sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

LOHASな社会科見学

sayakot2007-10-27

“Sustainable Development(持続可能な開発)”の授業の一環で、
循環型の有機農法を採用している農場Finca Agroconservacionistaを見学に。
大きなバスに50名近い大学院生が乗りこみ和気あいあいする様は、
さながら小学校の遠足の風景。


首都サンホセから約40分。コロンよりもさらに牧歌的な風景をした村にある、この小さな農場は、15年前まで、ごく「普通」の農場だった。化学肥料や農薬、人工的な家畜飼料に依存し、それらの購入費用に、収入のほとんどが消えていた。
「何十年も、汗水たらして働いた挙句、何も残らなかったよ。」
当時を振り返り、オーナーは言う。
どうしたら現状を変えることができるのか、彼はひとり奮起して農業技術系の研究機関を訪ね歩き、試行錯誤の末、
現在の形にたどり着く。


現在、農場には40頭の豚、20頭の牛、14匹のヤギが飼育されており、畑には、タマネギとサトウキビ、そして飼料用の桑が植えられている。併設して、絞りたての乳からチーズを作る加工場、家畜から排出される糞尿の「加工」場と、見学に訪れる人々のための小さな食堂がある。ここで生産されるものは、地域のオーガニック・マーケットで販売されるか、大手流通業者などに卸されるかどちらかとのこと。


1頭の牛が排出するフンは、なんと25kg/日。この農場では、それを全て資源として活用している。日々排出される新鮮なそのブツが、働き者のミミズの力によって完全に土として分解されるには約3ヶ月が必要だとのこと。こうして生まれ変わった肥料は、毎月
約3トンにもなる。その大半は再び農場で使用されるが、余剰分は梱包後、1ドル/kgで販売されるとのこと。また、分解の際に発生するメタンガスは、自家用エネルギーとして利用されているそうだ。大変な手間がかかっているように見えるが、これは「営利目的」というよりも、いかに日々必然的に発生する“waste(廃棄物)”を、より有効活用できるかが重要なのだそうだ。
これらは私にとって“Waste(廃棄物)”ではなく、 “Raw material(原料)”なんだと語るオーナーは、とても誇らしげだった。


また、この農法に切り替えてから、彼は今まで外部から購入していた飼料を、すべて自前で栽培する「桑」に切り替えた。なんでも、発想元は日本の農法だそうだ。桑は、たんぱく質が豊富な上、寄生虫の予防にも有効だそうで、一石二鳥ということらしい。農場でもたくさんの桑が緑に茂っていて、豚舎では小さな豚たちが美味しそうにパクパク食べていた。抗生物質や栄養剤に頼らない、
健康な豚がこうして育つのである。


ちなみに、この手法に移行してから、マニュアルでの労働量はずっと増えたそうだが、収入はさらに飛躍的に増加したとのこと。
やりたいプロジェクトがまだまだ沢山あるのに、時間がとても追いついてくれなくてねと、嬉しそうに彼は言う。
だが彼は強調するのは、この循環型農法から得たものは、経済的な利益だけではなく、もっと大切な、精神的な豊かさだということ。


「多くの大学生や地域の農民たちが、この農場についてもっと知りたいと、私の元を訪ねてくるようになったんだ。15年前に始めたときは、誰もが私のことをクレイジーだと思っていたみたいだけどね(笑)。この農場は、私の誇りなんだよ。」


最後に彼は、こんなことを言っていた。


自由貿易なんて怖くないよ。どんなに安い製品が海外から流れてこようとも、大地に優しく、安全な私の農法にニーズがあることは、もう分かっているからね―。」


アメリカとの自由貿易協定が結ばれた今、こうした形で優位性を身に付けていくことは、コスタリカの地域の小規模農家にとっても、重要な選択かもしれない。


さて、昨今流行りの、「持続可能な開発」とか、LOHAS(Lifestyle Of Health and Sutainability)とかいう言葉。
耳にはとても響きが良いが、既存のパラダイムから抜け出し、実際に行動することは、一朝一夕にできることではない。そもそも、「地球」に優しくて、しかも、「自分」にも優しい、その両方を実現することは、モノに溢れる先進国社会を見ていると、一見不可能にも思えてしまう。真の循環型社会の始まりは、「自分に優しい」、その定義を変えていくことから、始まるのかもしれない。


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写真は、熱く牛フンのリサイクルの仕組みを語る、農場のオーナー。情熱的で、そして謙虚な人だった。