sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

グアテマラ  -The Country Of COLOR-

sayakot2007-12-06

大学時代の親友が、訪ねてきた。外資投資銀行で連日18時間ワークをこなす彼女に
とって、2週間の休暇は、ごくささやかなご褒美。コスタリカの我が家に一週間ほどステイした後、共にグアテマラへ小旅行に出かけた。


コスタリカ-グアテマラ間は、飛行機で約1時間半。往復の運賃は$245。利用したのは、TACA航空。中米諸国の他、アメリカ・カナダ・南米諸国の19カ国主要36都市に就航しているこの航空会社は、この地域を行き来するビジネスマンや旅行者たちの重要な足だ。


グアテマラは人口約1400万人、面積は日本の3分の1。36年間に渡るゲリラとの内戦は、
この国に25万人の犠牲者を出した。1996年締結の平和協定以降も、貧困や犯罪率の高さは社会不安の大きな要因となっており、一般の犯罪に巻き込まれた犠牲者の数は2006年で6000人に上るという。


一方でスペイン植民地時代の面影を強く残しつつ、マヤ系先住民族が約40%を占めるこの国は、ラテン系の白人が大多数を占めるコスタリカとはまったく異なる雰囲気を持つ。公用語スペイン語だが、20以上のマヤ系言語が国語として認められている。零細な小規模農業に従事する先住民の多くは、今も地域独自の鮮やかな刺繍をほどこしたウィルピルという伝統的な衣装を身につけて生活している。


教会と石畳が美しいアンティグア、毎週木曜と日曜に先住民族たちの大きな市場が開かれる、高原のチチカステナンゴ、「世界一美しい」といわれるアティトラン湖畔、ジャングルに埋没したマヤ文明最大の神殿都市として知られるティカルへも足を伸ばした。
村や町を終日歩き、町から町を乗り合いのシャトルバスで移動したこともあって、現地の人々はもちろん、世界中の旅行者と知り合う機会に恵まれた。グアテマラの町を彩るカラフルさを象徴するような、出会いの多い旅だった。


例えば、一緒にマヤのピラミッドを登った、グアテマラアメリカ人兄弟。四六時中ジョークばかり飛ばしてまわりを巻き込むことが大好きな2人は、共に30代半ばくらい。ニューオリンズで建設業を営む彼らは、2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーンカトリーナ」の復興事業で、一財産を築いた。そして今度は、新規事業としてグアテマラに、スポーツ・フィッシングビジネスを持ち込むために視察にやってきたのだと教えてくれた。俺はグアテマラシティーで生まれたけど、弟はアメリカ生まれなんだ、と兄のアントニオが説明してくれる。家族も親戚もほとんどアメリカに移ったけれど、今でも会話はスペイン語だし、俺たちのスピリットはこのグアテマラにあるんだ、と誇らし気に語っていた。


チチカステナンゴのマーケットに向かうシャトルバスに同乗していたベトナム系イギリス人のタムは、あなた達と一緒に歩かせてもらえないかしら、スペイン語ができなくて不安なのよ、と声をかけてきた。マンチェスターの旅行代理店で働いていると言う彼女は、
5才と2才になる子供たちを夫に預け、ひとり休暇に飛び出してきたのだと、少し説明づらそうに笑った。ベトナム系イギリス人?―わたしの意外そうな表情を見抜いてか、両親はボートピープル難民だったの、と説明してくれた。彼女のやって来たエリアには、同じ境遇のベトナム系コミュニティがあるとのこと。彼女は、観光客のあふれる市場で、娘に着せたいわ、と値切りに値切った、刺繍の入ったピンク色の小さなワンピースを買っていた。


とても気が強そうなのに、時折、思いつめた表情を浮かべる彼女は、バスがホテルの前に到着し降りる際、はたと思い立ったように「実は今日、わたしの誕生日なの。今夜、ディナーに付き合ってくれないかしら」と言ってきた。喜んで、とその夜アンティグアのカテドラルの前で待ち合わせをしたけれど、結局彼女は現われなかった。言葉がまったく通じず、不安げだった彼女は、たった一人で
どんな誕生日の夜を過ごしたのだろう。


世界のあちこちを一人で旅してきたけれど、日本への旅行が今までで最高だったという、サンフランシスコ在住の中年女性も、ピラミッド群を一緒に回った一人。50歳の誕生日に、特別のプレゼントを自分にしてあげたくて、日本に行くことを急に思いついたのよ。京都の紅葉は本当に美しかったし、何より、人が本当に優しくて、温かくて、それが一番思い出に残っているわ。道を聞いたら、
英語が喋れなくても、わざわざその場所まで歩いて連れていってくれたりとかね―。そんなことが何度もあったわ。温泉を試したかって?まわりの日本人客に迷惑をかけないように、一生懸命自然に振舞おうと頑張ってみたけれど、やっぱり恥ずかしかったわ。
あれはもう1回だけの経験で十分だわねと、彼女は当時の光景をふと思い出したように、クスクスと笑っていた。


ティカルの空港の待合場で一緒になった、フランス人ツアーガイドの陽気な紳士は、18才から20才までの2年間、中南米を旅して回ったそうだ。寝袋を片手に、どこへでも行ったし、どこででも寝たよ。2ヶ月も靴がなかったこともあったなあ。パナマとコロンビアは歩いて横断したんだよ。怖いもの知らずだったね、あの頃は。若いというのは、そういう無茶ができるということだよね。彼は目を細めて、懐かしそうに言った。もう何十年も前のことだけど、以来仕事でもいまだにラテンアメリカ専門なんだよと笑って言う。今回も、ニカラグアパナマベリーズコスタリカグアテマラを3週間かけて回る団体ツアーの最終週とのことだった。毎晩、本社へのレポートで大忙しだよ、とラップトップをタイプする真似をして、彼は肩をすくめた。


