそのニュースを聞いて、真っ先に
思い出したのは、前日にMと交わした会話。


大学で盛大に誕生パーティを開きたいから、企画作りを手伝ってくれないか―、そう相談してきた彼は、いつも以上にニコニコと人懐っこい笑顔をしていた。
喜んで、そう答えてから、「初めての子供が生まれるときに、こんな遠くにいる
なんて、ワルいパパだね!」そう、からかったのだった。彼は本当に嬉しそうだった。


Mの妻は、彼の故郷である遠くバングラデッシュで大学院に通う才女。その妊娠が分かったのも、わたしたちの修士プログラムが
フィリピンで始まった直後のこと。「皆に素晴らしいニュースがある。もうすぐ僕はパパになるんだ!」そう彼がクラスのメンバーに
報告したとき、皆、自分のことのように喜んだ。


初めての妊娠・出産に、たった一人で向かい合わなければならない年若い妻に、わたしは正直少し同情したが、それは決して口には出さなかった。ビザや経済的な事情で、この18ヶ月間のプログラムが終わるまで一度も故郷に帰ることができないもどかしさは、M本人が一番よく知っていたからだ。それに、2005年に「親のアレンジ」で結婚したばかりの彼の愛妻家ぶりは有名で、毎晩何時間もスカイプでやりとりしながら身重の妻を気遣う様子は、外から見ていてとても心温まるものだった。「奥さんとお腹の子供は元気?」そう会話を始めるのが、彼と顔を合わせたときのパターンだった。


今回の出来事は、そんな中で起きた。
妻のお腹が少しずつ大きくなっていくその様子も、初めてお腹を蹴ったその振動も、ついに生まれたわが子を腕に抱いたのときの
その重みも――父親として当たり前に得られたはずの喜びを、何一つ手にしないまま、永遠に失ってしまった彼の悲しみを思うと、
胸がしめつけられた。数日間、彼は集中治療室に収容された妻の容態を気にしながら、ただ自宅で連絡を待つことしかできなかった。インターネットの調子が悪くてなかなかつながらないんだ―。こんなに苛立ったMを見るのは初めてだった。


数日後、彼の妻は無事にICUを出ることができた。現在は、実家で療養中とのこと。毎日泣いてばかりだそうだ、彼は悲しそうに言う。コスタリカ-バングラデッシュ間の航空券代は、軽く3000ドルを越す。コスタリカに着てからずっと体調不良だったMは自身の医療費もかさんでいて、決して簡単に用意できるお金ではない。有志でカンパしよう、そう呼びかけようとしたら、それを知ったMに、気持ちだけ受け取っておくから、と丁寧に断られた。


もし同じようなことが私に起きたら、あなたなら絶対に同じことをしてくれるでしょう?! そう説得したが彼は頑なだった。妻は私が留学するに当たり、それなりの覚悟をしているはずだ。彼女がもし本当に望むなら、帰ることはできる。だけど、君たちがそんなことはしないでくれ、と。そして、本当に困ったら、そのときは真っ先に君に頼むから、と彼は付け加えた。


数日後、彼はわたしと友人を自宅に招待してくれた。彼の得意のバングラデシュ料理だ。野菜とスパイスたっぷりの彼の料理の腕前はかなりのもので、日ごろ、塩味が中心のシンプルなコスタリカ料理にちょっぴりうんざりしてきたわたしたちにはとてつもなく美味しく感じられたし、何より、心配するわたしたちに、こういった形で、もう大丈夫だからと応えようとする彼の心遣いが、本当に嬉しかった。


「日本でレストランでも開いたら?きっと流行ると思うけど―。」わたしが安易な提案をすると、彼は急に大真面目な顔をして、「お金儲けには興味がないんだ。僕は社会の役に立つことがしたい。いつか、死んだ両親の名前で、故郷の村の子供たちの教育のために基金を作りたい、それが僕の夢なんだ―。」と一気に熱く語りだした。そしてふとわれに返って、こんなことを人に話すのは初めてだ、と照れくさそうに笑った。


Mは、このプログラムに参加するまで、バングラデシュで、子供たちの権利を守る活動をしているNGOで働いてきた。途上国に生きる子供たちは、貧困とそれゆえの暴力にさらされやすい。シェルター、食料、飲料水、教育、医療、当たり前のことが当たり前でない世界。アジア最貧国であるバングラデシュは、慢性的な貧困と自然災害に常に苦しめられている。その大半が低地になっている国土は、つい先日もサイクロンで多くの犠牲者を出したばかり。


初めての息子の死に立ち会うこともできず。また、愛する妻の元にも駆けつけることもできなかったM。この留学が、彼にとってこれだけの悲しみを引き受ける価値のあるものであると信じたい。だが、少なくとも私にとって、Mのような友人に出会うことができたのは、幸運なことだったと思う。年齢も、バックグラウンドも、今後のキャリアも違うかもしれないが、おそらくわたし達は、何年先も、同じ志で結ばれていると思うから。いつか自分が、途上国と日本を「結ぶ」何かを志すとしたら、きっと真っ先に彼に相談すると思うし、そのとき彼は、今と変わらない笑顔で迎えてくれる、そんな気がする。