sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

梅酒の夢と中田ヒデへのジェラシーと。

sayakot2007-12-13

少し前に話題になった、中田英寿編集のクーリエ・ジャポン12月号(講談社)。
日本から来ることになっていた友人にお願いして、持ってきてもらった。


わたしは決して熱狂的なサッカーファンでも「中田ファン」でもない。確かに、華やかなセレブらしからぬ彼の飄々とした態度と独特の空気感には、以前から「なんとなく」好感を持っていたが、彼が「人生とは旅であり、旅とは人生である」そんなキザな言葉を残し、突然の引退を宣言したときも、彼らしい決断だなとぼんやり思っただけで、その後実際に彼が何をしようとしているのか、特に関心を持つことはなかった。


だが今年6月フィリピンで少しだけお世話になったNGO(ゴミ山に住む人々のための支援団体)に、以前彼が訪ねてきていたことをひょんなことから知ってから、彼ほどのスーパースターが、大都会の片隅で誰からも忘れられたこの貧しいコミュニティを、一体何の因果で訪ねたのだろう、彼はここで何を感じたのだろう―。と、不思議に思ったのを覚えている。


今回の特集にその鍵が隠されているかもしれないと、到着を心待ちにしていたのに、いざページを開き、数行目を通したとたん、
急に胸がざわざわして、続きが読めなくなった。3週間ほど枕元に放置して、昨日、ようやく再び手に取って、なんとか最後まで
読みきった。


1年半で50カ国を訪ね、今尚旅を続ける彼のインタビューからは、彼がすでにサッカー選手としての過去を自己の中で完全に相対化させ、新たなステージに向け着々と準備をしていることが感じ取れる。思っているだけでは意味がない、まずはやってみることが大事だ、そう言いながら、まったく焦る様子もない。その言葉からは、これからまだまだ続く旅とその先の未来に、純粋にワクワクしている彼のまっすぐさと、静かな自信が伝わってくる。


ただのチャリティーを超えた、ソーシャルビジネスとして世界の問題に取り組みたい。日本人の可能性を、もっと形にしたい。
日本人として、まずはアジアをフィールドにスタートしたい。日本の良さを知るために、そして「日本」と「世界」をつなげるために、
世界に出てみよう――。傲慢かもしれないが、彼の語るビジョンは、この1年間、先がどうなるかも分からないまま会社を辞め、フィリピン、コスタリカと拠点を移しながら模索を続けてきた自分が考えてきたこと―そしてこのブログを通じてささやかに発信してきた(つもりの)ことと―ほとんど重なって映る。日本の読者に対する、スマートでかつ自然体な彼の問題提起は、日々わたしが友人たちと壁にぶつかりながら議論してきたことと、そして、本当にこれで良いだろうかと時に不安に駆られながら、なんとか言葉にしてきたことと不思議なほど一致し、それゆえに深い親近感を感じさせた。(昨年イスラエルに行ったときにふと頭をよぎった、梅酒の海外展開ビジネスという発想まで同じなのだから、本当にびっくりした。)


彼が世の中に与えるインパクトとわたしのそれとは比較にならないのは十分すぎるほどに承知しているけれど、あの胸のざわつきは、彼の並外れたバランス感覚に対する敬意と、ある種のジェラシーによるものでもあったかもしれない。


つい先日発売されたクーリエ・ジャポン1月号には、中田氏と作家沢木耕太郎氏の対談が特集されているとのこと。
深夜特急』は私の好きな小説のひとつ。みなさんもどうぞ手にとってみては♪


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写真は、アンティグア・グアテマラのマーケットにて。野菜売り場で一人たたずむ少女。