こんな出会いもあった。
グアテマラシティーのレストランで、ウェイターをしていた青年。どこから来たの、と聞かれたので、日本からだと答えると、「Japon!」と、途端に目をきらきらさせて、「空手とか、武道はできる??」と聞いてきた。いつものステレオタイプな質問に、ちょっと苦笑いして、ノー、と答えると、「私はこの町で忍術(Nijyutsu)を学んでいるんですよ!」と、顔に満面の笑みが広がる。忍術?と思わず友人と目を合わせたが、彼は大真面目。日本人のHAYAMI師匠を知っていますか、と彼は興奮気味に続けた。ごめん、よく分からないなと伝えると、ちょっとがっかりした様子だった。まさかグアテマラで、「忍術」に魅せられた青年に出会うとは思いもしなかった。


今回の旅で、最も忘れることができないのは、アティトラン湖畔の小さな村を訪れたときに出会った、ミゲル少年だ。ウチの村の神様を見せてあげるよと、村にたどり着くなり、案内を買ってでてくれた彼は、顔は泥で薄汚れていて、足は裸足。Tシャツは擦り切れていた。ストリートチルドレンか、そうでなくても、地域の中でも特に貧しい家の子供であることは一目瞭然だった。彼はわたしたちの先頭を歩きながら、狭い通りを3輪バイクが通過するたび振り向いて、「気をつけて!」と注意してくれた。オネーサンたち、もし
欲しいものがあったら、僕が交渉してあげるから、土産物屋の並ぶ界隈を歩くとき、彼はそう言ってくれた。年齢は、私のホストシスターと同じ、8歳。7人兄弟の末っ子だそうだ。


彼が連れて行ってくれたのは、マーケットの細い裏通りを登ったところにある、薄暗い小屋。すっかり小さくなったろうそくの光と、
ゆらゆらと揺れる裸電球が、なんとも心もとない。中心には、麦わら帽子に、煙草を加えた、ちょっぴり胡散クサイ土着の神様「マシモン」が祀られていた。人々が地べたに座りこみ、何かの儀式を行っている。その場にいた大人が懸命に説明してくれたが、残念ながら理解できなかった。


小屋を出て、村の中心にある教会前の広場にたどり着いたときのこと。わたしたちの後ろをずっとつけて来た、同じく裸足の少年たちが2人、ミゲルに何かを話しかけたかと思うと、言い合いが始まった。今度はスペイン語とはまったく違う、地元のマヤの言葉。彼らは、悪態らしきものをついて、ミゲルの坊主頭をゴツンと殴り、去っていった。何があったの、と聞くと、「あいつらが悪い言葉を言うんだ」と、半ベソをかきながらミゲルが言う。わたしたちのせいでイジメられたのか、何かの縄張り争いなのかは、教えてくれなかった。少しして、「大丈夫。ツアーを続けよう」そう言って、今度は市場に案内してくれた。野菜や肉売り場、そして積みあがった古着と靴の山をすいすいと通り過ぎ、連れてってくれた先は、少し寂びれた土産物屋。店に入るなり、「お客さんだよ!」とミゲル少年は少し誇らしげに声をあげて、くるりと振り返り、「安くするよ!」とわたしたちにいたずらっぽい笑みを浮かべた。どうやら彼の親戚が経営する店らしかった。


店を出てからも、彼はもっとあちこちを案内したそうだったが、帰りのフェリーの時間が迫っていたので、その場で別れを告げた。
当初の約束どおり、ガイド料の20Q(ケツアル)(3ドル弱)を渡す。「あと5Q上乗せしてくれる?」と、こちらの顔色を伺うように言うミゲルに、ほとんど反射的に―いまだに後悔しているのだが―、20Qの約束だったでしょ、とにべもなく返してしまった。ちぇっやっぱりだめか、と彼は大して気にする様子もなく、じゃあオネーサン元気でね、また会えるといいね、と私たちが見えなくなるまで手を振ってくれた。


20Qといえば、グアテマラでは決して小さな金額ではない。町の大衆食堂であれば、フルボリュームの定食を食べることができる。だが、わたしたちを気遣いながら裸足で村中を案内してくれた8才の彼に、5Qさらに渡すことに、なんの問題があっただろう?後でフェリーで合流した他の観光客に聞いてみても、ミゲルのツアーはなかなかの内容だった。短い寄港時間の中で、教会もマーケットも、土着の神様マシモンも見ることができたのは、わたしたちだけだった。グアテマラを去るとき、わたしの財布には、最後まで使い切ることのなかった100Qが残っていた。空港で、値段を見ることなく買った小さなガムは3ドルもしてぎょっとした。


アティトラン湖畔のサンアンティアゴ・アティトラン村で、ミゲルという坊主頭の裸足の少年に出会うことがあれば、彼のツアーに参加してみてはいかがだろう。そして最後にお礼の言葉と一緒に、アイスクリームでも買ってあげてほしい。すっかり大人びた顔つきをするけれど、彼はまだ8才の少年なのだ。


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写真は、マーケットの大衆食堂で出会ったおばあさんと孫。鶏を骨ごと煮込んだ塩味のスープが美味しかった。