sayakotの日記

コスタリカ、フィリピン、ベトナム、メキシコ、エチオピアで、勉強したり旅したり働いたりしていた当時20-30代女子のブログ。

Costa Rica -世界で一番『遠い』国-

sayakot2007-10-26

「中米は、日本から、もっとも『遠い』トコロです。」


先日、コスタリカに駐在している日本人のSさんに、そう教えてもらった。
日本の裏側は、南米チリでなかったかなと一瞬考え込んでから、納得。


日本では、北米やアジア、オーストラリアは言うまでもなく、今やヨーロッパでさえ、修学旅行の行き先になってしまうこのご時勢。南米には戦前から大きな日系人コミュニティがあるし、中東にはエネルギー資源の多くを依存。「忘れられた大陸」といわれたアフリカでさえ、HIVの蔓延や諸々の部族間闘争がもたらした惨状は日本でも多少なりとも知られているし、同地域へのODA比率増加の重要性は、日本政府も認めるところ。
かたや、この「中米」。「中南米」や「ラテンアメリカ」という名前で一緒くたにされることはあっても、「中米」単体で焦点が当てられる機会はあまりない。例えばそれを構成するのがグアテマラコスタリカベリーズエルサルバドルホンジュラスニカラグアパナマの7カ国と知っている人は、どれだけいるだろう。わたしも実は、ここに来るほんの少し前まで、コスタリカを島国だと思い込んでいた。


さて、日本人にとってコスタリカが世界でもっとも「遠い」国の一つならば、それはコスタリカの人々にとっても同じこと。
最近、近所の高校で日本の文化を紹介する機会があったのだが、様子を見ていると、ほとんどの生徒が、どうもあまりピンと来ていないようだった。浴衣や漢字の実演にはずいぶん興味を示してくれたものの、実際に日本がどこにあるのか、そこで人々がどんな生活をしているのかといった話になると、まったく想像できない様子。先生たちからはずいぶん好評だったが、それでも、この奇妙な国が実際に地球の反対側に存在するのだということを、果たしてどれだけ理解してもらえたかは、何ともアヤシい。


当たり前といえば当たり前かもしれない。彼らの日常に、「日本」はほとんど存在しないからだ(TOYOTAやHITACHIといったロゴは別として)。中米で「最も安定した民主主義国」と評価されているコスタリカだが、在留邦人は約450名、日系企業はたったの10数社にすぎない。ここで生活を始めて約2ヶ月が経つが、そういえば自分たち以外の日本人を見かけたのは3回ほど。


最近感じることは、もしかするとコスタリカは、日本に限らず、「外の世界」全般に対する距離が「遠い」のかもしれない。
南北をニカラグアパナマに挟まれ、面積が日本の14%に過ぎない小国の、世界とのこの「距離感」は、
一体どこからくるのだろう―?


例えば、わたしが住んでいるコロン町。首都サンホセからそう遠くはないこの小さな町は、端から端まで、20分もあれば、歩くことができてしまう。そこに住む人々は、生まれも育ちもコロン町、家族も親戚もみんなコロン町在住、そんなことがしばしばある。さらに、幼稚園から高校も、結婚式もお葬式も、人生の大抵の大きなイベントが、町の中で済んでしまう、このコンパクトさを初めて知ったときは衝撃だった。


さらに人々は、海外はもちろん、国内を旅行することもあまりない様子。世界中の観光客を魅了する国立公園が、車でわずか2、3時間の距離に点在しているにも関わらず、例えばわたしのホストファミリーは、コスタリカを代表するといわれる、青い蝶も、赤い毒蛙も、毎年海岸に大挙して産卵に訪れる海亀も、“幻の鳥”ケツアールも、TVでしか見たことがないそうだ。もしかすると帰国する頃までには、わたしの方が彼らより多くの場所を知っているかもしれない。


コロンでは、緑あふれる小さな家々の周りに、ニワトリや犬、時には馬までが、ワガモノ顔で走りまわっている。散歩中、川のせせらぎが聞こえてくる。おじいさんが通りにイスを出し、1日中、座って通行人を眺めている。時には膝に、小さな孫を載せている。そして、人が通り過ぎるたび、「やあ」と声をかける。土曜の朝には、所狭しと野菜や果物が並べられた小さなマーケットに、町中の家族が買物にやってくる。もちろん、すべてがすべて「楽園」というわけではない。停電や断水はしょっちゅう。熱いお湯はなかなか出ないし、雨季の今は、洗濯物が乾かない。若者同士のケンカや、窃盗事件も少なくない。だがそれでも、そういった要素が“Pure Life”を愛する人々の精神を真に傷つけることはないようだ。


インターネットにケーブルTV、そして国連平和大学に通う、60カ国150人の外国人学生たち―。グローバル化のうねりは、確実にこの町を巻き込んでいるはずなのに、ある部分で、揺らぐことのない人々の生活。時に心地よく、無性に懐かしく、同時に、わたしを混乱させるものは、この国の人々の持つ、ある種の「時代錯誤感」なのだと思う。


「こんなにのどかな暮らしがあるなんて。時々、自分の国の人たちのことを思うと、正直、私はジェラシーを感じるわ―。」
キルギスタン出身の友人が、そう言っていた意味が、なんとなく分かる。


実際、ニカラグアグアテマラといった近隣諸国の混乱を尻目に、自らは早々に軍隊を放棄し、それなりの教育レベルも社会保障システムも、経済的発展も遂げてきたコスタリカを、シニカルに見ることは、意外に難しいことではない。「中米の優等生」として、ある意味、偏狭なエリート意識を育んできたこの国は、いつからか「世界」というコンテクストに自らを位置づけるきっかけを失ってしまったのかもしれない。


今月8日、国を二分した国民投票の末、3%の僅差で、アメリカとの自由貿易協定がついに可決した。コスタリカが世界と「近く」なる日がついにやってきた、そういうことなのだろうか。「時代錯誤」な生活は、今のグローバル社会において、生き残る余地がないのだろうか。自分勝手なノスタルジーを押し付けるつもりはないけれど、心のどこかでそれを願っている自分にふと気づく。


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写真は、食堂のおじさんご自慢の、コスタリカ・タトゥー。